今日も朝からメイクしながら『眉ソムリエ なるみさん』の動画みてた。


したら、ケンカしてあいさつもしないで出掛けたら…

もし、それが最後の別れになったら…


と言うような話をしていた。


それを聴いていた私は…。


『そうなの!私、知っている!』

と思った。


我が家は私の兄が26歳の時、前立腺がんが肺に転移して余命半年…と言われ、予告通りに亡くなってしまった。


姉は、他県に嫁に行っている。


そんな訳で、実家での生活は両親と私の3人だった。


ある日、私は当時付き合っていた人とキャンプにいく約束をしていた。

母に、今日はキャンプだと話し、家を出ようとすると、「行くな!」と言われた。


「は?約束してるもん。無理!」

と言って私は家を飛び出した。


母は家を出る私に「何あっても知らね〜がらな!」と叫んでいた。



その日、父は私が強引に家を出た後、友人とフナ釣りに出かけた。 


出掛ける直前に父は


『友子は止めでもダメだよ!あれば好きにさせてやれ!』


と、言い残し家を出たそうだ。



その数時間後、留守を守っていた母の元に一本の電話がなり、

『県立中央病院です。小田さんですか?旦那さんが脳梗塞で倒れ、今、当院に運ばれている。手術をするにしてもサインが必要だ!至急病院に来てください!』


と、言われたそうだ。 


母は大急ぎで病院に駆け付け、再度『手術をするか?しても、意識混濁のままかもしれないし、寝たきりになるかもしれない!』と話されたそうだ。


母が出した答えは…

手術をしない!!


という決断だった。

母は急いで私の携帯を鳴らしたが、出るわけがない。

何せ朝にケンカして出掛けているのだから…。


翌朝の9:00過ぎに姉夫婦は病院に着いたそうだ。



一方、私は同じ市内にいるのにも関わらず家に帰らなかった。


私は、凄くソワソワしていたのを覚えている。

帰りたい! 

という気持ちが妙に出てくるのだが、母とケンカして出かけた手前、帰ってたまるか! 

帰り辛い…。 

と思っていたのだ。


姉夫婦がついて暫くして、父は命を引き取ったらしい。


私は…

多分その時間迄かなりそわそわしていた。

帰りたくてしょうが無かった。


でも、お昼近くになるとどうでも良くなっていた。


夕方近くに家に帰ると、近所の方に

『どこに行っていたの!お父さんが大変な事になったんだよ!早く家に入れ!』


と一括された。



そこには、硬く硬直した父が横になっていた。


私は、小さい時から父親っ子だった。

父が外で雪片付けをすると一緒に走って行って邪魔?(本人は手伝っているつもり)しに行っても、笑って一緒に手伝わせてくれたり、花の水をかけていると外に駆け出し一緒にホースを持ったり…


眠くなったら父の膝枕で…。

とにかく父が大好きだった。



それなのに…

嘘をついて出かけたので、死に目にも会えなかった…。

友達と行くと嘘をついて…。


止められたのに…。

電話にも出なかった!


どうせ帰って来いでしょ? 

まじウザッって思って…。



泣くしか無かった。

ひたすら泣いた。


冷たくたった父の側で…。

迎え入れた母と姉に

父さんはあんたに

『あれは好きにさせてやれ!

と言っていたと言われた。



そんな経験をした私は、最後のあいさつがどれだけ大切かを知っている。


嘘をついて出かけると、とんでもないしっぺ返しが来るかもしれない事も…。



それなのに…

たまに忘れてしまう…。

大切な教え…。


そういえば、私は生かされていた。

 

まだまだ忘れてはいけない何かを探し、そして人の為に…、お客様の為に一生懸命できる事を探して行きたい。


そして、この様な大切な事を思い出させてくれる仲間に出逢った事に感謝したい。


そしてそして…

何より感謝の言葉をたくさん言える人間になれるように努力していきたい。