コタキナバル島は、日本から飛行機で6時間半。時差1時間。
マレーシア サバ州に属し、美しい海が広がる常夏のリゾート。
ハワイやグアムに比べると日本での知名度は低いが、欧米からの人気はむしろ高い。
日本からは成田からの直行便が週に2便、水曜と金曜に飛んでいる。
今日は水曜日。また新たな観光客が、この島にやってくる日だった。
「アイシャ!あっちのヴィラの掃除は済んだのかい?」
客室係のチーフであるマルヤムは、男性ホテルマンと楽しそうに話し込んでいるアイシャがふと気になり、声をかけた。
「え?
あのね。まだなの。あそこ、一番端っこでしょ?遠くて・・」
新人のアイシャは、顔はかわいいが仕事は手抜きが多かった。そもそも仕事が好きではないのだ。
このホテルの客室係になったのも、泊まりに来る金持ちの客と遊びたい、もしうまくいけば・・という下心あってのことらしい。
この道30年。ベテランのマルヤムは、この仕事が好きで誇りを持っていた。どんな理由で勤めたいかは個人の自由だが、手を抜かれた為にホテルのクオリティや自分達の評価が下がるとなれば、話は別だ。
「なに言ってんだい!もうお客が着いちまう時間だよ!!
遊んでないで、さっさと行っといで!」
鬼軍曹のようにアイシャを叱り付け、ヴィラへ行かせた。
「もー。なによ。あのおばさん。怒りすぎなんだから・・」
アイシャはブツブツと怒りながら、バケツ片手にヴィラへと向かっていた。
自分は別にホテルマンになりたい訳じゃない。ここはあくまでも出会いの場。
リッチなリゾート客と遊びたいだけだ。
「適当にやって、早く遊びに行こうっと」
担当のヴィラは、このホテルの中でも一番離れた場所に建っていた。
ヴィラを取り囲むプライベートエリアも一番広く、周りの海には時折イルカや海亀の姿を見ることもある。
このホテルの自慢の部屋だ。
「ただ、やたらとら遠いのよねえ」
宿泊客にはカートがあるから遠くても問題ないが、従業員となるとそうもいかない。
だから、遠くのヴィラは、体力のある若者が担当になるのだ。
「やっと着いた〜」
アイシャがヴィラのドアをマスターキーで開けようとすると、「ハイ!」と声をかけられた。
振り向くと、サングラスをかけた赤と青のアロハ姿の男性が2人立っていた。アジア系だと一目で分かる。
若く見えるが、多分20代。顔は見えないが、スタイルは悪くなかった。
ーーナンパ?
アイシャは髪を直しながら、「何の御用?」と気取って見せた。
「ソノヘヤー ワタシタチ ツカウネー」
青のアロハが変な言葉を喋り出した。
「ココー ワタシトー タカノー アイノスー」
「・・・は?」
何か言っているが、意味がわからない。
コーリャン?チャイナ?アジア系には違いないが、アイシャには違いがわからない。
「おい、ユージ。悪ふざけするな」
赤いアロハの方が「これ」とカードキーを見せてきた。
・・なんだ。この部屋の客だったの。
アイシャは勘違いに気付き、恥ずかしさで真っ赤になった。
「すみません。そこ、まだ、お掃除が済んでなくて・・」
だがアロハ達には言葉が通じない。
勝手に鍵を開けて、中に入ってしまった。
「ちょっと!
ちょっと待って!」
常にきれいにはされているが、まだ中の状態がどうなっているか分からない。
仕事は面倒だが、クレームをつけられ、上から怒られるのはもっと嫌だ。
アイシャは慌てて追いかけた。
このヴィラは海に突き出た桟橋上に建てられていた。内装は白とベージュのナチュラルカラーをベースにしたオリエンタルなインテリア。
豪華さと過ごしやすさのバランスを考え、所々に飾ってあるグリーン。
そして部屋の奥にある、一面海に面したバルコニー。
青い海と青い空が最高の絵となり、この部屋を飾ってくれる・・。
「あんなところに!」
何て素早いんだろう。
2人はもうTシャツ姿でバルコニーに立ち、のんびりと海を見ていた。
(なんだろう・・)
逆光で顔はよく見えないし、男同士だし、カタカタ変な言葉を喋るし、どこにもロマンティックな要素はないのに
恋愛映画を見ているような、変な気分だった。
「あれ?」と一人がこちらに気付いた。さっきアイシャをからかった「ユージ」だ。
アイシャは苦笑いをしながらバケツを持ち上げ、掃除をするアピールをしてみせると、ユージはとんとんと、隣にいる「タカ」を突いた。
「掃除したいみたい。どうする?」
「掃除?」
タカは、サングラスを取りアイシャを見た。
(え、やだ。かっこいい・・)
アイシャは自分の顔が赤くなるのを感じた。
「・・今から?」
タカが何か言った。
意味はわからなかったが、なんとなく通じてる気がして、アイシャは「そうそう」と頷いた。
(この人はいいわ。優しいし、かっこいいし、素敵。)
アイシャはタカに対し、思い切り可愛く見えるように微笑んだ。
「はいはいはいはい。
モーマンタイ モーマンタイ」
いきなりユージが割り込んできた。
なに、こいつ!?
「あの、でもまだ、お掃除が・・」
「アリガト
オーケーオーケー」
「あの・・!」
ユージはもう一度室内を見回すと、
「ダイジョーブ キレイデース
ソウジ イラナイネー」
アイシャの肩を掴み、強引にドアへと連れて行くと、「アリガトゴザイマース」と、外へ押し出した。
なんて酷いやつ!
タカ・・・
彼ともう少し一緒に居たかったのに・・・
アイシャはユージを睨みつけた。
どんな奴なんだろう。実はブサイクだったらいいのに。
そうしたら、客でも構わない。絶対に笑ってやる・・!
流暢な英語でそう言われ、目の前でドアがパタンと閉められた。
小声で呟かれた「もう来ないでね」の言葉に、アイシャはかあっと血が上った。
なんて傲慢で、失礼な奴だろう。そもそも英語を話せるのに、どうしてあんな変な言葉を使ってるの?
「何なの・・!?」
腹を立てていないと、さっき見えた顔に心を奪われてしまいそうだった。
あの2人はどういう関係?
何故、ここに来たの・・?
そう考えたら、不思議なことに、見 慣れたヴィラが、急に謎めいて見えてくる。
この仕事も、案外面白いかもしれない、と思い始めていた。