北海道旭川市で「あおぞらクリニック」を開院している菊地一也さんという医師がいる。

 何度かメールのやり取りをさせていただき、それぞれうつの治療や薬について意見を交換しているが、この人の著書『大逆転のうつ病治療』(ブログハウス刊)は、現役の医師の書いた「うつ」関連の本の中では異色といってもいいものだ。

 菊地さんが注目しているのはいわゆる「精神安定剤」である。そして、この本の主張するところは、医学に関して素人の無責任さで言ってしまえば、「精神安定剤をやめれば、うつは治る」ということだ。

つまり、長年、うつに苦しんでいる人の多く(あおぞらクリニックを受診する患者の約4割)は「薬剤惹起性うつ病」であり、もともとのうつは治っているにもかかわらず、飲み続けた精神安定剤によって引き起こされたうつ病である、というのだ。

 そして、10年うつ病に悩まされていた患者さんが、精神安定剤のひとつワイパックスをやめたところ(他の痛み止めも中止し、抗うつ剤のパキシルは飲む時間帯を変更した)、1ヶ月後にはすっかり元気になった例が紹介されている。


 精神安定剤には、メジャー・トランキライザーと呼ばれる抗精神病薬と、マイナー・トランキライザーと呼ばれる抗不安薬の両方がある。そして、菊地医師はそうした精神安定剤と自律神経(交感神経・副交感神経)の関わりに注目している。

 いわく、未治療のうつの人は副交感神経が緊張している。そして、うつの諸症状、無気力、集中力の低下、記憶力の低下、早朝覚醒などは副交感神経が緊張しているために起こるのである。一方、精神安定剤は副交感神経を刺激する。したがって、精神安定剤を飲めば、よけいにうつは悪化する。


 言われてみれば、なるほどとうなずける。元気のない人に元気がなくなるような薬を処方して、元気がでるようになるわけがないのである。

 また、SSRIなど抗うつ剤は交感神経を刺激する薬である(抗うつ剤は元気にさせる薬だから、それはそうだろう)。だから、寝る前に飲むと睡眠が浅くなってしまい、不眠の原因になる。

 しかし、大多数の精神科医は、抗うつ剤が交感神経を刺激し、精神安定剤が副交感神経を刺激する薬だということを知らない。知らないから、うつ病の治療では、抗うつ剤と精神安定剤を併用することが多い。その場合、薬どうしで綱引きをしてバランスをとれればいいが、そうしたことはほとんどない。ある時間帯では交感神経優位、別の時間帯では副交感神経優位となり、そうした状態が時間帯によって細かく入れ替わりながら、多彩な症状を呈することになるという。

 菊地医師の治療の主眼は、自律神経のバランスを整えることにある。そして、薬によって狂ってしまった自律神経のバランスを元に戻すため、抗うつ剤や精神安定剤の特性をあくまでも「利用」するのだ。

 また、現在の抗うつ剤の標準使用量は日本人には多すぎる。菊地さんの臨床経験では、パキシルにしろルボックスにしろ、いまの6分の1から3分の1の量で充分であるという。そうすることで、うつに伴う不眠の治療に顕著な成果を挙げているそうだ。


 詳しくは、ぜひ本書を読んでほしいと思う。

 減薬の仕方も具体的に書いてあるし、その方法も西洋医学と東洋医学を融合させた、説得力のあるものだ。

 しかし、書き方として、かなりの遠慮も目だつのも事実である。行間からは、現役の医師としての苦しい立場がにじみ出ている。

 

 精神安定剤には、以前このブログでも触れたベンゾジアゼピン系薬剤も多く含まれている。そして、抗不安薬・ベンゾジアゼピン系薬剤は菊地医師も書いているように、1~3週間で効果がなくなり、現実の治療にはつながっていない。にもかかわらず、数か月以上長期にわたって処方され続けている人が非常に多く、それによって副交感神経が刺激され、抑うつ症状が副作用として現れてくるのである。つまり、うつ病の人が抗不安薬・ベンゾジアゼピンを飲むと、益々うつがひどくなり、死にたくなる可能性がある。

 自殺者3万人超という数字の裏には、こうした薬剤による副作用の自殺が相当数含まれているのではないだろうか。なんといっても日本のベンゾジアゼピンの使用量は世界でも突出しているのだ。


 もちろん菊地医師はそうしたことには触れていない。が、煎じつめれば、そういうことだろう。

 現役の医師である限り、同業者や製薬会社への気遣いは当然あるだろう。以前、先生からのメールにも「悪いものは悪いと糾弾しても、激しく抵抗されるのではないか……」そんな危惧の言葉が書かれていた。

 とはいうものの、菊地医師は、精神安定剤がもたらす「薬害」に気づき、それに対する警鐘を鳴らした、日本でも数少ない医師である。