今年の4月、第11回を迎えた「水俣病フォーラム」主催の記念講演会に出席して、ひどく共感したことがある。

経済評論家の内橋克人氏の講演、「市場・国家・いのち――経済とは何か」のなかで、氏がこう述べていたのだ。

「日本における公害、例えばこの水俣病の問題を筆頭に、最近ようやく持ち上がったアスベストの問題、あるいはC型肝炎の問題、これらに共通して言えることは、日本という国は、常に当事者自らがその因果関係を証明して初めて社会問題化するということです。あたかも、弱い立場にある被害者にその責務があるかのように。そして、政治にしろ社会にしろ、日本はそうした歴史から何も学ばない、学ぼうとしなかった国です。だから、何も変わることがない。同じあやまちを繰り返してしまう。当事者にすべてを押しつけるだけで……ある意味、非常に冷たい国だと言わざるを得ない。」


 アスベストの危険性はすでに30年も前からわかっていることだった、と内橋氏は言う。にもかかわらず、それが社会的な問題として取り上げられるようになり、使用禁止になったのはなんと2005年である。そして翌年ようやく、「石綿による健康被害の救済に関する法律」が施行された。フランスではすでに1996年に全面使用禁止となっていたのだから、遅れること9年である。

 なぜそれほどまでに対策が遅れたのかといえば、アスベストの被害者自身にその立証責任を負わせたからだ。被害者自らがその被害の甚大さを国に訴え、健康被害とアスベストの因果関係を国に認めさせるまで、全面禁止とはならなかった。そしてその間、当然のことながら、被害はさらに拡大していった。

 しかし、生命保険会社はその危険性をよく知っていたのである。1980年代には、アスベストの被害によるものは保険給付の対象外とする措置をとっていたのだ。これは保険会社がすでにこの時点で、アスベストの危険性を認めていた明らかな証拠といえる。

 金がからむと、素早い反応を示すということか。裏を返せば、金がからまない限り、こうした素早い対応は期待できないということだろう。たとえ人の生命がかかっている問題だったとしても……。


すでに30年も前から言われていた危険性である。このままいけば10年後、20年後にはどうなるか、予想のつく人は少なくなかったはずである。にもかかわらず、対策を講じたのが保険会社だけだったとは。しかも、被害者をさらに苦しめるような方向での対策である。

 政治家を代表とする日本人の鈍感さ、危機意識のなさを思う。

 被害が甚大になり、被害者の数も増え、こらえにこらえてきたものが、いよいよ我慢の限界を超えたとき叫ばれたその叫び声が聞こえるまで、国は腰をあげないのだ。

「社会問題化する」とは、被害がかなりの範囲で広がり、深度を増して、器から水が溢れるようになって、ようやく社会に認知されることをいうのかもしれない。内橋氏の言う「弱い立場の当事者に立証責任がある」というのは、裁判においてそうであると同時に、このようなことも意味しているのかもしれない。

ということは、国は事態がそこまで危機的状況にならない限り、何もしようとしないということでもある。対策は常に後手後手であり、そこには予防という観点は微塵もない。水俣病しかり、アスベストしかり。

 そして私は、精神医療についても「しかり」である、とそのとき思った。

内橋氏は講演の最後をこう締めくくっている。

「わかっていて何も手を打たないこと。それは必の故意による殺人ともいえるものです。」


「ある行為が必ずしも人の死を生じさせると確信しているわけではないが、もしかしたら「それ」が生じるかもしれないと思いながら、「それ」が生じてもかまわないと思いつつ行為を行うこと」それが未必の故意による殺人である。


 精神医療において漫然と行われる多剤大量処方は、もしやこれに該当しはしないか? 万が一、「もしかしたら「それ」が生じるかもしれない」とちらとでも心をかすめることもなく、その行為を続けていた医師がいとしたら、それは医師としてあまりに不勉強、医師としての資格はないと言わねばならない。

 そして、黙してなんら手を打とうとしない国も、同じことではないだろうか。


 精神医療の問題は、水俣病ほど「社会問題化」しているとは言い難い。

 なぜなのか?

 被害の数が少ないからか? 前の言い方で言えば、まだ、器から溢れるほどの被害が発生していないからか?

 そうではないと思う。内橋氏の言い方を借りれば、日本では、弱い立場の当事者が声を挙げない限り、そして、その数(被害者の数ではなく、声を挙げる人の数)が溢れるほどにならない限り、社会問題として認知されないのだ。


 ところで、8月3日の厚生労働委員会において「多剤大量処方の問題」について柿沢未途議員(みんなの党)から長妻厚生労働大臣へ質問がなされたそうだ。(読者になっていただいている「アリスパパさん」からの情報。詳しくはブログをご覧ください。)

 ようやく精神医療の問題がこうして国会内で取り上げられるようになった。これは精神医療、多剤大量処方が「社会問題化」しつつある一つの証左にはなるだろう。国もやっと気づき始めたのだ。

「アリスパパさん」は、奥様を多剤大量処方の末亡くされ、いま裁判で闘っておられる。「当事者」として「被害者」として、自ら声を挙げ、訴え続けてきた。その結果ようやく「多剤大量処方」が日の目を見たのだ。


 それにしても、日本は向精神薬を世界の60パーセントも消費しているといわれている国である。したがって、精神医療の世界においては広範囲に、深度を増して、多くの問題がまだ日の目を見ることなく、隠されているはずだ。そして、それは「当事者」が、「被害者」が声を挙げない限り、絶対に改善されることはない(それは歴史が示している)。


 あるいは、英国のように、BBCの番組が火付け役となり、パキシルの危険性が「社会問題化」したということはあるだろう。しかし、その後の反響(450万人の視聴者から番組へ6万本の電話が入り、1500通ものメールが寄せられたのだ)があったからこそ、特集番組はシリーズ化され20回もの番組が製作された。それはすべて「当事者」「被害者自身」が声を挙げたからこそ、動いた歴史である。

 日本でそのようなことが期待できるだろうか?

 期待できる、と私は思う。

 私は長いあいだ、ハンセン病問題に関わってきたが、ハンセン病の問題でさえ、ある種の解決は見たのだ。1998年にたった13名の元患者さんが熊本地裁に国家賠償請求を提訴したのが始まりだ。そして2001年5月、小泉首相の「控訴断念」のときには、原告の数は1702人に膨れ上がっていた。

 ハンセン病問題ほど「当事者」が声を挙げるのが難しい問題はない。みな本名を知られるのを恐れ(差別偏見ゆえ、親族にそれが及ぶのを避ける、恐れるため)、原告になることに躊躇する人も多かった。

 それでも、最後には1702人という大きな勢力となり、国をも動かすことができたのだ。

 そして、匿名性という点では、精神医療の問題もハンセン病問題に重なる部分があると思う。

 ゆえに、声を挙げることをためらう人がいるのも当然だ。

「当事者」であるということ――。

その重さと苦しさを思うとき、私は自分の無力を思い知らされ、歯がゆさとふがいなさにただ口をつぐむことしかできなくなる。しかし、あちらとこちらをつなぐ、その手伝いくらいならできる。せめてその橋渡しならできるのではないかと思うのだ。