私だったらこうやって貰えたら嬉しい
私だったらこう言われたら嬉しい
私だったら...
今まで長い間
相手の顔色ばかり伺って来た私
でももっと自分を大事にしていいことを知ったから
8年以上かけて
行ったり来たりしながら
自分の好きな事気付いて
自分を大事にしてきた
ただ
少々不器用な私は
今度は自分を大事にしすぎて
自分以外を大事にしなくなっていた
で、今廻り廻って
自分も相手も大切にしたいと
心から思い
自分なりに
どうしたら自分も大切にしながら
相手も大切に出来るのだろう⁉️
と考えていた矢先
ある出来事で
「自分だったらどう⁇」
と聞かれて
「わ~~~〜〜〜私だったら嫌かも」
こう言うことなんだんだね
やっとこさ
自分に腑に落ちた瞬間だった
これまでも何度も聞いた
相手の立場に立つ
自分事として考える
大切さ
でもやっぱり私出来てなかったんだね
と反省するとともに
これが自分事として考えるってことか
って今更かい
と自分で自分に突っ込んだ
私が誰かにしてもらって
嬉しい事をする
って決めた
もちろん相手はそれに対して
嬉しいかどうかは分からない
受け取り方は相手次第だからね
でも
「私がそうしたいからする」だけでいい
私だったらどうされたら嬉しいかな〜って
まずは考える
こうしてくれたら嬉しい
じゃあ私はそれをその人にしたい⁇
って自分に聞く
したい
じゃあしよう
自分も相手も大切にね
でふと考えた
じゃあ相手を優先して
自分を後回しにしてた頃の
私はどうだったんだろう
相手が喜んでくれるかな〜もあったけど
どちらかと言えば
私が
これをしたら嫌な思いをしないかな
これをしたら図々しいって思われないかな
これをしたら嫌われないかな
ってネガティブな妄想が軸だから
なかなか本当に自分がしたいことを出来ずにいた
特に大人数のグループライン等では
私がこんな事を言うなんて図々しいよねとか
この質問になんて答えるのが正しい答えなんだろう
もし間違った返信をしたら恥ずかしいよね
じゃあみんなの答えを待とうとか
もう基本外側
相手がどんな思いで
メッセージを入れてくれているのか
どんな風に返してくれたら嬉しいのか
と言うことは
考えもしなかった
そんな事を考える余裕が私になかったのだと思う
今思えばあの頃の私は
自分を守る事ばかりで頭がいっぱいだったんだ
自分のボロを出さないように必死に作っていたから
でも今はずいぶん自分を作らなくなった
だから凄く楽になった
とはいえ失敗したり間違えると焦りはする
でもいやいや焦るのはやめたじゃん
と思い直せる私
人間って本当に面白い
私って本当に面白い
私あの人と誰を重ねてるんだろう⁉️
私おばあちゃんって思っていたけど
実はお母さんなのかもの
今ふとそう思った
お母さんに怒られた記憶はあまりない
ただ
私が大きな決断をする時は
すぐには賛成しなかったな〜
本当に大丈夫⁉️
って基本的にネガティブ発言が多かったし
不機嫌な時は態度に出ていたから
顔色を覗っていた記憶はある
ただそれにもまして
おばあちゃんは厳しくて良く無口になって
怒ってたから
まあどっちもかもな〜
母は優しいし大きな声で怒らないけど
その中でも小さな私は
否定されないように
嫌われないように
間違えないように
していたんだろうな〜
1つ1つ鎧を脱いできて
自分の記憶を書き換えてきた
「みんなに愛されて育った」
今度はなりたい自分になるをやってみよう~
私「水曜日お芝居見に言ってくるね」
旦「誰の?」
私「中島裕翔」
旦「つむも?(ジャニーズ好き次女)」
私「いやいや1人で」
旦「えーーーーそんなに好きなの⁇」
「でもそういうのもいいか」
だって〜
今は自分の好きに正直に生きてます💞
そんな旦那さんには感謝です