ASDは男性と女性とでは症状の出方が全く違うことを知った。現在のASDの診断基準は男性のASDを基にして作った診断基準なので、女性のASDの私がその診断基準の特徴と真逆であるかのように違うのは当然のことだった。


女性のASDはどんな症状の出方をするのか。男性のASDの出方とどこが大きく違うのか。


その大きな違いは、まず女性のASDは男性の「想像力の欠如」とは反対で「想像力が豊かである傾向」がある。そのため、男性の「同一性へのこだわり」も幅広い形で出る。一つの趣味に限定されずに、多くの趣味を一定のルーティンを経ながら持っている。一定のルーティンとは私の場合でいえば、ミサンガ作りにハマり、次はパッチワークにハマり、次は刺繍にハマり…いろんな趣味をある程度一順すると最初のミサンガに興味は戻る…そういう症状の出方をするのが女性のASDには多いらしい(サラ・ヘンドリックス著『自閉スペクトラム症の女の子が出会い世界』参照)。もちろん全ての女性のASDの人がこの出方をするのではなく、女性でも男性のように狭く限定された趣味、狭い「同一性」という出方をする人も多くいる。でも女性に多いといわれているのは一定のルーティンを持った幅広い出方のほうである。


あと、女性のASDの多くは、「おとなしく」て「内向的」であるか、逆に「おてんば」であるかどちらかのようである(サラ・ヘンドリックス)。


コミュニケーションもうまく取り繕って誤魔化す「マスキング」(仮面で覆う)がなされているため、男性のASDのように「相手の心に無関心で、そこへの想像力が欠如していて場の雰囲気を読まない発言をしてしまう」ことはあまりなく、むしろ人の気持ちに敏感で、思いやりがあり、場の雰囲気をうまく読む力があるので、一見、コミュニケーション障害がないように見えるのが女性のASD(サラ・ヘンドリックス参照)。


その他、女の子のオモチャに無関心で男の子のオモチャを好むのも女性のASDの特徴である。


私の例で言うと、小さい時いつも「なんでリカちゃんなの?私が欲しいのはガンダムグッズなの!」とか「どうして私は『りぼん』を買わなきゃ行けないの?!私が欲しいのは『少年ジャンプ」なの!」や、「なんでまた女の子のぬいぐるみコーナーに連れてかされるの?!私はカッコいい白衣が入った『お医者さんごっこセット』と『テラノサウルス』が欲しいの!」というのが心の叫びだった(※詳細は後で記す)。


ただ、ここに書いたのは全ての女性ASD者に当てはまるわけではなく、男性のASD症状がメインに出る女性ASD者、または男性のASD症状の一部が強く出る女性ASD者も多くいる。逆に男性ASD者でも女性ASDの出方をするタイプもいる。


女性のASDに興味がある人は、サラ・ヘンドリックス著「自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界」やルディ・シモン著「アスパーガール」、リアン・ホリデー・ウィリー著「アスペルガー的人生」などがオススメなので参考にして欲しい。


以下に私(ASD +ADHD +若干LD)の幼稚園〜小学校卒業までの発達障害エピソードをASD症状主眼に記しておく。


幼稚園時代、私はまずやっぱり男の子と遊んだ。

「あの子変よ、男の子と遊んでる」と言われてしまい、「女の子は女の子としか遊んじゃいけないの?!」「どうして男と女を分けるの?!」「男の子が可哀想じゃん」と思い、当惑した。女の子の輪の中に入ろうと努力したけれど、女の子の友達の輪の中には入れず、幼稚園時代は一人ぽっちになってしまった。


性格は「おとなしく」て「内向的」という女性ASDの典型だった(おてんばタイプの女性ASDもいる。私の母がおてんばタイプのASD濃厚)。


私が自分のお年玉で初めて買った念願のオモチャは「お医者さんごっこセット」の男の子のオモチャ。中に白衣とか聴診器、注射器、血圧測定器とかが入っていて、カッコいいお医者さんに憧れた。


洋服では紺色のトレーナーの中心に大きくデカデカと「35」という数字が白で太く書かれた男性的なトレーナーが最もお気に入りで、その服を着ると、お爺ちゃんがいつも「お!35番!」と言ってくれるので、毎日のようにそのトレーナーをきた。


