私の発達障害の診断名は「ADHD」単独である。

確かにその通りで私は確実にADHDだが、そのADHDの中に診断として「ASD、LD併存」とは言えないクラス、つまり「かけら」としてASDとLDの症状がいろいろ混在している。診断に至らない「かけら」として他の発達障害の症状がADHDという診断の中に混ざり込んでくることは、よくあることである【※この文章を書いた時点(2024.5月初旬)では「かけら」と言っているが、後に「かけら」ではなくASDそのもので、ASDの診断が確定した/2024.6.3追加記載】

今日は、私のADHDにどのような形でASDとLDの症状の「かけら」が混ざり込んできているのかと、両親の発達障害についても書くことにしたい。

私にASDとLDの「かけら」が混ざり込んできたのは、お父さんがADHDとASDの典型の併存で、お母さんがLDの中の「書字表出障害」=「ディスグラフィア」だから、両親の遺伝によるものだと思う。

どんな風に混ざり込んでいるのか。

まずはASDのほう。

私にはASDの症状の「かけら」の中で大きく「感覚過敏」、とりわけ「触覚過敏」「嗅覚過敏」「味覚過敏」が混ざり込んできた。


洋服に体が覆われている感を強く感じて「着なれている服」や「綿素材」じゃないと気持ち悪い。特にダメなのが「さらさら」っとしたポリエステル100%とかの生地の服。うちには犬、猫がいるので、本当は犬、猫の毛がつかない「さらさら」っとした材質の洋服の方がいいことは分かっているのだが、「さらさら」っとしたものが体に当たる感覚がすごく気になってかなり無理をしないと着れない。あと昔から洋服の上部とかに付いている「タグ」が駄目でいつもタグをハサミで切ってから服を着ている。その他、中学の時にブラジャーで困り果てた。まずブラジャーそのものが体に当たる感覚に慣れなくてダメだった。とりわけブラジャーの「芯」が駄目で大学になるまで「芯なし」のブラジャーをして誤魔化していた。「芯なし」でも無理をしていた。でも慣れで次第に大丈夫になり、大学に入ってからは「芯あり」の普通のブラジャーに挑戦し始めた。半年かそこらで「芯あり」のブラジャーにも慣れてきて、ようやく大学時代で周囲のみんなと同じ普通のブラジャーをすることができるようになった。ブラジャーは「慣れ」でなんとか克服できた。


「慣れ」で克服できずに今も引きずっている感覚過敏が一つある。


歯ブラシが歯茎に当たる感覚である。歯ブラシが歯茎に当たる感覚だけはどうしてもダメ。しかもASDの「味覚過敏」でメンソールが入っている歯磨き粉がダメで「お子様用」のアンパンマンとかディズニーの絵が書いているある「甘い歯磨き粉」じゃないと絶対的に歯磨きは無理。そもそも「歯磨き粉」そのものが口の中でぶくぶく広がっていくその感覚さえもが私にはダメで、歯磨きは絶望的なので私は歯磨きを断念する道を選んだ。つまり一度も歯磨きをしないで毎日、生活している。2ヶ月に1回、定期的に歯医者さんに行って歯のクリーニングをしてもらうことでやり過ごしている。その2ヶ月の間は一度も歯磨きをしていないし、口を濯ぐことさえもしていない。でもなぜか私の歯茎は丈夫で、本来ならばとっくに総入れ歯や歯槽膿漏になっていてもおかしくないのに、抜いた歯が2本あるだけでブリッジでなんとかなっていて、歯は不思議なことにまだ大丈夫なようである。でも一度も歯磨きをしない毎日を送っているゆえ、いつ総入れ歯になってもおかしくないと思って総入れ歯になる日を今から覚悟している。総入れ歯になっても食事が食べられるのだったらいい。死ぬわけじゃない。それよりか、感覚過敏、触覚過敏の私が毎日、歯磨きをしなければいけない「歯磨き地獄」の方が私は耐えられない。これからも歯磨きは一度もすることはないと断言する。


