7月29日 突然さよなら | 母のゆるゆる食道がんライフ

母のゆるゆる食道がんライフ

食道がん・ステージⅣを克服する気のあまりない母の様子と、
娘(私)の思い。
がんと真摯に向き合う方の参考にはならないかも。。。

タイトルの通り。

7月29日の午前10時過ぎ、母は突然旅立って行った。

前の週の土曜日23日には帰宅して、
弟と3時間もパチンコをしていた。
私は息子の付き合いで出かける予定だったので、
母とはすれ違うように出かけた。
夜はLINEで
「楽しかった!みんなありがとう!」
と送ってきた。

チラっとしか会わなかったけれど、顔色が良かった。
その前に病院に行った時も、
ナースさんにも調子良さそうって言われるんだと話していた。

ただ、28日に私と弟に変換のおかしなLINEが来ていた。
私の息子がいなくなる夢を見たらしかったので大丈夫だよ、写メ付きで返事したら、
なら良かった!と返ってきた。
一応心配になって病院に電話したけれど、
前日から鎮痛剤を少し増やしてぼんやりしているが、
体調に変化はないと言われた。
ならいいやと思い、悪い夢を見たらしいので声をかけておいてくださいとお願いをして、
翌日病院に寄ろうと思っていた。

29日。
朝8時半頃に母から着信があった。
でもたまに誤作動でかけてくることがあったので、
きっとまたそれだと思った。
でも留守電が入っていたので聞いたら、
「……昨日はパニクっちゃって、おかしくなって………」
そんな部分しか聞き取れなかった。
昨日の夢のことだなあ、と思ったので、
大部屋にいる母に折り返すのも憚られてそのままにした。

10時過ぎ、弟から電話があった。
病院からすぐ来られますか?って聞かれたと。
第一連絡先は私なのになあと思いながら、
すぐ行くと伝え、息子とすぐに家を出た。

10時半には病院に着いたので、病室に向かったら、
母のいるはずの場所にはベッドもなかった。
変な汗が出た。
ナースステーションに行くと、上の階に連れて行かれた。
途中で、「容体はご存知ですよね?」と聞かれたので、
すぐにと言われただけで何も知りません、と答えた。

上の階の個室に通された。
母はベッドごと移動していた。
ベッドサイドのモニターが全て0になって、警告音を鳴らしていた。

「は?死んじゃったんですか?」
とナースさんに聞いたら、
「ご家族お揃いになったら医師が参ります」
とだけ言われた。
2時間前に留守電入れて来た人なのに???
「え?は?なんで?なんで?」
と口走りながら母の隣に崩れ落ちた。

少し落ち着いた頃に弟が来た。
「間に合わなかった…」とだけ言い、
私がしたように泣き崩れた。

少しして、主治医が来てくれた。
昨晩から痛みを訴え、麻酔を増やした。
朝は落ち着いたと話し、トイレも自力で行ったと言う。
しばらくしたら急に意識レベルが下がったので個室に移し、
どんどん低下していったので連絡をくれたらしい。
たまたま朝採血していたので数値を見ると、
恐らくどこかから出血があったと思う、とのことだった。

容体が急変する可能性は聞いてはいたけれど、
元気そうだったので慢心していた。
昨日来ていれば、朝電話してあげていれば…。
見送ってあげられなかったことを責めた。

ただ、一番嫌がっていた苦しみ抜いて終わるという事態は避けられた。
そのことが、私たちのことも救ってくれた。

午後、母は自宅に帰ることができた。
8月6日にまた帰宅予定で、その日はみんなで空けていた。
それが楽しみだから元気なのかな、と話していたのに。

それから。
お通夜と葬儀が終わり、私は事務手続きに追われている。
ここに早く記さないとと思いつつも、
書く気力が出なかった。

自分のために、またその後のこともいつか書き残そうと思っている。