このようにASD女性は男の子のオモチャ、私の場合は男の子の服を好む。


トイレ問題が起きて、よく幼稚園内でお漏らしを頻繁にしてしまった。歌を歌っている最中や「帰りのしたくの時間」とかの途中に、一人抜けて先生に「トイレに行ってもいいですか?」と質問する勇気がなく、そのままジャーッと漏らしてしまうことを繰り返した。家に帰って、その濡れたズボンやスカートで座布団の上に座って立った時にお母さんに「あ…お漏らししたの」と気づかれるのが常だった。


その他、問題となったのは「あいさつ」ができなかったことである。朝、幼稚園の教室に入る時に必ずみんな先生に「おはようございます」と言わなきゃいけないルールみたいなのがあったのだけど、私はどうしてもその「おはようございます」が言えなくて、なんだか「おはようございます」ということがとても恥ずかしくて、何も言わずに先生の前を通り過ぎた。そして先生に「おはようございますって言わないとダメじゃない!」と毎日、叱られた。その姿を見たある男の子に「やーい、お前、叱られた」と言われたりして、叱られたり、そのことを意地悪な子にちゃかされたりしたことで、余計に「おはようございます」が言えなくなってしまった。大人になった今でも「おはようございます」と言うと、一応言えることは言えるけど、なんだか「慣れなくて変」な感じがして、いまだに「おはようございます」を言うことには違和感があり無理をしないと言えない。


無理をしてもいまだ言えないままになってしまった言葉が一つある。


それは「食事をする前」の「いただきます」である。これだけは今になってもどうしても言えない。言うことが恥ずかしいの極限に立っていて、食事をする前に「いただきます」って言うことに「一体何の意味があるの?!どうして言わなきゃいけないの?!」「その言葉を言うのって意味がなくてバカみたいじゃん?!」と思ってしまう。私にはそういうところがある。


幼稚園時代、寝る前には、お母さんがいつも寝るまで私を見張るので、なかなか寝付けなくて「寝たふり」をしてお母さんを誤魔化して、お母さんが私が寝たと思って部屋を去っていったあとにいつも、空想の世界に入ってしまって、より一層眠れなくて不眠を抱えた。


どうな空想かというと…

「今、お母さんもお父さんも、私に内緒の『お話し会』に行ったんだ…内緒で宇宙人を呼んで、宇宙人から普段食べられない特殊なお菓子をもらって美味しそうに食べているに違いない…そこにお兄ちゃんとお姉ちゃんを呼んで、ロケットに乗って木星に今ごろいる…きれいな木星で宇宙人の変わった造りの家に入って、踊りを踊りながら遊んでいる…私を抜きでそういう楽しいことを毎日やっているなんて寂しいなぁ…どうして私は参加してはいけないのだろう…宇宙人が食べるお菓子や食事を私も食べてみたい…みんなと一緒に踊りたい…私はお母さんとお父さんに嫌われているんだ…」


こういう空想は女性のASDの人に多いと思う。


あと、幼稚園の頃、家族旅行に行った時に、どうしても欲しいフォークがあった。そのフォークには「ひろこ」という自分の名前が書かれてあったので、何がなんでもそのフォークが欲しくって、駄田をこねて、そのお店の入り口のど真ん中にそのフォークを持ってあぐらで座り込んだ。座り込むこと20分。とうとうお父さんが私の座り込みに負けて「ひろこ」と自分の名前が書かれたフォークをゲットできた。この座り込みの駄々こねも発達障害の典型らしい。


また、幼稚園の時、消防車のサイレンが怖くて、お母さんに「ウーウー言うあの音は何?」と聞いたら「あれは家に火をつけにくる車よ」と聞き間違え「あの音は家に火をつけて火事にされちゃう車だ…大変だ、怖い…逃げなきゃ」っと思うようになってしまった。そして本当に近所の家まで逃げてまい、その家の人に「どうしたの?」と聞かれ「火事が怖いんです」と騒いで困らせることになった。それ以来、サイレン音恐怖症になり、今になっても大きい音やサイレン音は怖い。あとお化け屋敷も怖くて入れない。大きい音が怖いのはASDの症状である。


