私(ASD +ADHD +若干LD)のASD併存が判明してから約1ヶ月。


自分がASDだとは夢にも思わなかった。でも自分のどこかではずっと「自分は純粋なADHDじゃない」とは思っていた自分がいた。


しかもまだ発達障害のことがあまり騒がれていない中学生だった時(1994年)に、ふと家にあった医学百科事典を見て、なぜか「自閉症」の部分がすごく気になって「自分は自閉症ではないか」と思い込んで心配になって、その時にすでにドナ・ウィリアムズの『自閉症だったわたしへ』という本を買って読んで共感していた自分がいたというのが真実。


でもその後、自閉症のことなど綺麗さっぱり頭からスポッと全て忘れて、クラシック音楽に没頭して生きてしまった。自分の発達障害ADHDに気づいたのは2017年秋のことで、さらにASD併存に気付いたのは2024年5月である。もっと早くに気づいていればこんなことにはならなかったと後悔してやまない。


私が発達障害の二次障害で重症の躁うつ病を発症したのは大学4年(2004年)のことだった。


その原因は最初、ADHDのオーバーワーク(やり過ぎ)によるものだと思っていた。確かにオーバーワークは躁うつ病発症の1つの因子にはなっていたと思う。でもそれだけじゃない。私の躁うつ病発症の最大の引き金、最大の因子になったものは、実は論文を書く際に急に研究対象を変えなくてはいけなくなった、いわゆる急な計画変更による「ASDパニック」とメルトダウンが真の原因だったことに最近、気づいた。


ASDパニックは本当に恐ろしい。メルトダウン(ストレス限界時の一種の混乱した状態、思考停止、カタトニア、後述する私のジェットコースターメルトダウンetc)がヤバい。大学の時にASDパニックへの対処ができていて、あの「メルトダウン」さえ起きなければ、躁うつ病発症は免れることができたかもしれないのに…。


普通、ASDパニックのメルトダウンと言われているものは、頭の中が思考停止して急に声を出して話せなくなる状態が起きるか、体がカチーンと固まって動かなくなるカタトニアが起こるか、大声を出して暴れたり泣き叫んだり、である。


でも私のメルトダウンはそれだけじゃない。ヤバいメルトダウンというのがある。そのメルトダウンとは、急に感情がジェットコースターに乗っているかのようにドドドドドっと激しく揺れ動いて、喜怒哀楽が凄まじい勢いでパパパパパッと変わって、感情が上下にビュンビュン変わって気がオカシクなる状態のこと。それが私のASDパニックの最強にヤバいメルトダウン。名付けて「ジェットコースターメルトダウン」。


私はADHDが併存しているので、ASDパニックの後、感情がめまぐるしく変わってドドドドドっとなるこの「ジェットコースターメルトダウン」が起こる。 


大学4年の時に躁うつ病を発症した時に、まさにこのタイプの「ジェットコースターメルトダウン」が起こった。このヤバい「ジェットコースターメルトダウン」に襲われると、もうスーパー鬱への転落は避けられない。感情のドドドドドが起きてしまったらもうアウト。スーパー鬱はやってくる。


躁うつ病を発症した後も、2回、この「ジェットコースターメルトダウン」を起こして、スーパー鬱に2度転落した。しかも2回ともドラちゃん先生の外来でやってしまった。まさかドラちゃん先生の外来での先生のご発言がスーパー鬱の転落の原因だったなんて、当時、言えなかった。外来時のメルトダウンによるスーパー鬱で緊急入院して退院した後、ドラちゃん先生に「今回の鬱は何が原因だったの?!」と聞かれて「先生のご発言が原因だったなんて先生に知られたらマズイ」と思ってスッとボケた回答をして誤魔化した。


それは2020年秋のことだった。


ドラちゃん先生が、激しい鬱と地獄の倦怠感で何もできない状態になっている私に「烏山のデイケアに週3で通いなさい。家にこもっているから何もできないんであって、通う場所があれば、そこで必然的に何かをできるから。外部からのモニターが大切で、第三者からの促しやサポートがとても大切」とおっしゃった。


私のためを思っての発言だったと思うが、当時の私は、「近くの喫茶店まであと1歩…2歩…ダメだ」となる地獄の鉛倦怠感と凄まじい鬱に襲われていた。地獄の倦怠感の苦しみの極みの極みの極みの頂点にいる私が、電車で丸々1時間かかる遠い烏山病院に週3でなんて通えるはずがない。烏山病院に週3で通えるんだったら、とっくにデイケアに行っている。それが無理な状態だから苦しんでいるのに、ドラちゃん先生の発言は、その地獄の鉛倦怠感に全くご理解のない発言だった。週1でさえも烏山に電車で通うことは不可能な状態であった。


