私の発達性協調運動障害は本当に度がひどい。半端じゃない。


ドラちゃん先生に発達性協調運動障害のことを話すと「それは子供の問題だから。大人になると関係ないから」と言われてしまい苦しみを理解してくれなかった。発達性協調運動障害は「大人になっても付きまとう大問題」である。「子供の時だけ」なんてものじゃない。


発達性協調運動障害といっても症状の出方は人によって様々で多岐に及ぶ。「日常生活において『不器用』で『動作がぎこちない』」などとネットによく書かれる。


ウィキペディアによると「縄跳びが困難」「ボールが片手で投げられない」「ドリブル(まりつき)ができない」「自転車に乗れない」「楽器や演奏や図工の道具を扱うのが困難」「ボタンをかけることができない」「靴の左右を履き間違える」、学校の教科では「体育」や「音楽」「図工」が極端に苦手とある。


まず私は「自転車には乗れる」「縄跳びは得意で二重跳びまでできる」点、相違がある。相違というか症状の出方がそこには障害されていない。


致命的にダメなのは「ボール投げ」「球技」「何をやるのも動作がロボット」「力が入りすぎて鉛筆やシャープペンがすぐにポキポキ折れる」「楽器演奏がロボットで致命的」」「料理のみじん切りや卵かき混ぜ動作が致命的にアウト」の点などである。


どう致命的なのか。

まずわりと最近の例えでいうと姉の家でWiiというゲームソフトで運動系のゲームをすることになった時、もちろんゴルフは空振り連続で0点、野球も三振で0点、フラフープ運動ゲームも一度も回せずダメ、それはもうやる前から分かっていることなので「やっぱり」と思うだけだった。ところが、私を見ていたみんなが「ゲラゲラ大笑い」して「滑稽で可笑しくて笑いが止まらなくて笑いすぎてもう息が苦しい」となったのは、運動系のゲームをしている時の私の「動作」だった。私がゲームでゴルフや野球をしている時の動きの様、とりわけフラフープ運動の様が誰もが笑い転げる程ロボットすぎて「滑稽でオカシイ」らしい。そういえば昔からお母さんによく言われる。「あんたがダンスをしている姿はそりゃあもう滑稽。まるでピノキオがダンスしているかのようにオカシいわ」「あんたは幼稚園の時『あそこにロボットが立っている』『カカシがいる』で有名だった」というお決まりの話。


そんな私が小さい時から30年以上やり続けてしまったのがピアノである。

発達性協調運動障害のことなんて当時つゆ知らず、知識がなく「努力さえすればできるようになる」「できないのは努力が足りないからだ」「乗り越えられない壁はない」とか自分に言い続けてピアノを頑張ってしまった。どう頑張ってもピアノを弾く時に両手に力が入りすぎてカチカチで「ロボット」であり続ける。ピアノを弾く時に一番重要で大切なことは「柔軟性」である。「柔軟」でないとピアノを奏でる時の音の響きが「ふわっとした美しい響き」にならず「カチカチ」のトーンの響きになってしまう。その両者の鳴り響き方は「天」と「地」ほどの違いがある。そして両手に力が入りすぎるとショパンのエチュードを最後まで弾き切るのがかなり辛い。疲れて疲れてもう限界。1曲だけならまだ大丈夫。2曲連続となるともうアウト。あとロボットだと同音の連打が出来なくて苦しい。例えばラヴェルの「トッカータ」。どうひっくり返っても弾けない。ピアノでとにかく一番大切なのは「柔軟性」。普通の人はみんな柔軟。私は普通じゃない。どう普通じゃないかは私がピアノを弾く姿や球技の運動系をしている時の姿を見れば一目瞭然でわかる。それなのにドラちゃん先生は「フットサルやらない?バトミントンは?」とかいう。みんなの誰もが大笑いするピノキオロボット劇の「恥さらし」をやるなんてもうこれ以上は勘弁して欲しい。散々恥を書いて大笑いされ尽くした。ピアノも完全に身を引いてキッパリやめた。ピアノの教授のいう「もしかしてあなたがみんなのように柔軟になれないのは生まれつきの発達の問題?」「とにかくあなたにピアノは不向きだから」の通り。それ正しい。