その他、ASDに関することで、私の大きな悩みで問題点だったのが自分の「顔」だった。自分の顔が気に入らなくて「自分に友達ができないのはこの顔のせいだ」と真剣に思っていた。そして今になって、そのことが気になって、幼稚園時代の自分の写真をよく見てみた。すると確かに顔に違和感を感じていた理由が納得いった。どんな顔かというと、女の子というよりかは明らかに「男の子」の顔をしていて、表情も乏しくてブサイクに見えた。


最近、この「顔」のことが気になったので、小学校の時の自分の顔もよく見てみた。すると、小学校3、4年までの自分の顔はやっぱり女の子というよりかは「男の子」の顔だった。でもそれが小学校6年の時の自分の顔を見ると、急に女の子らしさが表に現れた「女の子」の顔になっていて、表情も女の子らしいもので、いきいきとしていた。こういう自分の顔の変遷を見て、なんとなく幼稚園〜小学校卒業までにジェンダーの変遷みたいなものが生じていたのではないかと感じた。おそらく、幼稚園の時〜小学校3,4年までは男性ホルモンの量が多く、小学校5,6年になって急に女性ホルモンのほうが多く出てきたのだと思う。


ASDの人がジェンダーの問題を抱えるのはよくあることで、現に私は性自認は「Xジェンダー」の不定性(男と女を揺れ動く流動体、日によって自分の中の男性・女性の割合が変わる )で、LGBTQIAの「A」、LGBT +の「+」に含まれるアセクシュアル(無性愛者: 他者に対して恋愛感情も性的欲求も抱かない)でアロマンティック(他人に恋愛感情を抱かないセクシュアリティ)である。恋愛に無関心で、同性はもちろん、異性を愛することがなく、セックスが最も気持ち悪くてセックス断固拒絶人間。ハンドメイド作家の夢が叶って「結婚しない幸せ」が自分にとって「最高の幸せ」の今、Xジェンダー不定性で、アセクシュアルでアロマンティックだろうがどうでもいい。ただ幼稚園〜小学校卒業までのジェンダーの変遷みたいなものは気になるので、今度、外来でドラちゃん先生に話してみようと思う。


幼稚園時代は、おじいちゃんと自営業のたばこ屋のタバコの自販機の小銭の売り上げ計算遊びが大好きだった。自販機に入っている小銭の売り上げを全部持ってきて、床の上に全てばら撒いたあと、お爺ちゃんと一緒に10円玉とか100円玉を一握りで10枚ずつ掴んで一列に並べて、売上がいくらかを一緒に勘定することが大好きだった。一発で一握りで10円玉10枚を掴むコツが分かってくると余計に面白くて毎日の私の日課になった。


ADHDのほうのエピソードでは、スーパーですぐにお母さんが視界の中からいなくなってしまい、お母さんとハグれてしまってワーワー大泣きしたことが記憶に鮮明に残っている。大泣きしている私をみた、心配をしてくれたどこかのお母さんに、お母さんを探してもらうことが頻回にあった。


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下記は「小学校時代」の私の発達障害エピソード↓(ASD症状に主眼)


小学校1、2年の時までは、やはり男の子と遊んでいた。クラスで男の子2人と仲良くしたけど、外で遊ぶ友達は一人もできなくて、時折、仲良くしていた男の子2人がいる砂場にいって、砂場で一緒に遊んだりした。でも「休み時間」はいつも孤独で大抵は教室で一人ぽっちで外を眺めて、心配した担任の先生に「どうしたの?」と言われてしまい「今日、風邪気味なので…」と嘘を言って誤魔化し、その後、トイレの中に逃げ込んだり、図書館に逃げ込むようになった。


でも家に帰ると、我が家は幸いなことに二世帯住宅で隣に従兄弟が住んでいて、従兄弟の子供2人が男の子だったので、毎日、従兄弟の家に遊びに行って、おもちゃの電車をオモチャのレールの上で走らせる遊びや、紙に「外に行ってワンワンワンと3回言ってくる」「くすぐりのけいに遭う」「肩たたきを10回してくる」とかを書いたものを箱の中に入れて順番にその紙を引いて、引いた紙に書かれてあることをしたり、されたり…というゲームをよくやって遊んだ。


