精神科に行くということは、ほとんどの割合で、向精神薬を処方されることを意味する。最初はせいぜい3種類くらいかもしれない。それで効果を感じることができれば、その処方がずっと続くことになるだろう。

 しかし、抗うつ薬は、「軽中度の症状に効果みられず」というアメリカの研究結果もあるくらいだから、ほとんどの場合、最初の処方で効果を感じて、症状が軽快していく、なんてことにはならない。

 専門誌や、今では一般の雑誌でも、よくうつ病特集が組まれているが、その中で紹介されるケースはほとんどが1度(あるいはせいぜい2度)の処方で、薬が効果を発揮して、数か月飲み続け(途中でやめると再発の危険性が増すという脅迫のもと)、症状の軽減と共に薬を減らしていき、それでも薬はある程度飲み続けて、「6割くらいの方はおよそ半年以内で快復」(『婦人公論』201077日号・野村総一郎氏の言葉)するというシナリオである。

 6割ねえ~。

 私はこの数字、どうしても信じられないのだけれど。

 まあ、それはさておき、じゃあ、あと4割の人はどうするのかという問題がある。簡単に心理療法、カウンセリング、というが、どこに行けば受けられるのか? どういうものなのか? 保険診療なのか自費診療なのか?

 うつ病特集の場合、そういうことを紹介している例はほとんどない。6対4で、薬で治る人の話に重点が置かれ、残りの4割は切り捨てられているのだ。切り捨てるのに、4割という数字が妥当かどうか、大いに疑問を感じるところである。

また、そういうケース紹介で登場する医師はみな、話をよく聞き、患者の疑問にもきちんと答え、患者と共に病気と闘ってくれる医師であるが、はたしてこのような対応をしてくれる精神科医が現実にどれくらいいるのだろうか。患者の変化を注意深く観察し、効果が現れたら薬を減らしてくれる精神科医が……。

そもそも効きもしないくせに副作用ばかり強い抗うつ剤を飲まされて、気分がよくなるはずがない。仮に、薬を飲んで良くなったように感じたとしても、それは一時的なもので、やがては効果より副作用のほうが上回ってくる。


したがって、症状が改善しなければ、薬の増量である。

雑誌のうつ病特集では、そこのところが書かれていないのだ。薬を増量し、複数の薬を組み合わせ、徐々に徐々に多剤大量処方になっていく……その現実が書かれていない。

もっともそんなことを書いたら、誰も精神科に行かなくなっちゃうし、薬も飲まなくなっちゃうから、製薬会社を背負っている精神科医としては困ってしまうのだろうけれど。

私の友人は言っていた。「いい精神科医を探すのは、砂漠の中からダイヤモンドを探すようなものだ」と。

つまり、雑誌に登場するような「いい精神科医」に当たるのは、宝くじにあたるより難しい、ということだ。

そんな可能性の低いことを前提にして、雑誌やテレビ(自殺対策のための内閣府のキャンペーン、あれは一体何なんだ!)で「精神科へ行きましょう」というメッセージを流し続けている。「いい精神科医」などほとんどいないのだから、精神科にかかったら最後、多くの人は多剤大量処方をされ、薬漬けになってしまう可能性は大いにある。

これは国策なのだろうか。自らの民族を滅ぼすための国策なのだろうか。そんな皮肉な気持ちにもなる実にバカバカしい「自殺対策」である。



話がそれてしまったが、要するに、精神科にかかるということは、そんな「運まかせ」みたいなところがあるのは、確かである。

病気になって病院(クリニック)を選ぶのに、そんなくじ引きみたいなことで、いいのだろうか。医療って、そういうものなのだろうか。



仙台に「自死遺族連絡会」というのがある。田中さんという女性は息子さんを自殺でなくされ、精神科医療に対する多大なる不信感のもと、「命のマップ」というのを作っている(そろそろ出来上がる頃かもしれない)。

どこそこの病院の精神科は自殺者がいっぱい。

ここはすぐに注射をする。

お薬たくさん、等々。

精神科(心療内科)の内輪情報が満載だ。営業妨害になるからと、ここへは行っちゃダメ、ということは書けないらしいが、それが一番言いたいことでもあるはずだ。

この精神科に行ったら、こんなに酷い目にあった。

運まかせで病院やクリニックを選ぶしかない現状では、その固有名詞が患者にはぜひとも必要である。

家族を自殺で亡くした遺族たちの情報や、経験者の情報から作られた「命のマップ」は、残念ながら宮城県内に限っての情報である。

全国版があればいいと思うが、このマップは、言葉のあやでなく、自死遺族の情報から成っているという意味で、本当に「命」がかかっている情報なのだ。全国版は非常に難しいかもしれないし、そもそもそんな悲しいマップを、なぜ私たち自らが作らねばならないのか?

そこまで精神科という領域は堕落してしまっているということかもしれない。自浄能力は完全に失われているという現れかもしれない。

癌の手術の成功率など、いま医療分野も情報公開の時代にもかかわらず、精神科分野は外部からのメスも入らず、密室的であり続ける。そこで、ひっそりと、少しずつ少しずつ、患者の命が奪われ続けているのである。