病院内にあるレストランで一緒に昼食をとった。
そこのレストランはファミレス的に和洋中取り揃えてあった。
私は「エビチリ定食」を注文した。
正確に記せば、「母が食べたいと言うエビチリ定食」を注文した。
定食に付いていた中華スープは、母にあげた。
取り皿に、エビチリのソースを少し取って、それも母にあげた。
それが、母のお昼ごはん。
固形物も食べていいとは言われているものの、
やっぱり詰まる感じがして食べられないらしい。
でも、色んな味は口にしたい、と。
今、母には病院の食事は提供されない。
もちろん言えば出してくれるけれど、
医師は「自分で用意できるなら、好きなものを食べなさい」と言ってくれる。
なので、病院からの食事は頼んでいない。
そんなことできるんだ!とびっくりした。
病院の食事って、強制的に出されているんだと思っていた。
この病院だけの制度なのかもしれないけれど、
そして母の食事が特殊なだけかもしれないけれど、
食べたくもないし、料金が自己負担の病院食を断れるのは良い。
ただ、母が自力で用意できる食事なんて、
院内のコンビニで売っているものくらい。
しかも例えばカップ麺を作っても、食べられるのは汁のみ。
家族が持って行くにも3食は無理だし、離乳食よりも少ない分量。
そこで、「一緒に食事して、シェアしたらいいのでは?」となって、
今日は初めてそれを実行した。
エビチリのソースは、とっても美味しいと喜んでいた。
辛いものなんて久しぶりだなーと。
中華スープも気に入っていた。
ついでに、添えてあったザーサイも舐めていた。
味のレベルなんてたかが知れた料理だったけれど、
母はとても満足していた。
何より、残すことを気にせず食べられるのが嬉しい、と。
私も、久々に母と食事できたことが嬉しかった。
実は前から思っていたけれど、
食べられない母の前で、自分だけバクバク食べるのは気が引けた。
でも、そんなこと気にしなくて良かったようだった。
病棟にある談話室でも、持ち込んで食事していいらしい。
これからは、時間があればなにか持って行って、
一緒に食事してあげようと思った。
前の日の夕食の残りだっていいんだから。
母が食道がんになって、「食べること」の大切さを痛感している。
食べることは「生きていること」を一番感じられるんだと。
「美味しい」という感情は、人を幸せにするのだと。
今日、ソースを口にする母の表情が、それをまた教えてくれた。
そして、大切な人と食事できるのも、また幸せなこと。
私はいわゆる「おひとりさま」も好きだけれど、
それはいつでも人と食事できる環境で1人を選ぶから。
今日の母との昼食の時間は、私も何だか楽しかった。
次は一緒に何を食べようかな。