私の不思議なASDADHDの併存例の続きとして、こうした【ASDADHDの併存をどう捉えるべきか?】について明記したものをコピーペーストしておく。これも次回の外来でドラちゃん先生に渡す手記である。

ASDADHDの『合体』と捉えるべき症例の必要性】

DSM5の判断基準の見直しに向けて】

今現在、ASDADHD ADHDASDの併存例において、ASDADHDを別個に分けて捉える捉え方がなされて続けている。その典型が「お風呂に3週間入らない」という理由を「感覚過敏からではなく『面倒くさいから』というADHDの方だから、これはASDではなくADHDと捉えるという考え方である。「同じ症状だけど理由はADHDだからADHD」と考える捉え方はASDADHDの併存例において必ずしも的確な臨床像の捉え方とはいえない。まず私がお風呂に3週間入らないのは「感覚過敏」からではないことを最初に名言しておく。理由は「洋服を脱ぐのが面倒くさい」「髪や体を洗う工程が面倒くさい」からである。理由のメインは「面倒くさい」というADHDのものであるが、「3週間もお風呂に入らず、パンツを含め3週間同じ洋服を着続けて平気でいる」という方は明らかにASDからきている。つまり、ADHDの理由とASDの症状とが【合体】しているのである。この場合、両者の【合体】と捉えるべきである。

 

 私のコミュニケーション障害の現れ方も同様である。小学校、中学校の時、本当は友達に「モーツァルトのオペラの『魔笛』の鳥刺しの歌や『フィガロの結婚』がすごく面白くて感動的でね…あとリストの交響詩の『マゼッパ』のオーケストラ版とピアノ版のどちらも物凄いドラマがあって魅了されて毎日楽しくてならないの」という話をしたかった。でも友達たちの会話は安室奈美恵の『キャンニューセレブレイト』や華原朋美、パフィ、aikoの話など私が全く聞いたことのない人たちの話で持ちきりだった。「場の雰囲気を敏感に読む力」がある私は「ここでモーツァルトのオペラの『魔笛』や『フィガロの結婚』の話をしたら変だ」ということが分かるため、会話内容に困って「聞き役」に徹して「そうだね」「うん、うん、分かる」とか適当なことを言ったり、または相手の会話内容に合った会話内容をうまく作って分かっている素振りをしたり、うまくするするするっと誤魔化す「誤魔化しの手」を使って苦しみながらもしのいで生きてきた。友達に「モーツァルトのオペラ『魔笛』や『フィガロの結婚』の話ができたらどんなに楽で楽しくて話が弾むことか…」と思いながら生き続け、大学受験の時、そういうクラシックの話がなんでもフルにできる「音大」を選んで、その道に進み、コミュニケーション内容に困らない憧れの場所に進んだ。

 

今までのASDの診断基準で考えると「場の雰囲気を読まずにモーツァルトのオペラの話をずけずけと言ってしまう」のがASDなので、私のような「場の雰囲気を読むことで苦しむコミュニケーション障害」のほうは「場の雰囲気を読める力がある」=「ASDではない」=「コミュニケーション障害はないからASDではない」と捉えられてしまう。でもそれはASD ADHDの併存例において適切な臨床像の捉え方ではないケースがある。私は「場の雰囲気が読めることで苦しむコミュニケーション障害」に苛まされ苦しみ、それが原因でしばしば孤立した(小学校1、2年の時友達が一人もいなかったのはこれが原因)。そういう「場の雰囲気を読む」ことで発生する「コミュニケーション障害」というのがある。本人は苦しい。私は小学校1年の時からクラシック音楽の虜で頭の中は「モーツァルトのオペラ『魔笛』と『フィガロの結婚』と『コシ・ファン・トゥッテ』の序曲やアリアが感動的でね…」で埋まっていてその話を友達にしたかった。小学校1年の時からモーツァルトの「オペラ」にのめり込むのはADHDからきているとは思えない。どう考えてもASDからの方だと思う。でもASDADHDの【合体】が生じて「場の空気を読む力がある」ため「ADHDの話したい衝動を必死に抑えて、相手の話にうまく合わせないといけない」ことが私の生きづらさだった。このことで対人関係はしばしば孤立し、対人関係の変遷も急に友達ができたり、また急に一人ぽっちになったりしてガタガタになった。この場合もコミュニケーションは著しく障害されている。つまりこれはASDADHDとの【合体】であり、「場の雰囲気をうまく読むことで苦しむコミュニケーション障害」が発生しているのである。「面倒くさいからお風呂に3週間入らないで平気でいる」の背景にASDADHDとの【合体】が生じているように、コミュニケーション障害でもASDADHDの【合体】が起きている。コミュニケーションにおいて「場の雰囲気を読む」「想像力に富んでいて相手の気持ちを理解する力がある」、でもそれゆえに「自分の話したいことを話せないで苦しむ」、その結果、友達ができず孤立する、そういうコミュニケーション障害があること、こういうASDADHDの【合体例】があることを理解してほしい。