「感覚過敏」から来る「触覚過敏」は他にも症状がいっぱい出ている。とりわけ「気温」「温度」を普通の人よりも過剰に感じやすい。


例えば、みんなに「変」と言われるのは、私が旅館などに友達と泊まった時に入る「お風呂」や「温泉」である。お風呂や温泉の湯の中に浸かる時、みんなは普通に「するっと」入る。私一人だけ温度を体に感じる「感じ方」が過剰に過敏で、みんなが「するっと」入る湯が熱すぎて1秒、5cmくらいの速度でしか入れない。「じとじとじと…」「のろのろのろ…」の速度でしかお風呂に入れない。みんなに「アンちゃん変だよ、その入り方」といつも言われて笑われる。


あと意味不明なのが、ちょっとした気温差で体が大きく「ぶるぶるぶる」っと身震いする症状がある。例えば、トイレから暖房のついたリビングに移動しただけで、トイレの温度とリビングの温度のちょっとした差で体が大きく「ぶるぶるぶる」ってなる。お母さんに「あんた寒いの?」といつも言われるけど、寒いわけじゃない。トイレという気温が低い場所から「リビング」という気温が少し高い場所に移動した時の「温度差」で体が勝手にそうなる。寒い場所から暑い場所に行った時、また逆に暑い場所から寒い場所へ行った時、そのどちらでもちょっとした微妙な「温度差」で同じように体が「ぶるぶるぶる」っとなって身震いは起こる。それも暖房とか冷房がついていない普通の時期にも生じる。1階から2階へ上がるだけで、リビングから玄関へ移動しただけで体が大きく「ぶるぶるぶる」ってなる。これはチックとも違うので、本当に意味不明。


触覚過敏の症状はまだまだある。「膏薬(こうやく)」とか「冷えピタ」が感覚過敏が酷すぎて耐えられなくて貼れないことでも悩んでいる。腰を痛めて整形外科に行った時によくもらうあの膏薬。貼ると次第に「ヒリヒリヒリ」っとしてきて「焼けるように熱い」。「焼けるような燃えるような熱さ」なので私にはとても貼れない。しかも一度膏薬を貼って剥がすと、剥がした後もその「ヒリヒリヒリ」っという焼ける熱さが名残りで持続して私にとってそれは地獄の極み。膏薬は貼ったらもうアウト。決して貼るべからずである。


熱が出た時の「冷えピタ」も同様で、子供用の「冷えピタ」でさえ、もう耐えられなくて我慢できなくてダメ。膏薬と同じである。保冷剤が一番いいので、夏、暑い時は保冷剤を大量に冷凍庫に冷やしてそれを使って体の温度を冷やしている。


その他、「煙」が目に過剰に反応してすぐ目が痛くなることでも困っている。換気扇を新品にしても、イワシなど煙が多く発生する料理を母がしている時、他のみんなは何でもないのに、私一人「目が痛い!目が痛い!目が痛くてとても開けていられない!煙で目が痛くてダメ!」となってその場から逃げ2階に退散するのが私。


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「味覚過敏」は「刺激系」がダメである。メンソールが入っているガム、ハッカなどの飴、さっき書いたメンソール系の歯磨き粉、あと、「からし」と「わさび」がダメ。回転寿司に行っても必ず私は「さび抜き」である。その他、困っているのはコーヒーが苦くて飲めないことである。紅茶は大丈夫。でも世の中はなぜか紅茶より「コーヒー派」が圧倒的多数を占めている。ドトールに行ってもコーヒーの種類はすごくあるのに、紅茶になるとほんの2種類くらいの少しの種類しかない。セブンイレブンに行っても、氷入りのアイスコーヒーはあるのに、氷入りの「アイスティ」がどこを探してもない。しかも氷の入っていないアイスティをパックで入手できるところは「カルディ」以外に存在しない。自動販売機には「無糖の紅茶」があるので助かる。でも自販機も紅茶の種類よりもコーヒーの種類の方があっという的に多くて、紅茶はすぐに販売機から消去されて別の飲みものに変わってしまうのが残念。「あ、ここにクラフトBOSSのレモンティがある、やった」と思ってその場所に通っていると、1ヶ月後にはクラフトBOSSのレモンティは消去されてなくなったりする。


