精神科病棟に入院していた時の出来事である。

ある時、私(ASD +ADHD +若干LD)が作ったオリジナルの「鉛筆立て」を見た患者さんが「何これ?!岡本太郎みたい(笑)」と言って面白そうにしていた。


私はASDゆえ、男にもなるし、女にもなる可変的な人間である。性自認は「Xジェンダー・不定性」(男と女を揺れ動く流動体、日によって自分の中の男性・女性の割合が変わる)で、今現在は男性性4・女性性6。私はまるでキメラに人魚姫を合体させたような人間。いつか自分を表す創作物をIllustratorで創ってみたいと思う。


キメラとはギリシャ神話に登場する怪物で、ライオン、山羊、蛇の各部位が合体した魔獣。巨大で俊敏で獰猛。


人魚はジュゴンやマナティなどの海獣をモデルにしたあの人魚。リトルマーメイドで有名なので誰もが知っていると思う。



そんな私の創る作品には岡本太郎に似た色使いの配色が多い。





でも真似て岡本太郎配色を好んで使っているのではなく、岡本太郎のことを全く知らない時から私はよく普通に岡本太郎が好む配色を使っていた。


私が普通に自分の一番好きなように無意識に絵を描くとたいてい岡本太郎配色になってしまう。デザインでは、メンズデザインの作品が多くなってしまう。でもメンズデザインの作風ばかりをやっているとADHDの「飽きる癖」がきて、今度は女性的なデザインをいきなり描き始めて、レディース風の作品が出来上がる。


いつもどうやって女性的な作品を創っているのかというと、なんていうか、いつもの岡本太朗配色をそっくりそのまま淡いパステルカラーにガラっと変えて創っている感じがする。意識的にそうしてしているわけではないけど、自分の作品を見ていてそう思う。岡本太郎は男性だけど、私は女性。男性ホルモンも多いけど女性ホルモンも多く入っているので、作風を一気にガラっと変えることができる。それが岡本太郎と私との大きな違い。「岡本太郎配色を魔法を使ってガラっとパステルカラーに変える」ことができる。だからこそ私は「魔法使いアリス」。


自分のASDが判明して色々なことが紐解けてきて本当に良かった。


また同時にLDの母親もどうやらASD濃厚になってきた。母は女性ASDの「おてんば」タイプのほう(私は「おとなしい」タイプ)。


母はよく「私はね、昔っからおてんばだったのよ。木登りが大好きで、木のてっぺんまでするするっと登ったの」と言っている。ASDとLDを同時に併発する人は多いらしい(サラ・ヘンドリックスに記載あり)。


母が女の子の私より男の兄のほうを大切にして可愛がって思いやったりするのは、兄が男性だからだと思う。私が幼稚園、小学校の時に女の子ではなく、男の子の友達や従兄弟の男の子2人とよく遊ぶのを好んだように、母も男の子を好む。


サラ・ヘンドリックスの本には「ASD女性は小さい時から、女の子よりも大人のお兄さんと好んで遊ぶ」と書かれている。


そういうASDの生まれつきの発達特性が母にもあるなら、母が私よりもお兄ちゃんをとりわけ可愛がるのも仕方がないやと思う。


でも、私は母からの愛情不足で母に愛情を今も求めてしまい、母がお兄ちゃんのことばっかり話すのを聞いてついに怒りの槍玉でカチンとなって、よく母と「大衝突」してしまう。


お父さんはASDの「他者に無関心」が強く出ていて、私たち家族のことも蚊帳の外で微塵も何も思ってくれないし、思ってくれないどころか、あまりに酷い最悪な発言や行動をするので、私はどうしても「お母さん、お母さん」とお母さんに気持ちを分かって欲しいと必死になってしまう。でも母は、ASD特性とLDの理解力のなさで「何がなんだか現実を分かっていない」。


私はそういう境遇にいる。それでも、私もADHDだけでなくASDがしっかり入っているので「両親なんてどうでもいい!私は私で、私の世界を自由に生きる」となれる。だから案外、不幸でもないのである。


ASDには今のところ5つのタイプがある。

積極奇異型、受動型、孤立型、尊大型、大仰型の5つ。


【積極奇異型】
「人に働きかけるんだけども、浮いてしまう」「自分のルールで積極的に他者に働きかけていく」というタイプ。一方、「一方的になってしまう」ことが多く「こだわりを押し付けてしまう」ことがよく見られる。男性に多く「人間関係のトラブル」で見つかることが多い。