小学校の時の音楽の時に木琴の授業があった。音楽の先生が「これが木琴の叩き方のダメな人の典型だからみんなよく見て下さい」と言って私を呼んで、みんなの前でダメな人の木琴の叩き方の恥さらし「ピノキオロボット」を披露するハメになってしまった。みんな大笑い。


そして大人になった今もその発達性協調運動障害が付き纏って悩んでいる。

一番の悩みの種が「料理」である。「キャベツや人参のみじん切りがスピーディに出来ない」。「ザクザクザク」とさえいかない。「ザク…ザク…ザク…ザク…ザク」。みんなが10秒で刻める野菜を3分以上かけないときざめない。みじん切りなんてもう途方に暮れちゃう。最近「みじん切り器」というのがあるのを知った。「将来は私はこれを使うしかない」と思った。


あと、よく問題になるのは「卵のかき回し」である。私は「卵かけご飯」が好き。でもその時、卵はあのドロドロの白身の部分がなくなるほどにかき混ざっていないと逆に気持ち悪くて食べられない。だからある程度かき混ぜてからご飯にかける。その時のかき混ぜ方がこれまた力が入り続けすぎてなかなかかき混ざらない。卵をかき混ぜる時の動作はおそらくみんなが笑い転げる「ピノキオロボット」。ホイップクリームをケーキに使うようなある程度尖ったクリーム状にするまでかき混ぜるなんて日が暮れちゃう。


でも私のその発達性協調運動障害。これが逆に「特技」に変わる競技がある。それは「陸上」。

なにしろ普段から色々な場面で「力を抜くことができず力を入れ続けて生きている」のでまず私は怪力になった。誰もが開けられないハチミツで固まったビンの蓋を「えい」の一言で一瞬でするっと開ける。ある時「くろがね堅パン」と言ってあまりにカチカチになったパンを割ろうとして、包丁を垂直に持って「エイヤー」で割ろうとしたら、逆に包丁の先端がぐにゃっと曲がってしまった。それほど怪力。


とにかく体育では「陸上」が得意。足の速さが人の何倍も早くてイダテンで、運動会のリレーはいつもアンカー役で一気に5人抜きしてトップでゴール。あと、発達性協調運動障害の酷さが攻を奏するのか、幅跳びの踏み切るまでの速度と踏み切る時の力の入れ方がすごいため、幅跳びもすごい距離を飛べる。高跳びも同じ。誰一人飛べない高さを私一人飛び越える。その他、得意なのは跳び箱。誰一人跳び箱8段が飛べない中、私1人、難なく「ピョーン」と飛び越える。


あと、百人一首で札を取る時の私の速さがすごいらしい。百人一首は一枚句の「むすめふさほせ」はもちろん、百句全部「上の句」の5文字だけとその「上の句の下の句を」覚えている。でもそれだけでなく「札を取る時の速さが超高速」なので、中学の時、全クラスの百人一首大会で優勝した。「もも…」と聞こえればパッと「なほあまりあるむかしなりけり」、「め…」と聞こえれば「くもがくれにしよわのつきかな」「こぬ…」は「やくやもしおのみもこがれつつ」を一瞬で取るのが私。姪が小学生の時、我が家で百人一首をやって「私」と「お父さん」が姪を想って「手を抜いている」のがバレた。姪が「なんでみんな本気でやらないの!それじゃあつまらない!」と喚いたので「じゃあ」となって「本気」で札を一瞬でパッと10枚くらい連続で取ったとき、姪が急にシュンとした顔になってしおれて泣く寸前になってしまったことがあった。


