マレーシアからおはこんばんちは。
マレーシアでの子育て、教育移住、学校選びマレーシアでの生活の参考に
*私は留学斡旋の仕事も手伝いもしていないので、忖度なく本音を書いています。
必要な人のお役に立ちますように
今回の一番の私の目的「ナシガンジャ」でお腹も満たされたので帰っても良かったのだけど、子供達が行ったことのないバトゥガジャに行くことにしました。Batu Gajahは象の洞窟の意味。
イポー駅着→オールドタウンの天津茶室で朝ごはん(サテー、麺、プリン)→HanChinPetsoo→ナシガンジャ→バトゥガジャ
まずは、幽霊屋敷と地元民に呼ばれている/呼ばれていた?ケリーズキャッスル。
旧市街、新市街からグラブで30分程度、約30リンギ(1000円)で行けます。
今では観光スポットとして人気のケリーズキャッスル。
私は20年ぶりの訪問。
私はこの近くにあるゴルフ場にあった映画「アンナと王様」のセットを見た帰りに友人の案内で廃城だったKellie's Castleと隣に建つヒンズー寺院を見学させてもらいました。当時は入場料も何もなかった廃墟。
その後、邦画「セカンドバージン」の撮影地になったそうです。知らなかった。
20年前は蝙蝠やハトの糞だらけ、
蜘蛛の巣と草木がはり、まさに廃城。
地元民には若者の肝試しスポットとして知られていたそうです。
この大邸宅では今も多くの霊の目撃談があります。
スコットランド人のケリー・スミスによって1910年に建設が始まり、
一時期居住していましたが、未完。
彼の旧邸宅は城の裏(実はここが正面)にあります。
旧邸宅は日本軍によって爆撃され、
外壁と階段、台所の一部だけが残っています。
でも、ここや城で目撃されている幽霊は日本軍に処刑された人ではなく、
ケリーやその子供の霊、ケリーズキャッスルの建設で命を落とした人たちの霊。
(噂です)
ケリーは20歳で測量技師としてバトゥガジャにやってきました。
成功を夢見て植民地に移り住んだ貴族、上流階級ではない若者の一人でした。
数々の失敗を乗り越え、ゴムのプランテーションの農園主として成り上ります。
33歳の時、結婚。事業も成功したケリーは長男の誕生を機にこの大邸宅を建設します。
インドから70人の大工を呼び、インドから材料を輸入するほど力を入れていました。
しかし、第一次世界大戦による材料費の高騰、ケリーの事業も業績が悪化、スペイン風邪の流行で多くの大工が命を落とすという数々の悲劇に見舞われ、完成は遅れ、
マレーシアの気候が大の苦手だった妻のアグネスも教育を理由に子供たちと英国に戻ってしまいます。
その時、ケリーは44歳。
そして、ケリーはこの大邸宅に取り付けるエレベーターを買い付けに行った帰りにポルトガルで56歳で病死。
このエレベーターは当時のマラヤで初のエレベーターになるはずでした。
その後、妻も子供達も帰ってくることはなく、ケリーの死後すぐに城とマラヤの財産は売却されました。
城は長い長い間放置されることになったのです。
この邸宅には地下避難通路が4つあったとされ、3つは見つかっています。
家族の寝室それぞれに地下の避難通路へ通じる狭い非常階段が設けられています。
そんなに多くの秘密の避難通路を設けた理由は謎のままです。
ケリーはこの城でどんな夢を見たかったのだろう。
無念だっただろうな。
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