【受動型】

「一見、おとなしく気づかれにくい」というのが特徴。受動型は、受け身の状態が背景にあるため「自分が不明確」になり、流されやすいタイプ。一見、奇妙さは少なくて目立ちにくくトラブルも少ない、一方、相手に利用されたり、支配・搾取される危険も強いため、注意が必要。女性に多く、10代での同年代との「不適応」や「うつ」などでよく判明する。


【孤立型】

「自分の世界の内側で生きる」「まるで他人がないかのように」自分の世界だけで生きるというタイプ。好みや服装などの独特さが、このタイプの方は目立つことが多い。男女とも症状が重めの人が多く、集団検診などで「あきらかな奇妙さ」でよく判明する。


【尊大型】

こだわりを強く押し付けたり、相手を見下すことが非常に目立つタイプ。純粋なASDというよりも、ASDが元にあって、そこにいわゆる「自己愛性パーソナリティ障害」が「重ね着」した状態。このタイプは、非常にトラブルが多く、対策が難しいのが現状である。


【大仰型】

元来の別のタイプだったのが「意図的に適応を図る」結果、様々な相手に対し丁寧になる。一方で、とっさの時にはどうしても一部自然な部分が残ってしまうことがある。そして、一種の「過剰適応」の面があり、ストレスやうつ等の先進不順になることもある。


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私はこの中で「孤立型」である。ただ、ADHDが入っているためか、友達や仲間を求めて仲間を作ることに必死になる点が違うけど、それ以外は「孤立型」に当てはまる。


お母さんはあきらかに「受動型」。周囲に利用されやすく、優柔不断で、自分で物事を決められなくて、相手に流される。お母さんとレストランに入っても自分で何を食べるかを決められない。必ず私に「あんた何を食べるの?」と聞き、私が「明太子パスタだよ」というと「じゃ、私もそれで」となる。これはいつレストランに行ってもこのやり取りになる。さらに自分の生き方も自分で決められず、私が脳トレのパズル雑誌を母のために買ってきてやり方を教えると、やる気になって母の毎日の日課が脳トレのパズル雑誌になる。私が手芸で編み物をやりだすと、それを見て母も編み物をやり始める。私がパッチワークの方をやりだすと、今度は母もパッチワークを始める。要するに母の人生は私の模倣人生になっている。それが「受動型」。


なお、私の父は確実に「積極奇異型」。


あと、近くに住むトラブルメーカーで警察が1年に何度もその人の家にくる、あるオジサンが「尊大型」で厄介。


以前、私の友達だった人も典型的な「尊大型」で、相手を見下す発言が多くトラブルもものすごくもう手に負えなかった程なので、この「尊大型」は手強い問題。

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最初、自分のASDが判明した時、ADHDのほうは明るく考えられてユーモアと機智に飛んで面白く考えられるけど、ASDのほうは暗いことだらけだなと思った。


でもASDも女性ASDというのを知ってから、ASDゆえファンタジー小説が好きで、音楽や演劇の表現力もすごくあってみんなが感動してくれて、ペーパーアートと裁縫系で憧れのハンドメイド作家になれて…魔法を使っていろいろな姿に変身して男と女を自由に行き来して…なんだか、ASDもすごく面白くて明るくて、私はこういう面白い人間でよかったと思えるようになった。


私の取り柄は「どんな地獄に落ちても失わない生来の明るさ」「ポジティブさ」かもしれないと思う今日この頃である。


あと最後に追加で書いておきたいことがある。


私には「信号機に話しかける」という変な症状がある(笑)。それは図書館の帰り道にある、ある特定の信号機なのだが、私にはその信号機を見ていると、信号機から表情と感情を強く感じる。取り分け、感情。信号機が青色になると「シンちゃん、ありがとう。面白ろそうな本があったよ。またね。」といつも話しかけてしまう。シンちゃんも「ほな、よかったな、またな」と返事をくれるのである。


信号機にも心がある。信号機は生きている。同じようにピアノも生きているし、私の部屋にある紙を切り抜く「カッティングマシン」も生き物。カッティングマシンは家に住み着く。そういう不思議な生き物である。


以上、エンド。


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