小学校2年の時「パン作りイベント」があった。恐いで有名な担任の教師が「みんな明日のパン作りイベントまでに渡したパンの作り方を覚えてくること。覚えてこなかった子はパン作りをさせません」と言われた。ASDにADHDとLD症状が入ってる私は、頑張ってもパン作りのレシピの内容を頭に記憶することが出来なくて、先生に怒られると思い、パン作りイベントに参加するのが怖くなってしまった。そして、パン作りの日の朝「頭が痛い」と嘘をついて登校拒否をして学校を休んでパン作りイベントから逃れた。


小学校3年生の時から女の子の友達が3人くらいできて、よくその3人の女の子とゴム段をしたり、縄跳飛びをしたりして遊んだ。友達が家に遊びにくると「手芸」を一緒にやって、たとえば、布で巾着を作ったり、フェルトで絵本に出てくるネコの「ノンタン」を作ったりする、そういう自分に合った手芸友達ができた。また、柿の木から柿をもいで好きなだけ食べてもいいという柿の木があったので、そこによく友達た行って、木登りをしながら柿をもいで収穫を楽しんだりもした。


そしてこの頃からクラシック音楽の虜になり、図書館に通ってモーツァルトのオペラ「魔笛」「フィガロの結婚」や3大交響曲、シューマンのピアノ協奏曲、リストのマゼッパのオーケストラ版とピアノ版…等にのめり込んだ。


本当は友達に「私、モーツァルトのオペラ『魔笛』の鳥刺しの歌がすごく好きで毎日聞いちゃって原語で歌を歌っちゃってね…、あとリストのマゼッパのオーケストラ版は本当に最高に感動的でドラマ的でついつい夜更かししちゃってね…」という話をしたかった。でも女性のASDならではで、場の雰囲気を読んだり、会話内容に困っていることを悟られないように、相手の話にうまく話を合わせてするするするっと誤魔化したり(マスキング=仮面で覆う)、「うん、うん、分かる」「すごいねー。そりゃたしかにびっくりだねー」とか適当な相槌を打ったり、終始「聞き役」に徹したりして、コミュニケーション問題をなんとかしのいだ。でも内心は「友達にモーツァルトのオペラやリストの交響詩の話ができたらどんなに楽しくて話が弾んむことか…」で思い悩み、こういうコミュニケーション障害に苦しんだ。


場の雰囲気を読んで適当に相手に話を合わせて切り抜けたりすることをASDの「マスキング」と呼び、これは女性のASD特有の症状である。見かけ上はコミュニケーション障害がないように見えるのでASDであることが見えないけど、それは仮面で覆われているだけでASDのマスキングが起きている。今の診断基準に当てはまるASD、男性ASDの人は場の空気を読まずにどんなことでも「ずけずけと平気で言う」ので「モーツァルトのオペラの『魔笛』とリストの交響詩『マゼッパ』のオーケストラ版が大好きで夜更かししちゃってね…」の話を本当に友達に言ってしまうので、私がコミュニケーションで男性のASDの出方をしていたら、本当にヤバいことになっていたと戦々恐々する。でも女性ASDでも男性ASDの「なんでもずけずけと平気で言う」「失礼なことでもなんでも言ってしまう」のタイプの人も多くいるし、男性ASDでも「マスキング」を含めた女性ASDの出方をする人も一定数いるので、自分がどういうタイプのASDかをよく知っておくといい。


小学校の時、私は想像力を使う「ごっこ遊び」が好きだった。男性ASDは想像力の欠如が生じて「ごっこ遊び」は避ける点、女性ASDとは真逆である(サラ・ヘンドリックスに記載あり)。


私の場合は、よく厚紙でファミコンのドラゴンクエストやファイナルファンタジーに出てくる「盾」「剣」「鎧」を創る遊びが好きだった。「勇者の剣」とか「幻の杖」とかを作って楽しんだ。あと、塗り絵も大好きで、ドラえもんやガンダム系の男の子が好む絵の塗り絵に夢中になった。「盾」「剣」「鎧」やガンダムは男の子が好むもので、まさに女性ASDの特徴である。


趣味はガチャポンをグイっとひねって出てくるガンダムコレクター収集、あと誰かが撃ったオモチャのピストルから出てくる「ビービー弾」という小さな「玉」を公園で無我夢中で拾って集めた。赤、黄色、青、紫、ピンク、緑、虹色…などいろんな色のビービー弾が公園にいっぱい落ちていて、レアな虹色を見つけると嬉しくなって楽しかった。でも「ビービー弾」集めに夢中になりすぎて、いつの間にか、自分一人になっていて、男の子の従兄弟や両親とはぐれてしまって、迷子になることも頻繁に起きた。夢中になりすぎて迷子になる方はADHDからだと思う。その他、テレフォンカード収集、切手収集も小規模ながらやっていた。


