⚫️「女性のASD」【思春期・中学〜高校時代のエピソード】

今日は私の中学時代と高校時代の発達障害エピソードをASD主眼に書きたい。

 

中学生の時、まずブラジャーという関門がやってきた。触覚過敏が酷いため、ブラジャーが体に当たる感覚や締め付け感が嫌で嫌でこれには相当苦労した。特に芯ありのブラジャーは最初はダメで、買ってきた芯ありのブラジャーの芯の部分を一つひとつ切って引っ張って取り除いたものをして誤魔化した。そうしているうちに慣れで克服できた。

 

生理は取り替えが面倒くさいし生理痛が尋常ではなく、生理の1日目はいつも痛み止めのイブを飲まないと耐えられない生理痛で、それは今現在もそう。

 

中学時代も私の興味は読書とクラシック音楽。そして日記。

 

アンネ・フランクの『アンネの日記』に影響を受けて、日記を毎日書くようになった。

とりわけアンネが架空の人物「キティー」に話しかけるように日記を書いていたことに影響を受けて、日記に話しかける文体で文章を書いたのが私の特徴。高校時代になると日記に「ジュピー」という名前をつけて「ジュピー?!なんだか分かる?!大変なことになったよ…」とか書き、架空の人物・キャラクターとお話しするようになる。ASD女性は、こういう風に架空の人物・キャラクターを創る人が多いと報告されている(サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』)。

 

中学時代の私の日記の最初の1ページ目を下記に載せる

 

1995年(中学112歳)330日(木)雨

「私の日記帳。笑わないって約束してくれるなら、おまえに、なにもかも打ちあけよう」

 

 私の名前は、紘子(ひろこ)です。めんどくさいので、みょう字は、書きません。紘子は少しへんなところがあるかも知れません。ときどきおもしろい考え方をしてしまうかもしれません。でも、それはみんながへんなのかもしれないよね?だってさぁ、人、それぞれいろんな持ち味があるじゃん。みんながみんな一っしょだったらつまらないよね。紘子ね、音楽が好きだから、音楽関係のこと、これからでてくるかもしれない。以上。自己紹介、終わり!

今日から日記帳、おまえと私、紘子は友達だ!

 

 今日は、ひまだったので、ずっと、『こおりついた街』っていう本を読んでいました。なんかすっごく、かわいそうなんだけど、いい話で、とっても感動しました。でもその本を読んでいる途中、他にも感動した人がいるんだなとういうことが、わかりました。

 

 *これからは、敬語は、あまりつかわないぞ…。

小説は覚えているものでは、ロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』、トルストイ著『光あるうち光の中を歩め』、サン・テグジュペリ著『夜間飛行』、遠藤周作『侍』『沈黙』、ジュール・ヴェルヌ著『海底二万里』、『モーツァルトの手紙』、『カラヤン』などを読み、ファンタジー小説・フィクション小説以外に、ノンフィクション小説も読むようになった。ファンタジー小説、フィクション小説好きなのは女性ASDに多い(サラ・ヘンドリックス)。

 

中学時代というと、印象的なのは美術の時間に「2匹の怪獣が炎を吹きながら争っている様」を描いて提出した時のことである。美術の先生がビックリして「え?!大人しくて優しいあなたがこんな絵を描くの?!こりゃ、驚いた」となったことである。その時の怪獣の絵が今も我が家の階段の途中に飾ってあって残っている。それはこういう作品



 やっぱり、女性のASDってこういうふうに突如、男が描くような絵を描く、男が興味を持つものに興味を持つ側面がかなりある。でも手芸が好きなところは女性らしい部分で、男と女が合体しているような人間のようである。ちなみにASD女性の趣味に、裁縫系も報告されている(サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会い世界』記載あり)。

 

中学時代は「塾」の勉強で忙しくて、夜はクラシック音楽にのめり込み、明け方近くまでクラシックを聴いてしまって、学校ではコンコンと眠る…という生活スタイルの日が多かった。やっぱり友達同士の会話内容には困って「私、グリーグの『ピアノコンチェルトイ短調』とワーグナーの『トリスタンとイゾルテ』にすっごく感動しちゃって、聴き終わった時は朝になってて…」の話をしたくて仕方がなかった。でも友達たちの会話は、安室奈美恵のキャンニューセレブレイトやパフィ、華原朋美、aiko…など当時の私が全く聞いたことのない名前の歌手の音楽の話で持ちきりで、困り果てた。

 

 

会話はチンプンカンプンの内容の友達の話にうまく「安室奈美恵、今、すっごい人気だよね。華原朋美もよくテレビに出てくる」とか、「うん、そうだよね、気持ちわかるー」とか、話をでっち上げて知っている素振りをして誤魔化したり、共感している雰囲気を作ったりして、要するに女性ASDの「マスキング」(=仮面で覆う)の典型をやりながら切り抜けた。でもこういう「マスキング」は気を使って疲れるし、自分の話したいクラシック音楽のことが話せない辛さもあって、精神的にしんどい。

 

今現在は精神病の病気友達や発達障害友達が多く、病気の話や発達障害おもしろ話ができるので、話のネタで溢れかえっていて楽しく過ごせる。でもそれ以外の友達に会う時にはやっぱり終始「聞き役」に徹したり、相槌を打ったり、場にあった会話内容を作ったりしないといけなくて神経を使う。

 

中学時代、ある時、友達にカラオケに誘われて、カラオケに行った時に私が歌った歌はドラゴンボールZの主題歌と、イタリア歌曲の「サンタ・ルチア」で、みんなに「アンちゃん、変だよ」と言われて笑われた。