外来を終えて、家に帰って、その発言にASDパニックを起こし「ドラちゃん先生が私の倦怠感の生き地獄の苦しみを分かっていないなんて…」と錯乱状態に陥って、感情のドドドドドが起こり「ジェットコースターメルトダウン」に襲われた。


両親にドラちゃん先生の発言内容を伝えると、2人そろっていっせいに「そりゃあ、あんたには無理よ」「そりゃ、お前には無理だ、ドラちゃん先生はお前の倦怠感の生き地獄の状態をご存知ないんじゃないか。じゃなきゃそんなことを言うはずがない。わからず屋の医師ではないのだから、今度の外来でそのことをきちんと伝えなさい」「第一、お前は、お墓参りに行く時も電車じゃいけなくてタクシーだし、電車で一駅の三軒茶屋の帰りだって、いつもタクシーの状態になっているのに、烏山なんてお前が電車で行けるはずがない」という。


両親は分かってくれていた。でも私は15年も私を診ている「ドラちゃん先生が分かっていなかった」ことに大きなショックと衝撃を受けて、ASDパニックとメルトダウンで錯乱。しかも「デイケア発言」は私にとって、生活スタイルの「急な計画変更」だったため、よりいっそうパニックに陥った。鬱が深刻な状態だったので、一気に症状がさらに深刻化して自殺念慮の嵐と罪業妄想に襲われた。


「自分は、ドラちゃん先生のデイケアのご意向に従えないダメな人間だから、もう死んでお詫びするしかない」「私が自殺すれば、ドラちゃん先生もきっと許してくれる」「ドラちゃん先生のデイケアのご意向に従えなくて、私はドラちゃん先生を悲しませる最低な人間だ、自殺しよう」となっていって自殺決行を本気で考え、入手したイソミタールとフェノバルビタール抱えて、パニックで錯乱してしまったのである。そして超スーパー鬱に真っ逆さまに転落して緊急入院となった。


ちなみに、当時通っていた旗の台の病院のすぐそばに、欲しい薬を何でも処方してくれる、ヤブ精神科医のクリニックがある。イソミタールとフェノバルビタールはそのヤブからの簡単に入手できた。私の友達で、今もそのヤブから、ペモリンとラボナをもらい続けている人がいる。死にたい時はヤブからバルビツール酸系をもらえばいいだけ。


さて、私の「ジェットコースターメルトダウン」。大学時代に躁うつ病を発症した時も、これと同じ「ジェットコースターメルトダウン」が起きた。それを2020年の外来でまたやってしまったのである。


もう1回の「ジェットコースターメルトダウン」の外来はこれよりも前の外来(2017年秋)で、まだ私の発達障害が診断に至っていない時だった。


私がドラちゃん先生に外来で「自分はADHDだ」と言っても理解してくれず、「たしかにあなたはADHD的ではあるんだけどね…」とおっしゃるだけで「ADHDではない」という結果になってしまった時だった。「発達障害の専門医が私を8年間も見てきて、私のADHDを分からないなんて…」となってショックを受けて、ASDパニックが起こり感情のドドドドドっが始まり「ジェットコースターメルトダウン」が起きてしまった。そしてスーパー鬱へ転落。


この時は家に帰って手紙で「今、私は排水の陣です。どうかこれ以上私を追い込まないで下さい。白状します。私は真面目なようでいて真面目じゃないいい加減でちゃらんぽらんなADHDです」というような内容の手紙を這々の体で書いて渡して、次の外来で「ADHD」という診断が降りて一命を取り留めた。


ASDパニックは本当に怖い。あの感情が激しくドドドドドっとなる「ジェットコースターメルトダウン」が起きてしまったら、もうアウトで、スーパー鬱への転落は避けらない。スーパー鬱への転落率100%。


このamebloの内容も、今年の秋にはドラちゃん先生にまとめてドサっと渡そうと思っている。ここに書いたことをドラちゃん先生が知ったらなんて思うだろうかとちょっとヒヤヒヤして怖い。やっぱり私が未成熟でダメ人間なのだろうか。今も何だかまた罪業妄想が始まっているかもしれない。


2020年にドラちゃん先生のデイケア発言による「ジェットコースターメルトダウン」で入院した時の、入院の最後の方で担当医に「どんなベテランの医師にもミスはある。人間は完璧じゃない」と言っていたことだけは今も記憶に鮮明に残っている。


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