「刺激系」の全てがダメじゃなくて、「辛いもの」はなぜか大丈夫である。どちらかというと甘い食べ物の方が好きだけど、辛口のカレーも唐辛子入りのペペロンチーノも大好きである。辛いラーメンやキムチ、トムヤムクン、クッパなども好きでよく食べる。


ただやっぱり一番大好きなのは「ハンバーグ」「オムライス」「スパゲッティ」「ケーキ」「かき氷」など、いわゆる子供が好む食べ物である。いつまでも子供ゆえに私は発達障害である。


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「嗅覚過敏」。

この嗅覚過敏が結構問題。

オカシイのは玉ねぎを切る時である。玉ねぎは誰もが目に涙を流しながら切っている。それは知っている。でもその反応の「度」が過剰すぎて普通じゃない。私は玉ねぎを10秒切ったら、遠く離れた場所に行って5分休憩。また続きを刻みに玉ねぎの場所に行って刻んで10秒耐えて、もう限界でまた遠く離れた場所へ行き5分休憩。それの繰り返し。もしかしたらこの玉ねぎの問題は嗅覚過敏と触覚過敏との両者から来ているかもしれない。


嗅覚過敏の例えをもう一つあげると、汚物系の匂いが過剰にダメである。誰もがウンチの匂いとかはダメだけど、それが私は明らかに過剰なのである。寝たきりのお年寄りのオムツの取り替えとか、それが例え、自分の両親であっても、私には絶対的にできない。無理をしてもできない。あれだけはダメ。もちろん赤ちゃんのオムツの取り替えも同じ。それは自分の赤ちゃんであっても、私には永久に取り替えられない。匂いに耐えることの限界の極限を超えている。誰もがダメのその「度」が普通じゃない。超異常の「度」である。


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では今度は「LD」の「かけら」のほうの話に移る。

私に入っているLDのかけらは生きるうえで相当に障害で困り果てている。


まずお母さんのディスグラフィアの遺伝で、ひらがなの「ね」と「ぬ」を意識しない限り書き間違えるし見分けが私には難しい。無意識に文章を書くと「ね」と書くべきところに「ぬ」と書いてしまっている。


そして私には永久に書けないカタカナが一つある。それは「ン」である。「ソ」と「ン」の違いが分からないのだ。落ち着いてよく観察すると最初に書く「点」の向きが少し違うように感じる。でもその「違い」をノートに書くことができない。どうやったら「ン」という字が書けるのか私には絶望的に分からない。中学の時に塾の先生に「あ、お前、片仮名の『ン』の書き方を知らないんだろ…」と言われて、その時「ン」の書き方を教わったけど、教わっても正しく書くことはできなくて、それは今現在もそうで、いまだカタカタの「ン」だけは書けないでいる。


英語で私にとって一番覚えるのに厄介な単語は「hot」「hut」「put」「cut」とかの短い単語で響きが似た単語である。中学1年の時、塾の先生に「これはまだ簡単な単語だからお前、明日までに30個全部覚えてこい」と言われたその易しいと言われる単語の一覧を覚えるのにいったいどんだけ苦労をしてきたことか。「put」「cut」を覚えることよりも「circumstance」「thoughtfully」「indignantly」「dreadfully」とかの難しい単語を覚えることのほうが楽で、むしろそっちを覚えることのほうが逆に得意で楽しくで好き。精神科の薬の名前とかはすぐに覚えられるのに「put」「cut」「hot」「hut」は覚えるのに相当に苦しい。これには苦労して生きてきた。


あと「右」と「左」が覚えられない。混同する。どっちが右でどっちが左なのかは一旦よく考えて「えっと…箸を持つのが右だから…左は…こっち」となってからでないと「左」が分からない。私が車の運転免許を取らなかった理由の一つは右左を混同してしまい「言われた方向」にすぐに曲がれないから、である。車の運転免許を取らなかったのはそれだけじゃない。小さい時に信号を渡る時に、いつも車のほうの信号機を見ていて「赤」に変わったら「渡る」と覚えている。そうして何十年も過ごして生きてきた。歩く時は信号が「赤」になったら「渡る」「進む」でいい。でも車を運転するとなると、いつものように信号機を見ていたら、車の信号機が「赤」になったら、「赤」=「渡る」「進む」と覚えてきたので、「赤」になったら車を「発車」させてしまう。それが「逆」になることを覚え直すとなると、右左が永久にすぐに覚えられないのと同じで、もうその逆を覚えることは永久に不可能。これでは車で事故を起こしてしまうため私は免許を取らなかった。


