心理学者のアドラーは、経験などが人間に与えるトラウマについて、常に懐疑的な立場を取っていた。
彼が唱えた目的論は、必ずしも幼少期に受けた事柄が、人格の形成に影響を与えるのではなく、その人の捉え方で後遺症とはならないというものであった。
しかしながら、1970年代の子供にはたくさんの恐怖が存在し、トラウマの温床となったと思う。
スティーブンキングが描いたピエロや、フレディが爪で黒板を「キー〜〜〜」っと鳴らすあの嫌な音など。
出で立ちも恐ければ、やることも恐ろしい。
1971年、EMIミュージックより、ジェスロ・タルというバンドが「アクアラング」というアルバムを出した。
今でこそ名盤の類に入るが、筆者にはどうしても理解できない部分があった。
それは、ジャケットの意図だ。
バンドのインタビューだったかで、ジャケットは「1970年の子供達が描く恐怖」をイメージしたのだそうだ。下記↓
ロックンロールサーカスで見たのが初見だったが、片足でフルートを吹く奇天烈なスタイルには、「両足で立っていられない病気?」とか考えていたが、実はトラウマをうまく使った戦略だったのではないかと筆者は睨んでいる。
アンダーソンのひん剥いた目玉やら、片足奏法は、視聴者に恐怖とともに凄みも同時に植え付けた事だろう。
ジャケットの意味深なコンセプトにもうなづける。
最近筆者が見たトラウマが残りそうなジャケットを紹介しよう。
ブライアンジョーンズタウンマサカーが出した、シングルOpen Minds Now Closeのジャケットがこちら。
このバンドは、発足当時はどちらかといえば正統派ロックバンドだったと記憶しているが、どこで路線変更があったかは不明だ。
一つ言えるのは、トラウマを利用した音楽ビジネスに乗り込んできたということか。
今後も、トラウマを駆使したアーティストのジャケットやスタイルに、目が離せない。
--------------<2部:気付いた筆者>--------------
1部の原稿を書き終えた筆者が、投稿ボタンを押そうとしたその時、何気なく文書を見直すと、一つ気付いたことがあった。
Melody's Actual Echo Chamberから、Actualを除くと、Melody's Echo Chamberとなり、その名のアーティストが存在するのだ。
数年前にアルバムを買った記憶があったので、CDラックから探し出し改めて聴いてみた。
一曲目を聴き終わり、「トラウマとは何の縁もなさそうだな」、そう思いヘッドホンを外そうとした時、2曲目が何だか妙に引っかかった。
終わり部の2分間のノイズ混じりのインストに、PVの目に焼きつく映像が意外にもトラウマな感じがした。
気付いたことが、トラウマの始まりだったか.....。
今夜は一人でトイレに行けないにて