その他、発達性協調運動障害とは関係ないことでの私の特技をここに少し書いておく。


私の特技はまず「分析力」である。昔から国語能力がとても高い。中学、高校で国語の成績はいつも「5」。「4」になったことがない。とりわけ「読解力」と「要約する力」「分析能力」に優れていて群を抜く。大学の時は「楽曲分析」を専攻して細かいモティーフのアナリーゼ(=分析のこと)、和声分析の力を最大限活かして、作曲法が解明されていない作曲家の作曲システムを解明したトップ成績の論文を書いて卒業した。今でも時折「バルトークの和声法、解き明かしたかったなあ」と、やらずに終わった作曲家の作曲システムの解明のことを悔やむことがある。でも学問の分野では他の人の論文や洋書を読む速度がカメの如く遅いということが「致命的」でオーバーワークとなって「躁鬱病発症」するに至った経緯があるので、今、そして今後も学問の分野に戻る気持ちは永遠にないと断言する。私は今後もハンドメイド作家であり続けるし、ハンドメイド作家として生きていくことが私にとって最も幸せで最も私に合った生き方なので、その道を歩めるようになって本当に幸せである。一番の特技「分析能力」は創作のジャンルで「何がなされていてなされていないことは何か」を見破る能力にうまく使って生きている。


あと、創作とは違うけど分析能力は「自己分析」にも使っている。「自己分析」なんて全ての分析のジャンルの中で最も難解で自己防衛機能や思い込み、認知バイアスによってもっとも騙されやすい難解の極みのジャンル。でも学問の世界から身を引いた私には、そこに「分析能力」を使う以外、本格的に使う場が何もなくなってしまったのである。せっかく「分析能力」に優れているのだから、どこにも使わないのはもったいないので、ハンドメイドの作品づくりをしている時に時折私の頭の中で「セロクエルとラツーダの私における反応の違いはこうこうこうだったから…ということは理論上、α1とα2の結合力がD2遮断力を上まわる薬、セロトニン受容体力がD2遮断力よりも勝りすぎる薬で長期的服薬観点時に脳内で逆のことが起こっていつもうまくいっていなくてウツ悪化、鬱悪循環ループにハマるから…そこにストラテラがパーシャル(作動性)で加わって、インチュニブがα2とガーッと結合していて…でもインチュニブ増量で躁転が起きて…ということはα2を抑えたところでダメで…云々」が頭の中でぐるぐる回り始める(笑)。でもそれがぐるぐる頭を回るのは「時折」であり、普段は「どんな作品をつくったらいいのか」の「創作系」の方がいつもぐるぐる回って創作のことで頭は埋まっている。


もう一つ、私の特技の中で不思議なものが一つある。それは「ジグソーパズル達人」であることである。


ある時、ジグソーパズルにハマってのめり込んで、ジグソーパズルオタクになった。その時にジグソーパズル達人検定2級まで取得した。そしてジグソーパズル達人検定1級に挑戦してそれが4分の3まで仕上がった時に不運なことに東日本大震災が起きて、震度5強の激しい揺れに襲われて、その時やっていた達人検定1級のパズルがグランドピアノの上から全てバーっと床の下に崩れて落ち去って0からのやり直しとなり、一気にやる気力を失ってもう沈没。だからパズル達人検定は「2級」までとなった。その代わり、我が家の階段の途中にイギリスで買った5000ピースの超難解なジグソーパズルが完成された形で額に入って飾ってある。


「景色や人の顔を覚えるのがすごく苦手で極度の度を超えた方向音痴」なのに「パズル達人」。それは「色」の記憶力があるからだと思う。私の「色」へのこだわりは強いし、「色」の記憶力がいい。ジグソーパズルというのは最初に全てのピースを全て色分けする「色分け作業」が肝心でそれがパッとできるかできないかが命で、それが完成までの時間に関わってくる。


さて、私は、5月頃からメルカリへの本格的な出品活動を再開する予定でいる。


ハンドメイド作家「魔法使いアリス」

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