蝶々貝に纏わる話 | イミリーのブログ


この蝶々貝に見覚えのある人を探しています。
見覚えのある人はいませんか?そう、あなたが拾った三つのうちの一つです。

なんてね。




はじめて北海道を旅したのは
二十歳の時だった

友だちとの二人旅


周遊券でまわりユースに泊まる学生のチープな旅だった

当時北海道に台風が上陸し
私たちの立てたコースは台風を追いかけるように進んだが
行く先々は
台風が過ぎ去ったあとで晴れていた



襟裳岬へは台風の影響で
夜遅くの到着となった

翌朝に出発予定の私たちは

分厚い海の荒涼とした浜辺で
蝶々貝を拾う時間はなかった



雨だったのは知床半島

知床ユースでは
ひとり旅の高校生と出会った


世捨て人のような

一風変わった男の子で

今で言う
米津玄師のような風貌だったと記憶している


「りんごがひとつ」の話や
無から有は生じるかと聞かれ
私たちは面白がって語り合った

その時彼は
自分の名前と
鎌倉に住んでいることと
父親の職業を話した


翌日は三人でヒッチハイクをして
知床から斜里を経て網走へ

旅は道づれとなり
しばらく同行していたが


網走駅から
サロマ湖畔のユースまでは
別々の方法で行くことになった


別れ際
喫茶店の二階で

襟裳岬では蝶々貝を拾えなくて残念だったと話すと

彼が拾った蝶々貝を見せてくれた

そこには三つ、形の違う蝶々貝が並べられた

私たちに「ひとつずつあげる」と言った


ひとつはきれいな形、もうひとつは少しいびつ、最後のひとつはかなり歪んでいた

「好きなのあげる」
「ほんとにいいの?」

友だちは迷うことなく一番形の整ったのを取った
私は少し考えて
少しいびつな方を選んだ

残ったひとつを
「僕はこれが一番よかった」と言った


その時
私は彼がとても眩しく見えた


誰が見ても一番形のいびつなものを

一番きれいと言ったから





サロマ湖で合流して
もう少し一緒に
旅を続けるつもりだったが


彼は現れなかった



ユースの人の話から

私たちより先に到着したが

予約をしていなかったため
満員で断られたようだった



私たちは
近くのユースに電話をして
彼を探したが
行方はわからなかった



それから約40年
彼とは
はぐれたままだ



私は今でも
蝶々貝を大切に持っている

イニシャルK.Oさん


あなたは今でも覚えていますか?

そしてあの蝶々貝を
持っていますか?