母親遺伝のLD系の「かけら」は本当に辛い。

私は本を読む「速度」が人の何十倍も遅い。本が好きなのでよく小説とかノンフィクションをたくさん読むけど、読んでいるうちに隣の行を読んでしまうことが頻回に起こる。サスペンス小説も好きだけど、登場人物の名前をメモ帳に書きださない限り記憶できなくて何が何だか分からなくてダメ。でもメモとりながらゆっくり読めば人一倍読解力があるので内容が奥深くまで分かる。あと会話が多い本は会話のやり取りの内容を記憶できなくて一度読んだだけでは内容が全くゼロに近いほど頭に入らない。要するに私の記憶力は壊滅的である。


翻訳の速度もカメの歩みの如く遅い。語学は好きなので、今でも英語とドイツ語は辞書さえあれば、どんな本でも文法のミスなく訳すことができる。しかも国語能力が高いため、他の人よりもいい翻訳の文章をすることができる。でも、翻訳する時の速度が本当に遅い。正しく文法を読み解くのに人の3倍〜5倍の時間がかかる。時間さえあれば文法のミス一つもなく翻訳できるけど、その翻訳速度が尋常じゃないほど遅いので、それゆえ、大学時代にオーバーワークにならざるを得なくて躁うつ病発症に至った経緯があるのでダメ。


何事も理解や習得に時間がかかるのが私の最大の障害で問題点である。それに気づいて学問の道から完全に身を引いてハンドメイド作家に生まれ変われて本当によかった。私にはハンドメイド作家が一番合っていて、天職である。だから今、本当に幸せで、ドラちゃん先生に本当に感謝している。ドラちゃん先生、ありがとう。


最後に、もう一つ、困り果てていることを書こう。

それは極度の方向音痴であることである。私はそこへの障害のされ方がADHDからとLD系からとのダブルを喰らっている。まず地図が読めない。昔から地図とか、特にグラフや図形での説明が全くもってチンプンカンプンで分からない。スマホのナビもダメ。何が一番、辛いかっていうと「行きたい場所へ一人で行けないこと」である。私だって、行きたい場所がたくさんある。鬱の症状が深刻な時代にも本当は、無理してでも行きたい場所、特にお寺に行って御朱印巡りをもっとしたかった。でも「このお寺に行きたい」と思って場所を調べて地図を見ても、地図が分からなくて、いつもその行きたい寺に辿り着けないで、どこを歩いているのか、今どこにいるのかさえ皆目分からない状態になって、迷子になって、5時間彷徨い歩いた末、とうとう力尽きてタクシーを呼んでタクシーに家まで連れて行ってもうらことが何度もあった。行きたい場所に行けないのは本当に辛い。何しろ浅草七福神を全部巡るのに、私は10時間かかってしまった。5回くらいタクシーを使って、朝8時に家を出て、昼食べずに彷徨い続けなんとか夜7時までに全部まわれて8時過ぎに家にたどり着けた。


今でも本当は新宿の「世界堂」とか手芸店の「オカダヤ」とか、六本木の美術館とか、あと最近の話でいうならば、もう受付終了になってしまったけれど、本当は今年の5月にあるドラちゃん先生の旗の台のリカレントカレッジでの4回の講座に行きたかった。受講料12000円払ってでもドラちゃん先生が講義する姿を一目見てみたい。私だってそういうところに行きたい。でも地図を見てもリカレントカレッジとやらがどこにあるのか、通ってた病院とは逆のほうだということはなんとなくは分かるのだけどダメ。一度、お父さんにリカレントカレッジまで一緒に付き添って事前に「下見」しないことには絶対的にリカレントカレッジとやらに辿り着けないので申し込みをやめた。


