ここ2日ばかり、精神医療について、2人の方とじっくり話す機会があった。

一人はマスコミ関係の方。そして、もう一人は現場の精神医療に携わる看護師の方。



いろいろ話が進むなか、結局のところ、ひどく素朴な疑問に行きついた。

なぜ、精神医療を受けた人の被害がこんなにも多いのか。それはやはり、診察に当たる個々の精神科医の問題にいきつくのではないか、ということである。

本当に、素朴な疑問として、精神科医の方々には、こう問うてみたい。

「あなたは本気で自分の患者を治そうとしていますか?」


もちろん、NOと答える医師はいないだろう。が、胸を張ってYESと答えられる医師がはたしてどれほどいるだろう。

なぜ精神科医は、自分が処方した薬を服用しながら、まったく改善の兆候を見せない(それどころかどんどん悪くなっていく)患者を目の当たりにして、疑問を抱かないのだろう。

患者など見ずにパソコンの画面ばかり見ているからか? あるいは、疑問を抱いた途端、自分の何かが崩れてしまう、それを恐れてあえて見ないようにしているのか? それとも、患者がどんどん悪くなっている、という認識さえないということなのだろうか?

そして、やることと言えば、薬の量を増やすだけだ。

患者がよくならないのは薬の量が足りないと考えているからなのか。向精神薬はたくさん飲めば飲むほど、治療的効果があがると考えているからだろうか。それが彼らにとっての唯一の「治療」であるからなのか?

患者がもし「調子が悪いのは薬の影響のような気がするんですが」と言ったとき、なぜ医師は、そこでちょっと立ち止まってくれないのだろう。患者の声に耳を傾け、自身の処方を見直して、「副作用」ということに思考が回らないのだろう。なぜ、怒ったように、すぐさま全否定してしまうのだろう。

副作用はない、依存もない、離脱症状もない、と本気で信じているからなのか。(添付文書を読まず、製薬会社のMRの言葉しか頭に残っていないからなのか)。

それとも、自身の処方について、患者ごときに文句を言われたくないというつまらないプライドがあるからなのか? あやまちを認める勇気がないのか。傲慢なのか?



「なぜ、あなたはこの患者に、このような薬を処方したのですか?」

 その説明ができなくて、何が「医療」なのかと思う。

 そして、私はこれまでいくつかこのブログの中で知り合った被害者の方たちの主治医に、ぜひともこの質問をしてみたい衝動にかられる。

「処方権」という大きな権力を持っている医師は(それによって裁判でも守られているのだから)、自身の処方に対しては、徹底的に、医学的に、答える義務がある。

 そして、患者の「副作用報告」を頭から無視できるほどの自信を持って処方をしているのなら、なおさら、その説明ができなければならない。

 うつ病とはなにか? 抗うつ剤とはどのようなものなのか? 

精神医療は、言ってみれば仮説の上に仮説を重ねて積み上げられたものの上で行われている「医療」である。その危うさの上に立って自身が「治療」を行っているということを忘れないでほしい。

向精神薬は扱い方によって人の人生の数年間、あるいは一生を台無しにしてしまいかねない「麻薬」である、自分たちはそんな危険な薬を患者に処方しているのだということを忘れないでほしい。

(こんなことを一介のライターごときに言われたくはないだろうが、言わざるを得ないのが現状なのだ。)



精神医療で被害を受けた人は非常に弱い立場にいる。裁判を起こそうにも立証することが難しく、世間を味方につけることも難しい。闘う気力も経済力もなく(薬による副作用によって思考がはっきりしない人も多いだろう。またそのせいで、多くの人が職を失うか、満足に働けない状態にある)、多くの場合泣き寝入りを余儀なくされる。

「医療過誤」で裁判となり、医師側が敗訴しても当然と思えるケースでさえ、裁判を起こすこと自体が難しい。

どれほどの人が涙を飲み、どれほどの人が現在も心身の不調に加えて、そうした経験による屈辱感、無気力感に襲われているかしれない。

 精神科医は他の科の医師同様、人間の命を預かっていることを自覚してほしい。いのち、たましい、人生を。しかも患者ひとりのそれではなく、患者を取り巻く多くの人のいのち、人生までも預かっているのである。

 だからせめて、医師として筋の通った話をしてほしい。論理的な話で、患者を納得させてほしい。そして、お互い人間として話をしてほしい。そう切に願わずにはいられない。