申し訳ありません。

このブログのタイトルは「精神医療の真実」となっています。

しかし、内容は「薬」についてのものが多いです。

また、その被害報告というものに重きを置いている傾向があります。

しかし、「精神医療」と銘打っている以上、問題は「薬」にのみあるのではなく、たとえば精神科病院の実態、そもそもの精神医療というものの歴史、成り立ち方、といったことにまでテーマが及ぶのは必然です。

決してそちらを軽視しているわけではありません。

そして、その問題を無視して、現在行われている薬物偏重の精神医療の問題が語れると考えているわけでもありません。


先日、ある大手の出版社の編集者と話す機会がありました。

一般の人にもピンとくるように、うつ病を例に、抗うつ薬の薬害について、という言い方をしたところ、「まったく初めて聞く話だ」という反応です。

そんなものかもしれません。

そして、この問題を世に問うためには、まずそこから突き崩していかなければならいのです。

問題が存在することを、まず知ってもらうこと。そして、説得力を持って説明し、理解してもらうこと。

しかし、こうした反応はある程度、予測していたものでした。私だって、ある時期までは、そうだったのですから。

ということは、私を含めてそういう人たちに語りかけるのには何が一番いいやり方か? つまり、わかりやすさということです。

私が注目したのが「薬」だったというわけです。

ブログを読んでくださっている方のなかには、そのことでちょっと不満、というか物足りなさを感じていらっしゃる方もいたと思います。が、こういった事情も裏にはあったことを、遅ればせながらお知らせしておきます。

そして、もう一度いいますが、それだけではこの問題を考えるのには絶対的に足りない、ということも納得(というか、私にすれば覚悟のようなもの)したというわけです。


微力だけれど……

私は精神医療の被害者、当事者ではありません。

そのつらさや苦しさ、悔しさ、悲しさを、肌で体験したわけではなく、ひたすら、実際被害に遭われた方の話を聞き、そこから現在の精神医療の問題を考えるしか方法を持たない者です。

そんな立場の人間であるとわかったうえで、真情を吐露して下さった方、なんとかこの精神医療の現状を変えなければとの思いから、同じ被害をこれ以上作らないためにと、自らの体験談を語ってくださった方、本当に尊い行為であり、勇気ある行為であると、頭が下がります。

そして、それを聞いた私に、ではいったい何ができるのかと自問すれば、そうしたお話を整理して、このブログの中で活字して、不特定多数の方に読んでもらうのがせいぜいです。

そのことで、何かが変わるかもしれません。あるいは変わらないかもしれません。それはわかりませんが、聞きっぱなし、書きっぱなし……それが私には非常に申し訳なく、息苦しく、そして、ときどき無力感にさいなまれます。


また、私にさまざまな情報を寄せて下さる方もいます。その情報もしっかり生かせないまま、時間だけが過ぎていきます。申し訳ありません。

そして、こうしたブログを続けていると、このブログの趣旨に反対の方からの中傷もあり(しかし、こそこそとした、八つ当たり的な中傷なので、その点はたいして気にしていませんが)、しかし、自分が当事者でない、ということが、ときに自信を失わせることもあります。

そんなとき、これまで被害報告を寄せて下さった方から、思いもかけずメールをいただいたり、さらなる情報をいただくことで、ああ、やっぱり、このまま進んでいっていいのだと、私の方が勇気をもらっています。本当に、ありがとうございます。

私のバックには、私にお話しをしてくださった方々の真実の声があります。それが私のエネルギーであり、頼りともなっているのです。


 一応フリーライターと宣言してやっている以上、このブログには個人的な(私個人に関することは)書かないようにしてきました。

 しかし、正直、つらくなることもあります。

 ひとつは、やはり、自分がなにもできないこと。

 アリスパパさんのブログに被害者団体のことが書かれていました。

 http://ameblo.jp/sting-n/entry-10661955477.html


 がんばってほしいと思います。

すでに被害に遭われてしまっている方には、現在のところ、本当に救いがありません。

でも、小さな声でも大勢が集まれば、きっと大きな声となり、世に届くようになると思います。そこから何らかの道が開かれることもあります。

私のブログにも「スモン」のように集団訴訟はできないのでしょうか、というコメントをいただきました。本当にそうした動きにまで広がっていったら、どんなにいいでしょう。

そして、私は当事者ではないので、あくまでも一人のサポーターとして応援することしかできませんが、私にできることなら、何でもしたいと思っています。