女の子の友達が家にきた時には、一応、リカちゃん人形や着せ替え人形でも遊んだけど、かなり無理をしていて、本当はガンダムプラモデルで遊びたくて、女の子のオモチャには興味が全くなかった。唯一、サンリオのキャラクターの中で「ケロケロケロッピ」が好きで、サンリオショップに一緒に言ってケロケロケロッピグッズを買ったりしていた時期はある。


大好きなことは、虫取り。従兄弟の男の子2人と公園でセミを取ったり、バッタを取ったり、池に入ってオタマジャクシやザリガニを取ったりした。オタマジャクシは100匹以上家に持って帰って、水槽に入れてカエルになるまで育てて、育てたカエルを家の庭に全部放した。それから35年以上経っているけど、いまだに我が家の庭にはカエルがたくさんいて、カエルの鳴き声がよく聞こえてくる。


発達性協調運動障害が酷くて動作や動きが「ロボット」で「カチカチ」で、得意な陸上を除いて(足が速くてイダテンで怪力だった)、体育はとりわけ球技系が最悪でダメだった。発達性協調運動障害は「粗大運動」と「微細運動」とに分かれていて、私は「粗大運動」が壊滅的にダメだったけど、「微細運動」のほうは逆に得意で「器用」だった。男性ASD者は「粗大運動」「微細運動」のどちらも大きく障害されているのことが多いが、女性ASD者は「粗大運動」がダメでも「微細運動」は障害されていないことが多いと報告されている(サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』記載あり)。


あと、小学校の時、私には寝る前に儀式があった。寝る前に布団の中で神様に「神様!」と呼んでから1日の出来事報告をして、その後、トイレに貼られている漢字一覧表『漢ちゃん』を寝床から「漢ちゃーん!」と呼んで、「今日も熟語どれか4つ言うね…えっと今日は『易者』『交易』『貿易』『安易』…じゃあ、おやすみねー」と言ってから寝ると言う儀式を小学校1年〜4年生くらいまで続けた。


その他、トイレに貼られていた日めくりカレンダーに書かれてある格言を「トイレをする前に必ず毎回解説文まで全部読み上げる」と言う儀式もやっていて、これは小学校1年〜35歳までやり続けてしまった。お母さんが私が35才の時「これ、ボロいから捨てるわ」と言って、捨ててしまってエンドになった。「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す、楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ…(解説→)自然を愛し、自然の中に生き、逆境にも順境にも感謝の気持ちを持つことが大切である」など今も覚えていて、31個の日めくりカレンダーの格言はいつしか私の生き方や考え方、人生そのものなっていっていたことに最近、気づいた。


ASD女性に多い趣味の一つで、私にはファンタジー小説やフィクション小説をむさぼるように沢山読む趣味もある。小学校の時に、合計200冊以上の本を読んで、読んだ本を「読書ノート」に書き記した。面白かった本には花まるをつけて、6年を卒業する時に300冊まであとちょっと…というところ終わって、300冊に到達しない形で中学時代に突入した。小学生の時に好きだった本は「クレヨン王国シリーズ」「グリックの冒険」「ガンバとカワウソの冒険」、わたりむつこの「はなはなみんみ物語」などである。「はなはなみんみ物語」は魔法が出てくる物語で、「こうすれば自分も魔法が使えるようになれる!」と本気で思い込んで、呪文を唱えて魔法使いの修行の訓練までしてしまったという馬鹿な私である。女性ASD者はファンタジー小説、フィクション小説好きが多いらしい(サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』記載あり)。


一方で、私は小学校の頃から手芸が大好きで、パッチワークや刺繍、バック、ポーチ作り、ミサンガ作り、ビーズにもハマった。ミサンガはクラス中で流行り、クラスの女の子全員がやっていた時期がある。パッチワークや刺繍は母親に教わった。小学生なのに刺繍でアウトラインステッチ、サテンステッチ、チェーンステッチなどをもう速くも習得していてできるようになっていた。ビーズではビーズの本を手芸屋さんで買い、ビーズで動物やキッチン用品、お菓子などを作って、ビーズ友達とお互いに作った作品を毎日交換する「ビーズ交換」をやっていた。裁縫など手芸にハマるのもASD女性者に多く報告されている(サラ・ヘンドリックス)。


