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以前ブログを書いていた時に

フォロー・アメンバーやいいね

コメントでとても困ったので

皆様のご気分を害する文章になりますが

お察しください…

すいません。


プロフィール


元旦から石川県での災害

かなり酷い地震が起きましたね

みんな実家に帰ったりして

楽しいお正月を過ごしている時の

地震はかなり怖かったことだと思います


避難も間に合わず亡くなった方

ご冥福を祈ります


日本は地震大国どこで地震が起こってもおかしくない

かく言う私も阪神・淡路大震災に

合いました

1人目がミルクだったので

実家の大阪に移動しようと

荷物を積んでいて

近所の人が手伝ってくれた

電話番号も教えてくれたので

私は実家の番号を教えた

もちろん家の番号も

あのときは携帯もなく連絡手段は

公衆電話

家から神戸に抜けるのに

救急車も警察も全部動いていない

もちろん信号も電柱も倒れたり

電線も切れて垂れていたり


燃えるビルの横をなかなか動かない

道路で火災報知器が鳴りながら

燃えるビル

その横をみんな早く抜けたい

だからそこだけはみんな早く抜けていた

車の中でも熱を感じる熱さ

倒壊した家の横で毛布をがぶり

呆然とする人たち

2車線の道路は家の倒壊で1車線になり

信号の電線をみんな避けながら運転をする


逃げて来なければ見なくて済んだ光景

だけど大人だけならなんとかなったかもしれない

赤ちゃんがいるのは流石に

その場に居れない…


私は赤ん坊の娘を抱きながら

瓦を必死に退けて掘っている人や

コンビニに並ぶ行列

公衆電話に並ぶ行列

倒壊した家

斜めになったビル翌日に倒れた

真ん中が潰れたマンション


みんな必死に何かをしているのに

逃げている私達…

何も手伝えない

そう思う時と号泣した


なかなか進まない車

ずっとその光景を見ていた

家が燃えてバケツリレーをしている

みんなわかってる

そんなことで消えないことは

だけど消火栓が壊れて使えない

それしか方法がない

新しい家は立っている

水は来ていない

必死にバケツで水をかけていた


高速道路がネジ曲がり倒れている

そこは通れない

みんな違う道を模索しながら

東に向かう…


もう三十年経つのに頭にこびりついて

忘れられない光景…


通り道なので旦那の実家に寄った

なんとか凹んだ道路をゆっくり

走り通り抜ける

夜には陥没した


朝、出たのに

普通なら30分で着く所が

道が通れないところが多く

ついたのは5時間後だった


付いてすぐにわかった

もう住めない

断層が家の真ん中にあった

庭が隆起して家ごと持ち上がり

いつ糊面から落ちてもおかしくない

そしてガス臭くて

ロープをみんなで貼って

そこに「ガスが漏れています

タバコやライターマッチ等は使わないでください爆発します」と書いて

あちらこちらに貼った


義父たちは小学校に避難するから

と言った

家を毎日見に来ないと駄目だからと


私の実家に連れていくつもりだったけれど

確かにいつ落ちるかわからない家を

無責任に放置してはおけない

なんとか義父の実家にあった

少し細い丸太何本かで抑えるしか

方法がなかった


義父達の家の近くの公衆電話から

私の実家に電話をしようと

長い列を並んで順番を待った

やっと順番になり

家にかけても誰もいない

だけど連絡はしないといけない

後ろにも行列が繋がっている 

近所に住んでいる従姉妹の家に電話をして

事情を話し母親に連絡をとってほしいと

行列が出来てるから事情を話してる時間がないから

とにかく行くからと…で

電話を切った


そこから

実家についたのは

もう夜…


大阪について

途中何事も無かったかのような

普通の状態…

ホッとしてまた涙が出た


実家についたら

兄や叔父が荷物を運んでくれた

親戚一同揃って待っていてくれた

車は母がよく行くお店の人がやっている

駐車場に停めていいからと

ずっと停めさせてくれた


実家につきホッとしたのか

また涙が出て止まらない

何も食べていなかったことなんて

忘れていた


実家では鍋やいろんなものを用意してくれていた


だけどすぐには食べられなかった

旦那は1人食べていた…

娘を抱いたまま手が離せない

離してしまったら

消えてなくなりそうですごく怖かった

まだ五ヶ月の赤ん坊

もしかしたら死んでいるのでは?

いろんなことが

見てきたことが頭から離れない…


母親が娘を私からそ~っと離して

抱いてくれた…

「怖かったやろ…ミルク上げといてあげるから…少しでも何か食べなさい」と

言われて初めて

安全な所に避難してきた事の実感が湧き

床に突っプツして大泣きをしてしまった


怖かった

何もできない事にとても悲しかった

あの人たちはどうなってしまうのだろう?