今通っている烏山病院だって、最初、辿り着くのに千歳烏山の駅から見事逆方向に歩いて行ってしまって30分逆方向に歩いて「何か変だなあ…」となり、駅まで30分かけて戻って、今とは反対方向に今度は進んで、それでも迷って追加で30分、烏山病院に辿り着くまで合計1時間半もかかってしまった。なにしろお母さんが通っている用賀の「フラワーランド」から最寄りの「用賀駅」まで帰るのに、途中で目の前に「富士山」が見え始めて、人も誰も通っていない道を延々と歩き続けてしまって、結局、スマホでタクシーを呼んで家まで帰ったという程の方向音痴なので、私は一人では行きたい場所に行けない。それは何よりも辛くて苦しい。行ってみたい場所や憧れの行きたい場所がたくさんあるのに方向音痴が原因で行かれないで家にこもっていなければいけなくなる。


本当はその苦しみをドラちゃん先生にわかってもらいたいけど、外来だと時間がなくて、そういうことまでは話せなくて、昔からいつもドラちゃん先生に「家にこもっていないでなるべく外出して下さい」と言われる。私だって外出したい。昔の重度の鬱の中、這々の体になってでも外出したかった。でも方向音痴の度が酷くて一人じゃ「自分が知っている数少ない場所」くらいしか行けないのである。そういう大きな障害が私にはある。そこへの理解がなくて「外出して下さい」と毎回、言われるのは本当に苦しい。肝心の案内役のお父さんは川柳の仕事で毎日外出して家にいない。お母さんも付き合ってくれない。私一人じゃ地図が読めなくてダメ。こういう方向音痴の度の酷さは生涯に渡って続くものである。はあ…とため息が出てしまう。


あと8+6、7+9、9-5、13-7とかが私には皆目分からない。指を使わないと分からないため、指を超高速で動かして数えて乗り切ってきた。でも算数や数学の文章問題は意外なことにできるのである。私の国語の読解能力や分析能力の優れた高さが、数学の文章問題を解くのをいつもカバーしてくれたので、中学、高校での数学の成績は3と4を行き来していた。1とか2ではない。だから私は算数障害ともいえないところがある。


今度は両親について少しだけ書こう。

LDのディスグラフィアの母は、知能指数がとても低くて理解力の著しい障害がある。例えばキッチンタイマーの使い方を何度も分かりやすく説明しても理解に至らず、いつもアナログの掛け時計を見ながら料理をしている。しかもよく時計のことを忘れて料理の場から離れて火をかけたまま2階にいくため、料理はしょっちゅう真っ黒焦げで姿形がないほどまでになる。我が家でお餅が真っ黒焦げにならないで出てきた試しはゼロに等しい。餅の真っ黒焦げの部分を台所で包丁で削ぎ落とす音が毎日のように聞こえるのが我が家。カボチャも90%以上の確率でいつも真っ黒焦げのカボチャが食卓に出てくる。


あと母は電子レンジもダメ。電子レンジで時間をピピピっと指定することはできなくて、「温めボタン」一つをポンっとやるだけである。「温めボタン」というのは「乗せた時の重さで自動で時間を計算してくれる機能」なので、皿や茶碗自体の重さが重い器(うつわ)は、その重さとご飯などの中身の重さ含めての時間になるので、相当な長い時間に自動でなってしまい、猫舌、猫手の私はいつもミトンで取り出して「熱い、熱い、熱い、ひい、ひいっ」と言いながらご飯を食べる羽目になってしまう。


その他、母はピアノで「ド」のシャープ♯と「レ」のフラット♭が同じ場所の同じ音だということが永久に分からない。本人は「どうしても楽譜が読めるようになりたい」と思っているのだけど、私がピアノを前に母にどんなに分かりやすくシャープ♯とフラット♭の意味を説明しても理解には至らず、ハーモニカを断念してしまった。母にとってハーモニカは物凄い憧れらしく、だからこそ楽譜が読めるようになりたいらしいのだがLDが道を阻んで今もダメである。