私は「色」にこだわりが強く、色が大好きでカラフル好きだった。ある時、教室のもの置き場に誰のものだか分からない10色ボールペンが置かれてあった。「このボールペン、10色も色があってすごいね」をみんなで言っていて、ある日、どうしてもそれが欲しくなり、自分の衝動を抑えられなくなって、みんなが見ていない隙にこっそりそれを盗んでしまったという私のエピソードも残っている(こういう衝動の方はADHD)。


ファミコン、スーパーファミコンではドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー、ゼルダの伝説、ファイヤー・エンブレム、ロマンシング・サガ、マリオカートにハマった。


ASD女性には動物好きが多いと報告されている(サラ・ヘンドリックス)。私も動物が大好きで、猫と犬を飼い、5年生の時に猫の「ちょび」を飼い「ちょび日記」を書き、ちょびが交通事故で死んでしまい、小学校6年生の頃に愛犬のロンを飼い「ロン日記」を書いた。小学生の頃に書いた「ちょび日記」と「ロン日記」は今でも私の部屋に大切に保管してある。


友達に仲間ハズレにされたり、いじめに遭ったりとかは私にはなかった。むしろ、仲間はずれにされた友達を逆に助けて救ってあげるのが私だった。私は小学校に入っても男と女に堺はなく、男と女を分けて区別したり、誰かをハブいたりというのが嫌で、どこか「クラス全員の人みんなが私の友達」というところがあった。だから男の子とも平気で遊んだ。この男女に境がないところが、のちの私のアセクシャル(無性愛者)でアロマンティックへとつながり、ジェンダー的に普通ではない部分になった。そういうジェンダー問題もASD者に多い。


あと、小学生の頃に夢中になって読んだ漫画は「ドラゴンボール」と柔道の「YAWARA」という漫画。やっぱり男の子の漫画。


「りぼん」という女の子の雑誌を買うのがとても辛くて、でも我が家ではお姉ちゃんが「なかよし」を買って私が「りぼん」のほうを買うというのが決まりだったので、「りぼん」を買わざるを得ず、お小遣いで「りぼん」を買って1ページも読まずに雑誌ごとお姉ちゃんに全部あげていた。そして私はお兄ちゃんが買ってくる「少年ジャンプ」に夢中になった。


その他、家族との遊びというのがあって、私の小学生時代、家族間では夜にみんなで「花札」「麻雀」「セブンブリッジ」「漢字ゲーム」、元旦には「競馬ゲーム」をやった。小学校の時からすでに私は「麻雀」をやらされていて、ファミコンのゲームでも「麻雀」をやった記憶がある。「漢字ゲーム」というのは「て辺の漢字で覚えているものを全て書く」などというもので、誰が一番多く「て辺」の漢字が書けるかを競う我が家流のゲーム。もちろん「て辺」以外に今日は「言辺」「シンニュウ」「草冠」…色々やらされた。元旦にやる「競馬ゲーム」は予想が当たった人が順位順に用意した景品の中から好きなものを選んでもらうというゲームで、一位の人は「1万円札」をもらうのが定番だった。


発達障害一家なので、こんな変なゲームを小学校の時から私はやっていた。


忘れ物、なくしもの、落とし物が多くて、教科書を忘れて隣の子とよく机をくっつけてみせてもらうとか(ADHD)、急に学芸会の時に「アリババ」とか「三蔵法師」などの主役をやるのが私で、「おとなしい安藤さんが、劇になると豹変する」「え?!これがあのおとなしい安藤さん?!」とみんなに驚かれた。主役を急に手を上げて率先してやる衝動性のほうはADHDだけど、物真似や、劇のセリフの言い回しが上手で、役者の素質がある方は女性ASDの方らしい(サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』記載あり)


さて、現在43歳。

今はハンドメイド作家「魔法使いアリス」として第2の幸せな人生を歩んでいる。


また近々、時間を見つけて、話の続きとして、私の女性ASDの中学時代、高校時代、大学時代…といろいろ発達障害オモシロ話を書いていこうと思う。



ハンドメイド作家「魔法使いアリス」


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