【発達障害】「あの手この手その足この足」を使って生きる


発達障害を抱えている人は「これも駄目…あれも駄目…そっちも駄目…全部駄目…自分は何をやっても駄目な人間だ」となっていってしまう人が多くいる。


私もその一人で、音楽研究の世界で、自分には向かない「教授」という職が立ちはだかって挫折…さらに音楽研究に必要なスキルがLDによって著しく障害されていてダメ…学問系の世界は何をやってもLDの「障害」で「不可能」な「壁」が立ちはだかり全滅…大好きなピアノもASDの「ロボット病」の障害でアウト…ウェイトレスの仕事もASDの平衡感覚障害でお盆やお皿をすぐにガシャンっと落として割るので駄目…料理もロボット病障害で包丁がうまく扱えなくて壊滅的…極度の度を超えたパソコン音痴で事務職もアウト…話すのが大の苦手で営業職なんてとんでもない…掃除関係もASDの嗅覚過敏が異常過ぎて匂いに耐えられない…まだまだある…もうここまでくると本当に「私は何をやっても駄目だ、全滅だ、終わった」となってしまう。


人はよく「なんとかなる。あの手この手を使ってうまく生きなさい」と言う。


私は「あの手この手」だけなんかじゃ足りない。「あの手この手その足この足」の4つを使って、なんとか自分に合った道を見つけ、夢を叶えて今がある。


その叶った夢とは憧れだった「ハンドメイド作家」であった。家で仕事ができて、大好きな手芸やペーパーアート作品を作って出品活動を続ける、これは私にとって天職だった。


最初「ハンドメイド作家で生きていくのは狭き門で、ほんの少数の人しかなれない」と知った時、さすがに「ダメかも」と思った。でも私にはもうそれ以外、残された道が何一つなかった。


ASDでジェンダーがおかしく、ジェンダー的に「Xジェンダー・不定性」(男と女が揺れ動く、日によって自分の中の男性・女性の割合が変わる)でアセクシャル(無性愛者: 他者に対して恋愛感情も性的欲求も抱かない)でアロマンティック(他者に恋愛感情を抱かない)な私は「結婚」という道さえものが失われてしまってなかった。


「狭き門でもいい。ハンドメイド作家になろう」と決心し、活動を始めているうちに、いつしかハンドメイド作家「魔法使いアリス」になれていた。今は本名で呼ばれることより「アリスさん」と呼んでくれる人たちのほうが多くなってきた。とても嬉しい。


私は幸い「微細運動」が障害されていなかったので、細かい作業や手先は逆に得意だった。救いが残っていた。たった一つのそのことに気づくのに何10年もかかってしまった。それまで「私は全ての道が塞がれた人間で、何をやっても駄目」と思い込んでしまっていた。


人間、どんな人でも、必ず、何か一つは、取り柄があるものである。神様は不公平なことはしない。その取り柄に気づくか気づかないかの「旅」にでることが人生の大きな冒険の一つである。諦めてはいけない。取り柄が何もないと思っている人は、まだ気づいていない、見えていない、探せていないだけで、絶対に何か一つは道があるものなので、どうか諦めないで欲しい。


私は、小学校の時にピーターパンの映画にすごく感動して、ピーターパンに憧れた。ピーターパンに影響を受けて「私もピーターパンみたいに、いつまでも子供の精神を失わない人間になりたい」と強く思って生き続けた。


そしたら36歳だかの時に、自分の発達障害が判明し診断が下りた。その時「え…私って発達障害…え…それって…小学校からの『いつまでも子供の精神を失わない人間になりたい』っていう信念そのもののこと…え…私がピーターパンに憧れたのはそういうことだったのか」と納得がいった。


お兄ちゃんにピーターパンの子供の精神の話をすると「俺はそんな低レベル人間の精神なんか絶対嫌だ」と言われた。でも、最近、孟子という思想家が「子供の心を失っていない者は偉大である」と言っているのを知った。ピーターパンの子供の精神の思想を「低レベル人間」としか解釈しないお兄ちゃんの頭のほうが「低レベル人間」なんじゃないかと思う。


自分の発達障害のことを知って、知りたいことはメーテルリンクの『青い鳥』の物語のように、自分のすぐ近くにあるものなんだなと、思った。普段から見ていた当たり前だと思い込んでいた我が家の毎日の物探し病が、誰にでもある当たり前の「度」ではなく超異常の「度」であり、毎日のその光景がまさに「発達障害」だった。探していた答えが目の前にありすぎて見えなかった。ピンク色のメガネをかけて、ピンク色の世界が当たり前だと思ってしまっていた。メガネを外せば答えがあるのにそれに気づけない。灯台下暗し。


最近、糖尿病の数値が高くなり、何か運動をしなければいけなくなった。


私が一番好きな運動は、音楽をかけて激しく動くエアロビクスや、音楽にノリながら最後、超高速で漕ぐエアロバイクである。でも私は発達障害の二次障害で躁うつ病を発症してしまっているので、エアロビクスやエアロバイクのように、音楽効果のある激しい運動をしてしまうとハイになってしまい、激しい「躁状態」に躁転してしまい、病状が一気に深刻になってしまう。かといって、ヨガやピラティス、太極拳のように動作がゆっくりとした運動は、多動性のあるADHDの私には、じれったくてもどかしくてイライラして嫌になってしまうのでどうしてもできない。運動への道が完全に断たれたと思い悩んでいた時、私の「あの手この手その足この足」が有酸素運動の「トランポリン」という私に最も合った運動を見つけた。


私はASDゆえ、昔から飛び跳ねることが大好きだった。大人になった今でも飛び跳ねることがとても楽しい。そんな私にトランポリンはまさにぴったりなものだった。音楽をかけながらトランポリンをやればよりいっそう楽しいのだと思うけど、躁うつ病の私は、経験上、音楽の力が加わるといつも必ず激しく躁転してしまって、躁でオカシクなって入院という道を何度も辿ってきたので、トランポリンは音楽をかけないでやっている。でも音楽なしでも、飛び跳ねることが大好きな私は、飛び跳ねているだけで十分楽しいので、家用のトランポリンというのに出会えて本当によかった。


発達障害の人は「あの手この手」じゃ足りない。「その足この足」まで使って必死に生きないとうまくいかない。


日本だか海外だか忘れたけれど、どこかに発達障害の人だけを集めた会社というのがあるらしい。発達障害だけの人を集めた会社が日本にたくさんあったら、発達障害の特性を活かした理想の会社になって、発達障害の人たちの生きづらさが解放されるのに…と思う。また、海外のように、発達障害の人だけの「大学」があったら、どんなに生きやすいことかとも思う。早く、日本にも発達障害だけの「学校」ができて欲しいと、切に願っている。


ハンドメイド作家「魔法使いアリス」

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