幼稚園の時、私は「国旗の本」が大好きでのめり込んだ。国旗の本にハマることはASDである。でもADHDの「飽きる癖」が【合体】しているため、ハマってもすぐに飽きる、半年後にまたハマるけどまたすぐに飽きる、ということも起きている。こういうパターンにおいてはASDADHDを別個に考えてすぐに飽きて「こだわりがない」からASDではないと考えるのは必ずしも的確とはいえない。ASDADHDを別個に考えるのではなく両者の【合体】という視点が必要になってくる。現に私は小学校1年の時から「辞書好き」で辞書にもハマり、小学校の時からとりわけ「薔薇」「瓢箪」「靨」「橿鳥」「擲石」など難解な漢字が魅力的でアートのように感じ、暗記して書くことが好きで「辞書オタク」と「過書字」でもあった。小学校、中学校、高校、大学に至っては「クラシック音楽」の虜だった。しかし大好きな「漢字」もハマるけど、すぐに飽きて興味は別のところにいったん行き、ある時、またハマりだすけどまたすぐに飽きるを繰り返している。クラシック音楽については、普通、ASDの症状が強いと「モーツァルト」と決めたら「モーツァルトオタク」になって、興味が「モーツァルトオンリー」になって、他の作曲家へ興味関心が広がりにくくなる(広がってもハイドンやベートーヴェンなどのモーツァルト近辺どまりになる)。これが従来の自閉症やASDの「こだわり」の強さ「反復的・常同的パターン」である。

 

しかし、私の場合は、ASD ADHDの【合体】が生じているため、小学校の時から難解な「漢字オタク」「辞書オタク」でもすぐ飽き、今度は内科の薬一覧にのめり込むことが起きてまたそれにも飽きる(ただし、漢字や長いカタカナ、アルファベット等を文字アートとして使って作品を創る方は、飽きを繰り返しながらも現在でも続いている)。クラシック音楽の虜のほうは、小学校からモーツァルトオタク、でもすぐに飽きて、今度はベートーヴェン、その次はワーグナー、中学・高校でシェーンベルク、ツェムリンスキー、大学の学士論文を書くときには現代音楽シュールレアリスムの「アノニマスと不確定性」のジャンルの音楽(アメリカのジョン・ケージ、ドイツのシュトックハウゼン、フランスのクセナキス、ブーレーズ、ポーランドのルトスワフスキの4人の音楽作品の時間論の比較分析)にまで興味は発展、変遷していき、そのジャンルでの学士論文を書くに至った。そして今現在は、クラシック音楽や現代音楽に完全に飽きて、持っていた貴重なCDまでも見事に全部捨て去ってしまい、音楽への興味関心「ゼロ」である。そして現在はハンドメイド作家「魔法使いアリス」として生まれ変わり創作活動を続けてようやく自分の道を見つけてうまく行っている。ASDにおいて、ウィングの言う「反復的・常同的パターン」、ドラちゃん先生のおっしゃる「同一性へのこだわり」とは【真逆】である。でも、その【真逆】はASDADHDの【合体】が背景に大きくあることで生じている。

 

ASDADHDの【合体】からくる「場の雰囲気を読むゆえに苦しむコミュニケーション障害」「強いこだわりがあるのに、すぐに飽きて興味対象が揺れ動く」そういう両者の【合体】という併存例があることを分かって欲しい。そう考えないと、小学校の時から友達に「私ね…モーツァルトのオペラ『魔笛』と『フィガロの結婚』『コシ・ファン・トゥッテ』『ポンテの王ミトリダーテ』に毎日感動して夜更かしちゃってね…」の話をしたくてもできなくてコミュニケーションに苦しんで孤立する私の臨床像を説明できない。

私のお父さんは、落ち着きがなく、忘れ物が多くて、注意も散漫というADHDの症状の中に、「場の雰囲気を読まずに川柳の場違いな話を泌尿器科や耳鼻科の外来でも人の名前の上から下までの名前の固有名詞まで細かく初対面の人にもおかまいなしにだして、どこへ行っても場違いな話をずけずけと平気で言う」、家族を含め「他人に全く無関心」で「川柳のみへの強いこだわり」「5・7・5キチガイ」(反復的・常同的パターン)や「想像力に全く欠如」している従来のASDの典型例のパターンが入っていて、この場合は、まさに従来のASDADHDの併存例の典型である。