義父達は?

頭がぐるぐるして

自分達だけ安全な所に

逃げてきてしまった

なんて非情な人間なんだろうと

余計に泣いてしまった


叔母が私の背中をさすってくれて

「怖かったな…泣いたらええ

泣きたいだけ泣きなさい

泣いて泣いてもう涙が乾いてしまったら

少しでも何か食べなさい

〇〇ちゃんの為にもなにか食べないと駄目だから」と慰めてくれた

余計に涙が出て子供の頃に大泣きした

状態になってしまった

そして涙は枯れた…


お鍋を少し食べた

だけど少ししか食べれなかった

疲れきって寝てしまった…

遠くでみんなの声がする

「怖かったんやろな、疲れてるんやろ

少し寝かしといたろ」と


目が覚めてから

少し落ち着いたけれど

テレビから目が離せなくなった

ビルの倒壊や陥没

今日そこを通ってきて

そんな場所ばかり…


だけど私は知らなかった

どんな状態かを知りたくて

テレビにかじりついていたけれど

ヘリコプターでの撮影

何機も飛んでいた


そのせいで

助けを求める声が聞こえなかったことを

考えもしなかった…

近所の人に何か送りたくても

何も送れない交通手段がない


だけど

一週間に1回週末に家を見に帰った

娘を母に預けて


その時こっちからいろんなものを買って

近所の人に持っていった

水は近くに浄水場があったので

足りていた

ないのは食料だった

ちゃんと何が欲しいかマンションの人に聞き

持っていった

一週間に1度日の持つもの

すぐに食べれるもの

電気が通ったと聞いたから

お湯を入れて食べれる温かいもの


途中から自衛隊の人がやっと来てくれて

食料やお風呂に困らなくなった

そこで私達の食料の配達は終わったけれど

毎週家を見に行くのは続いた

JRが通る4月まで…


阪神・淡路大震災のお陰で

地震はトラウマになった

ちょっと揺れるだけですごく怖い


東海地震でもこっちもかなり揺れた


だけど

災害に見舞われたお陰で

必ず3日は一人で生きれるように

備蓄と寒いときに多いから

災害袋の用意をしてある


正直今回は元旦でみんなのんびりしていた

まさかの震災

かなり怖かったはず


だけど1日目にはもうNHKのレポーターが

現地にいた

津波の危険があるので

みんなで高台の駐車場にいると話していた


翌日羽田で航空機事故

海保の物資輸送の飛行機とぶつかった

海保の人たちが五人亡くなった…


今日朝テレビを見たら

「何が足りませんか?」とレポートをしている…

「食料とかブルシートとか…」と答えていた


石川県で大きな震災があった…

家が倒壊亡くなった方もいる


だけど私は思ってしまった

大震災は今まで2回あった

その時にものすごく大変だと話していた


3日分の食料や水寒さ対策は

自分で用意をしておくこと

これは何度もテレビで聞いた


私はローリンがストックをしている

置いておいて消費期限が近くなったら食べたり飲んだりする

その時はすでに次の分を買っておく


あとは避難袋色々入っている

簡易トイレだって入ってる


みんなあれだけの震災があったのに

「寝たけど床が固くて…」そんなの当たり前のことじゃないのか?

避難してきてるんだから

避難できる場所があるのだけでも

ありがたいのでは?

直ぐに自衛隊の人が来てるんじゃないのか?


助けてくれてるのでは?

前の2つの震災より

助けは早く来てるんじゃないの?


贅沢言い過ぎなんじゃないの?

娘さんが二人亡くなったお父さん

悲しみの中話してる

いっぺんに娘を2人亡くした人が居る

そんな人の前でそんな事が言えるのか?


なんか腑に落ちない…


震災があった

きっと大変だろう…

それはわかる

だけど生きてることに感謝して欲しい


瓦と一枚一枚一生懸命に掘ってる人なんて居ない…


すでに被害がどれだけかわかってる


学ばなかったのか…

あの2つの震災で…


私は生きて文句を言っている人に対して

嘆かわしいと思ってしまった

持ってはいけない感情を持ってしまった


だからもう見ない

救助は来ている


亡くなった方を悼んではいる

元旦実家に帰ってきていて亡くなった

こんな悲劇はない

楽しく過ごしていたに違いない

なのにこんなことになってしまった…


なら生きている人

避難できている人は

ある程度は我慢をして欲しい

こんなに早く救助が来ているのだから


リポーターも

「何がほしいですか?困っってますか?」

聞かないで

てか、被災地にまだ行かないで

あと少し待ってから

行って話を聞いてほしかった


そんな感情を持つ自分に

すごい小ささを感じる…


お亡くなりになった方を悼んで

ご冥福を…