我が家には母の問題も山ほどある。母は頑固で強情ですごく傲慢で「お母さんに分からないことは何一つないのよ」とよく言っていて、本気でそう思ってるから困る。自己防衛の機能で「分からない」という自分を受け入れなくて「分からないことは何一つない」と本気で思い込む人間が出来上がってしまった。母は友達や町会の仲間から頼まれたボランティアの仕事を我が家にいつもたくさん持ってくる。記事を書く仕事、会計の仕事、膨大な人の量の領収書を書く仕事、「断れない主義」「自分にできないことは何一つないという自惚れ」で、誰もが嫌がる仕事をみんな引き受けて我が家にたくさん持ってくる。でもお母さんはその膨大な量の引き受けた仕事の何一つ一人ではできない。いつも母が引き受けてきたそのボランティアの膨大な量の仕事をやっているのは、母ではなく私とお父さんで必死にひいひい言いながらやっているのが我が家である。しかも誰も引き受けない誰もが嫌がる厄介な細かい面倒な仕事を引き受けてもってきて、私やお父さんに「分からない」と言って騒ぎ立てる。「分からない」とワーワー騒ぎ立てるからこっちは困る。助けざるを得なくなる。母の傲慢や自惚れからくる「断れない主義」は本当に困る。母は周囲の友達や仲間から「あの人に頼めばどんなことでも引き受けてくれる」と思われていて、都合のいいボランティア仕事なんでも引き受け人になっていて、我が家のトラブルメーカーとなって、私とお父さんの悩みの種である。


お父さんのASDの側面も我が家のトラブルメーカー。「お前、洋服がないから買ってきてくれ。えっと袖丈が57.5cm、肩幅が23.4cm、足の長さが70.3cm…云々」と細かく言う。「そんな細かいサイズにぴったりな服なんて無理だよ」というと「失敗したくないんだ!」と怒鳴り出す。「じゃあ自分で行って買ってきたら!紘子には細かいサイズ指定まで無理」ってなり、巻き尺と定規を両手に持って父は買いに行く。で、帰ってくると「ユニクロは全てダメ。あそこは二度と行かない。青山もマルエツも全てダメだ。西友も全てダメ」と騒ぐ。「当たり前じゃん」って言いたくなるけど、また怒鳴られるのも嫌だから放っておくと、コーラスの発表会で「発表服のユニホーム」「衣装」として作った発表用の超派手な鮮やかなグリーン色の明らかに外で着るには「変」な恥ずかしいチョッキを平気で着て川柳の講師の場所へ電車で行く始末。しかもお父さんは冬になっても絶対にコートを着ないオカシナな人で、「私はお父さんみたいに迂遠じゃないし、あそこまでオカシクないから、やっぱりADHD単独、ASDは入っていない」と確信する。


お父さんの迂遠の例をあと一つあげておく。

これはつい3日前ほど前の出来事。父は6月に広島に仕事で行くらしくホテルの予約を電話で取っていた。ホテルの人に電話で「駐車場はお使いになりますか?」と質問されていた。普通なら「使いません」と一言でいう。ところがお父さんは「駐車場はお使いになりますか?」の質問に対して「えっと、私は10時43分発の新幹線で広島駅に行き、13時半から川柳の大会に参加しまして、ウエタケダンセンさんとコイズミコケイジロウとアイハラアヤメ、コモリヤモリーノさんと私との5人で川柳の句の選者をするもんで、そちらにつくのは徒歩になり18時を過ぎると思うんです…私、車を運転できないんですよ、昔、車で事故を起こして人を怪我させているので車を運転するのをやめてしまい…なもんで、駐車場は使いません」っと長々と喋って答えていた。これがお父さんの我が家で毎日私たちが父との会話でイライラしながら話を聞く羽目になる「迂遠」の一例である。


以上が我が家の両親のことと、その遺伝から私に混ざり込んできたASDとLDの「かけら」の話。でもこれはごく一部の話で、私に混ざり込んでいるASDとLD系の症状の「かけら」は本当にまだまだたくさん入っていて、例えを変えて私に色々たくさん混在している。でもASDとADHDの完全な併存例のお父さんを見ていて、私はお父さんほどのASDは入っていないし、お母さんほどLDではないので、診断はADHD単独で合っている。それだけははっきり言える。あそこまでオカシク障害されていない。お母さん遺伝のLD系が「かけら」で済んでよかった。フルにLD系が入っていたら私はもう手を上げて笑って生きるしかない。


以上、エンド。


追記

現在は、バック作りにハマっている。5月になったらバック作り、パッチワークのジャンルで出品活動を本格的に再開していく予定でいる。









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