全洋楽ファンと4人の偉大な男達に捧ぐ

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筆者が"その絵"をはっきりと意識し始めたのは、20歳のとき四国へバイク旅に行ったときのことである。

高知県の宿毛(すくも)の辺りにあるビジネスホテルに入ったとき、"その絵"が飾られていたのだ。
筆者はある程度"経緯"を知っていたのだが、絵の作者まで知らなかった。

レディングの骨董屋に眠っていたところを、たまたま立ち寄った"彼"の目に留まり引き取られた。
後に世界中の人間が"その絵"の存在を知ることになるとは、"彼"も想像していなかったかもしれない。

四国の旅から還った筆者は、早速"その絵"の作者を調べ始めた。解き明かすキーは、薪を運ぶ文化に隠されていると筆者は睨んだ。

ヨーロッパで特に薪暖炉が盛んであったのは、1800年代のフランスであったと思う。

冒頭写真は、近代印象派画家ミレーの「薪を運ぶ女性」である。

ミレーはフランス人なのだが、ブルゴーニュの冬などは零下10℃くらいまで下がり、薪暖房は欠かせない。
基本的に薪を割るのが旦那で、暖炉まで運ぶのは女性の役目であったそうだ。

"その絵"自体、絵と評されているが、筆者は最初写真かと思ったくらい精巧に描かれている。
近代印象派の作品にしては古いと考えたが、1900年代の油絵画家の作品でもないだろう。

結局、時代をさらにバックして、「フェルメールなどのバロック期の画家の作品が"その絵"の作風に近いのではないか」という結論に至った。

色々な文献を読み漁ったが、残念ながら"その絵"の作者を突き止めることは出来なかった。
それに、バロック期全盛の1600年代に薪暖炉が盛んであったかは不明である。

以上が20歳の時調べていた筆者の結論であるが、行動範囲が広がった今、改めて"その絵"について調べてみたい気持ちになった。

因みに、"彼"は自伝を書く気がないみたいだから、何とも困ったものである。









ほとんどの絵画には作者の署名が記載されているにて