3年くらい前に、ファッション雑誌で植松努さんのインタビュー記事を読んで

いいこと言うなあ、と思って検索したら

TEDで講演してる動画を見つけた。

 

あったかい話し方の、優しそうなおじさん。

易しい言葉で、当たり前のことを話しているのが

とても心に響いた。「当たり前のこと」という言い方は

ちょっと けなしているようで違う気もするけど

小さい頃とかに「こうするのがいいことだ」って無意識に感じたような

そんな、もとから心にあった良心みたいな気持ち。

困ってる人は助けてあげたい、とか
ゴミが落ちてたら拾って捨てよう、とか

一生懸命はたらこう、とか
今日はもう寝て、明日になったらいい自分に戻れる、とか


 

それが、大きくなっていくうちに
いろんな場面で「あれ?おかしいな」「これじゃダメなのかな」って感じて

周りに合わせて、上書きしてきた、そういうことに

気付かせてもらえたんだなあ、って思った。

 

今の世の中って

不安になることを、みんなが言う。

それが世界の決まり事みたいにみんなが言う。

効率、時短、コスパ、ポテンシャル、スキルアップ、無駄

今まで、「こういう自分でいたいなあ」って

無意識に信じてたようなことが

端の方から一つ一つ否定されて、

この世の中で生き抜いていくには

こうしないとダメなんだろう
そう信じるようになって

生きるのに焦燥感とか感じるようになる。

 

 

それを

いいんだよ、それでいいんだよ、大丈夫なんだよ

そう言ってくれる、そんな感じの心強さを

この人の言葉からはいつも感じる。

だから本当に、心の元気が出る。
今日は、心の元気が無くなっちゃたなあ、って時に

ふと取り出して読むと(植松さんの著書)、止まらなくて、

明日も仕事なのに3時ころまで読んで、ズビズビに泣いたりする。

 

「あたりまえのこと」を肯定してもらえるって
本当に心強いんだな。

こんな人がそばに居てくれたらいいのにな

と、いつも思います。

 


夢はぼんやりしていていい

 

私は具体的な夢を持てたことが無かった自分を

やる気が無いって、ずっと思ってた
絵を描くのが好きだけど、長時間描いてたら飽きるし
裁縫が好きだけど、チクチクするのが好きなだけだから

大作とか作りたくないし、作った物いらないし

お掃除も好きだし草抜きも好きだけど

そんなにする場所ないし

 

一体私は何をしたいんだ?ぜんぜん、何もないじゃん
つまらない人間だな

そうやって思ってたけど

ぼんやりした夢なら

「一生懸命仕事して、誰かに喜んでもらいたい」

 

私は離婚してからずっと事務の仕事をして

プロジェクトでもないし

モノづくりでもないし

私のやってることって、何の役に立つんだろう

そう思ってきたけど

 

ぼんやりした夢を知ってから

一緒に働く人に喜んでもらえる

そう考えて仕事をするようになったら
俄然、仕事が楽しくなった。
役に立つために勉強したり
いままで、雑用とイヤイヤやってたことも

自分からするようになった。

私は夢を叶えてる、
夢の形もそれぞれ
大きなプロジェクトを成功させたり
世の中を変えるようなことをしたり
それだけが夢じゃない
私には私にできる夢がある

世の中はそうやって回ってるから
私の夢にもちゃんと意味はある
そう思えるようになって

一番良かったのは

私自身が、何気ないただの日常を

毎日しあわせに暮らせるようになったこと。