前回エントリへのコメント、ありがとうございました。

「とむくるずさん」や「みかんさん」「元入院患者さん」「バッファローさん」の意見に私も同意します。その通りです。

 また、「ももさん」の疑念、そして「ほーむさん」が実際入院して、その目で見て、体験されたこと、それが精神科病院で行われているひとつの事実です。

それから「alberthawkingさん」が疑問を呈しておられた公衆電話についてですが、それについてある体験者からの報告を記しておきます。


精神科病院の公衆電話

たしかに、病院には公衆電話が設置され、人権問題に対応するような装いを作っています。しかし、それはあくまでも「既成事実」作りのためである場合がほとんど。

例えば、電話はたいていナースステーションのすぐ近くに設置されています。ということは、患者が都道府県の担当部署や法務局へ苦情を告げるその会話はすべて筒抜けです。

また、電話の向こうにいる人たちは、「公務員」です。公務員のすべてがそうとは言わないが、多くの場合、その対応はいわゆる「お座なり」になりがちです。

 苦情は聞いてくれるかもしれません。しかし、最終的には「まあ、病院とよく相談してください」と差し戻されるのがおちなのです。私に体験を知らせてくれた方は、そういった担当者がふと漏らした言葉、「医師にへそを曲げられたら、保護が必要な人を受け入れてもらえなくなる」と言っていたと言います。つまり、緊急を要する患者をどうするのか、そのシステムができていないのです。だから、医師の機嫌をうかがわざるを得なくなり、それは決して患者の利益につながるものではないということです。

 そして、これは実際目の当たりにしたことですが、病院にとって非常に都合の悪いことを電話口で告げ始めた患者を、ナースステーションからあわてて飛び出してきた看護師たちが大勢で取り押さえ、電話口へは「患者がちょっと錯乱しているようなので、すみません」それで電話はあえなく切られてしまったということです。

 もちろん、その患者は保護室へ送りこまれることになります。

 それが現実なのです。とてもきれいごとでは済まされない、そこには権力的で強圧的、非人道的で理不尽な「暴力」(実際の暴力という意味とはまた違った意味での暴力)が蔓延しているのです。そして、精神疾患を患った(とされる)者は否応もなく、そこでの秩序を受け入れて、生きていかざるを得ないのです。

 これで精神疾患が改善するでしょうか?

 とんでもありません。悪くなることはあっても、改善などしないことは、普通に考えれば誰にでもわかることです。

 そして、同じ「暴力」は薬物の使い方にも現れます。



イソブロという薬

例えば、いわゆる「イソブロ」と呼ばれる薬。

バルビツール酸系の催眠鎮静剤、アモバルビタール(商品名イソミタール)と、ブロムワレリル尿素「ブロバリン」を配合した睡眠薬です

どちらも数グラムで致死量の薬物です。

そうした薬をリュウマチの患者に処方したと、自慢している精神科医のブログがありました。致死性の高いイソブロを未だに平気で処方しているのを自慢する、その神経は正気だとは思えません。しかも睡眠薬を整理するためとさらりと言ってのけている……。

リスクとベネフィットとよく言います。そのリスクが死であるとすれば、それを上回るベネフィットがあるのでしょうか。

一時的に症状が改善したとして、それが患者にとって、本当に意味あることなのか?

結局、このイソブロもそのうち耐性がつき、薬効がなくなり、また効かなくなって、再発です。そしてまたしても増薬という悪循環。

精神科医の言う「寛解」がどういうものかよくわかります。

増薬の果てには、さまざまな意味での「死」があります。

生命の死、社会的な死、人間性の死……。そういう「死」を生みだしているのが、いまの精神医療の一つの姿だと思います。