子どものころ、社会の時間で合計特殊出生率について勉強しました。
このままでは増えすぎた老人を支える人が減ってしまう。
だから私は大人になったら子どもを3人産もうと思いました。
社会を立派に支えるため、ご老人方の老後の安心のため。日本の未来のために。
小学生の頃でした。
でも実際、我々夫婦は子どもは1人と決めています。
理由は、我々夫婦と、二人の間にやってきた子どもの幸せが一番大切であると思いなおしたためです。
小学生の頃の私は、社会の為に自分を犠牲にする気満々でした。
子育てが大変なのはわかっていましたし、その分自分たちのお金が無くなるのもわかってました。
しかし、それでも自分が苦労をして、社会に貢献することが当たり前だと思っていたのです。
正直、老人になって働けなくなったら、子どもたちに悪いから、身支度きちんと整えて自殺することも
視野に入れていました。
自分を犠牲にして社会に貢献することが自分の義務であり、幸せだと思っていました。
幼い女の子がどうしてそういう思想になっていたかはよくわかりません。
立派な子だと思われたかったのかな?
そう思わないと社会に受け入れられないと思っていたのかも。
けれど実際はそうじゃない。
旦那と出会って、自分が「社会のための自分」ではなく、「自分たちのための自分」になったのです。
だから、子どもは1人です。少子化問題なんて、もう知りません。大切なのは私たちの幸せです。
そう思えるようになったのは旦那のおかげです。
それに、少子化問題、あまり問題でもない気もしてきています。
だって日本、人口多すぎるんですもん。
老人が多いのと、彼らを支えることが大変なのは確かに問題ですが、
そしたら老人だって、働ける人は働けるようにすればいいし、
子どもを増やすことより
今いる子どもの未来への支援や、働く人への支援で、カバーしていけるのかなぁと最近は思っています。
産む自由を保障するために、産みたい人が産める支援は必要だと思うけど。
あとは、生活保護の人とか、引きこもりの人への支援ももっと充実してほしいところ。
本人たちに寄り添って、無理矢理じゃない方法で、
そういう人たちに合った生き方を親身になって一緒に考えていける体制が欲しいと思います。
働かせることがゴールじゃなくて、本人の幸せと自立をゴールとした考え方を軸に、支援体制が整うといいなぁと思っています。
社会的に立場の弱い引きこもりや生活保護の人たちの苦しみを「自己責任論」でつっぱねる今の思想は
ちょっと好きじゃないです。そういう考え方が自分たちの首を絞めてる気もするし。
なんて、身近に居ないので単なるエゴかもしれませんが。
以上。最近思うことでした。