ところが、私のような従来の診断基準を満たさないASDADHDの【合体】という臨床の姿もある。私の場合のASDADHDの【合体】からくるASDの臨床像、従来のASDと【真逆】のように見えるASD、「反復的・常同的パターン」からくる「同一性へのこだわり」への【欠如】、「豊かな想像力」を持った「場の雰囲気を読めることで苦しむコミュニケーション障害」のパターンとお父さんのパターンの「同一性への強いこだわり」「想像力の欠如」「他人に全く無関心」という従来のASDADHD両者の併存例とをどうか一緒にしないでほしい。ASDADHDの【合体】と言う新しいASDADHDの併存例の臨床像が存在すること、ASDADHDは表裏一体で一つのスペクトラムでつながっているという概念、そしてその場合の診断基準をDSM6の時にはしっかり定めてもらいたい(ASDADHDの併存例が辿る対人関係の変遷も含む)。しかも、私のASDの感覚過敏の温度変化への異常な過敏性という症状が、私の特殊なうつ病の臨床像に大きく影響を及ぼし、長年苦しみ続けた。もちろん、私のうつ病の臨床上には「と鬱のジェットコースターのような激しい易変性」というADHDの特徴にも苛まされてきた。でも私の体験では、ASDの感覚過敏からくる温度変化への異常な過敏性がもたらす鬱症状の悪化、鉛の倦怠感の地獄の苦しみの方が遥かに優っていたため、私はASD優勢型のADHDの【合体】の併存例であると強く感じる。

 

ASDADHDの【合体】が生じている私にとって、ASDADHDに境はなく、ASD ADHDは表裏一体で一つのスペクトラムとしてつながっている。ASDADHDを分けて別個に考える従来の捉え方の他に、ASDADHDの【合体】、ASDADHDを一つのスペクトラムとして捉える捉え方も存在すること、そういうASDADHDの臨床例もあることを認識してほしい。幼稚園の時から、私は「男」と「女」を分けたり、区別したりすることが全くなく、「男」と「女」に堺がなく、男の子と女の子とも一緒に遊んできた背景にもこの両者のスペクトラムの問題が絡んでいる。

 

あと、お兄ちゃんのパターンのASDについて手短に書いておく。お兄ちゃんのASDはギルバーグのいう「孤立型」のASDである。48歳の現在になっても友達ゼロで友達を一切持つことなく、スマホも持つことを拒む「孤立型」。「帽子」と数学の「素数」への徹底した強いこだわりも従来の「反復的・常同的パターン」に当てはまる。でも「メタ認知」がある。またコミュニケーションにおいては「場の雰囲気を読むことで苦しむパターン」が生じていて、ここへのコミュニケーション障害の「度」はお兄ちゃんの場合は私よりも強く障害されている。お兄ちゃんにはADHDは併存していない。そういうASD単独もまたあることを最後に付言しておく。

 

 

 

 

 

 

※追記

私には小学校の時から42への呪縛、紫の呪縛というのがあった。42は「死に」を意味して怖く、「紫」の方は小学校の時に「紫の鏡」という呪いの話「『紫の鏡』という言葉を二十歳まで覚え続けた人は人生に不幸が訪れ地獄に落ちる」という話への恐怖と呪縛があった。小学校の時からずっと42歳がやってくることが恐怖で怯え恐れ続け「紫」という色を拒否し続けた。テレビで犯罪や事故に遭って死んだ人の年齢が「42歳」というのを見た瞬間に「やっぱり42歳は不幸で不吉なことが起こる」なり、42という数字ばかりがやけに目について怯えた。お兄ちゃんがたこ焼きやの職を失って引きこもりになったのもやっぱり「42歳」だったので余計に怯えた。そして「紫の鏡」を覚え続けてしまって22歳でうつ病の地獄に落ちて地を這った私が41歳になった時「来年でとうとう恐怖の42歳がやってくる…私は42歳で更なる地獄に落ちるか自殺に終わるかするに違いない」と怯えながら、去年、とうとう42歳を迎えることになった。そうしたら、私にとって42歳は憧れのハンドメイド作家への一歩を踏み出し、ハンドメイド作家として輝き、ハンドメイド作家「魔法使いアリス」として大きく生まれかった「飛躍」の年になり、幸せが訪れた。42歳が大きな転換点で「幸せな年」に変わった瞬間から、私は「紫」という色が大好きになり、それまで日記にもドラちゃん先生への手紙にも「紫」を拒んで「紫」という色を一度も使うことがなかった自分が、去年の途中あたりから42と紫の呪縛から真に解放されて、初めて日記にもドラちゃん先生への手紙にも「紫」が仲間入りして「紫」を好んで使うようになった。それは今まで私がドラちゃん先生に送り続けた手紙に使った文字の「色」を見れば一目瞭然で分かる。また同時に「黒」も好きなり、黒まで日記や手紙の文字の色に仲間入りするようになった。私が毎日書き続けた20182023 年までの5年間の日記の中で黒を使った箇所は2020年の「超スーパー鬱に真っ逆さま」の部分だけで「紫」は一度も使わなかったのに、2024年の日記や手紙の中には「紫」と「黒」が仲間入りした。こうした色へのこだわりも発達障害ゆえだからなのだと思う。

 

⚫️以上が、今度のドラちゃん先生の外来で渡すレジュメのコピーペースト。でもとても1回の外来では話しきれないので、この内容を全部話すまでの間、週1回のペースで外来に通って、お互いの理解を深めたい。


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