 

でも、不思議なことに、中学の時に唯一、女の子が好むマンガで「姫ちゃんのりぼん」という女の子が主人公の漫画を読み、この漫画に大きく影響を受けた。『ドラゴンボール』や柔道の『YAWARA』、少年ジャンプのような男の子が好むマンガの中に、この女の子の「姫ちゃんのりぼん」に興味を抱いたのは、その時にたまたま自分の性自認の「Xジェンダー・不定性」(男と女を揺れ動く流動体、日によって自分の中の男性・女性の割合が変わる )の部分が、男性性3に対して女性性7くらいの比率に揺れ動いたのだと思う。ちなみに、私はたいてい男性性4、女性性7の比率であることが多い。ときおり、男性性7、女性性4の比率に動く。

 

「姫ちゃんのりぼん」は魔法の国のお姫様と出会った人間界の少女が、魔法を使っていろいろな人に変身するストーリーで、私が今43歳になってハンドメイド作家「魔法使いアリス」と名乗って生きているのは、この漫画と出会いが大きい。「アリス」のほうはキャロル・ルイスの『不思議の国のアリス』から取ったけど、単に「アリス」という言葉の響きが綺麗な響きだったからで、『不思議の国のアリス』の物語が好きというのとはちょっと違う。

 

私は、あまりにボーッと生きてきたため、小学校時代「学校が何のためにあるのか」を分かっていなかった。「よく分からないけど、なんだか学校っていうところの行かされる」と思ってきた。でも中学生になって塾に行くようになって初めて「あっ、学校って勉強するためにあるんだ」ということに気がついた。

 

忘れ物、落とし物、なくしものが多くて、よく置き傘が3本、4本の状態になってしまい、ある時、まとめて全部家に持って帰った(ADHD)。国語の教科書を忘れると、頭に拳骨を喰らい、体罰も受けた。友達の話の内容は頭に入っていかない。文章だと頭に入るけど、空中で聞く話は頭に入らない。また、数学は8617594が暗算ができず、指を使って数えないとできないため、指を超高速で動かして乗り切った。文章問題もなんとかできたため、苦手な数学の成績は普通だった。得意な国語は5、英語は4、音楽5、社会4、美術4、数学3(または4)…で成績は良かった。理科だけ2だった。

 

友達はいつも2人か3人いて対人関係は特に問題なかった。

 

 

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次に高校時代。

高校で対人関係が乱れ、友達が1人しかできなくて、しばしば孤立した。部活動の音楽部の友達とは仲が良くて、そこでの友達はいたけど、クラス内で友達があまりできなかった。

 

高校というと、部活動の音楽部の厳しさ、過酷さで精神的に鬱や希死念慮、倦怠感が現れ始めてヤバい状態になった。でもミュージカルを演じることが大好きで、学園祭で発表するミュージカル「アナスタシア」の時は、ラスプーチンという誰もやりたがらない男役の主役を好んで演じて、アナスタシアとの闘いの様を見事に演じて輝いた。私のセリフの言い回しや演技力の高さに誰もがビックリして驚嘆するほどの表現力だった。本当は主役のアナスタシアをやるのが普通の先輩なのだけど、私はどうしても男役じゃなきゃ嫌でなにがなんでも「ラスプーチン」を演じたかったため、後輩に「私はアナスタシアはやりたくないからやっていいよ」と譲ってラスプーチンをやらせてもらった。セリフの言い回しが上手で得意な側面も女性ASDに多く報告されている(サラ・ヘンドリックス著『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』)。

 

でもこの部活動が厳しくて、部活動に時間を取られて、勉強をする時間が持てなかった。大好きな読書量もクラシック音楽を聴く時間もグンと減った。私の時だけ運悪く部活動のある問題と事情があって、受験の年の高校3年になっても秋の学園祭が終わるまで、部活動は続いて受験勉強が全く出来なかった。勉強をするのに普通の人の35倍の時間をかけないと勉強ができるようにならないため、相当な疲労と精神的苦痛で、希望していた音楽大学の受験までに勉強が間に合わなくて、受験を断念して、一浪の道を歩んだ。浪人中に精神状態も回復して、勉強もみっちりとできて、第一志望の難関の桐朋学園大学の作曲理論学科音楽学科に合格することができた。

 

高校時代は、部活動のストレスから摂食障害にもなり、体重が40キロを下回り、お母さんが作ってくれるお弁当をいつも分からないように学校のゴミ箱に捨てていた。

 

スクールカウンセラーに助けに入ってもらったけど、高校時代は本当に苦しかった。

 

両親に悩みを相談してもお父さんは「子育てに全く無関心」で私のことなど頭のカヤの外で、お母さんはLDゆえ、何を相談しても「そんなこと分からないわよ!自分で考えなさい!」と言って突き放されるし、部屋で大声でワーワー泣き叫んでも誰も私のところにきてもらえず一人で問題を抱えた。精神状態は「両親を2人とも刺し殺して、その後、私も自殺して死ぬ」ということを本心で考えるところまで深刻になっていった。ASDの人は思春期に問題を起こしやすいので、トラブルや問題を解決に導いてくれるサポーターが絶対に欠かせない。

 

以上が私の中学〜高校時代のエピソード、記録である。

 

何はともあれ、今現在、ハンドメイド作家「魔法使いアリス」として輝いていて第2の幸せな人生を歩めているので、過去は闇に葬り、これからも明るく楽しく、ときにユーモラスに生きていきたい(