「しおり先生は・・家庭教師で、数学とか、英語とか教えてくれ・ッゲェッ、ゥウ、・・ッ!」


魚のようにバタつく圭介の身体を膝と体重で抑えながら、大野は喉仏に入れた力を少しだけ抜いた。

圭介は、ひゅー、ひゅーと高い音を立てながら、狭められた気管で必死に息を吸い込んだ。


「時間稼ぎもするな、と伝えてなくて悪かったな。

用件はそこじゃない。分かってるだろう?

お前がしたこと。知っていることだけを言え。」


圭介は鼻水と涙をこぼしながら、こくこくと頷いた。その表情には、もはや怯えしか映っていなかったが、それでも大野は喉仏から指を離さない。


「お、俺は、俺はしてない。してない。」

「・・そうか」


大野の親指が意味ありげに動いた。その動きを敏感に察知すると、圭介はたまらず言葉を続けた。


「や、ったのは、親父だ!あいつ、が、・・俺も、好き、だったのに・・!

俺が勉強を見てもらってる時も、しょっちゅう入って来て・・!

見たんだ!先生の体をベタベタ嫌らしく撫でて・・先生は嫌がってた!」


大野の指が動きを止めた。


「それ、だけじゃないぞ?俺が母さんと出かけて居なかった時、あいつは先生をこっそり呼んでいたんだ・・!

俺と母さんが何を見たか分かるか?分かるだろ?」


圭介の目が怯えから勝者の色に変わった。


「俺の部屋で!ここで!このベッドで、あいつ、先生を犯してやがった!!

先生は朦朧としてたよ。親父に薬でも盛られたんだろ。

でも、あいつは母さんに「誘われた」「誘惑に勝てなかった」と言い張った。

母さんは馬鹿じゃない・・。分かっていたんだ。でも、プライドがそれを許さなかったんだろ。

親父の言葉が嘘だと知っていたのに、それにのった・・。
 
見たことのない顔をして、母さんは先生の髪の毛を掴んでベッドから引きずりおろした。

・・俺の、目の前、でさ。俺も、いるのに・・」


圭介の目から、涙が流れていた。


「俺は、何も、出来なかった・・

先生を助けることも、親を止めることも出来なくて・・そこに存在を消して立ってるだけで、精一杯だった・・」


大野の指が震えていたが、興奮している圭介はそれに気づかない。

圭介自身、ずっと溜めていたことだった。許せない親。2人ともクズだ。あんな奴が偉そうにしているこの世の中も全部、全部クズの塊だ。

こんな形だったが、長年溜まっていた膿みを吐き出せる。やっと、あいつらのことを言える。


「その後、先生のことが心配で・・学校帰りにそのまま先生の家の方へ行こうとしたことがあって・・

でも、家とか分からなくて。ウロウロしてたら遅くなって、補導された。

親が迎えに来て・・それから変わったよ。俺への扱いが。

お父さんがどれだけ立派な仕事をしているか、この家の一員でいるということが、どういうことか。

要は黙っとけ、って事だ。お偉い仕事をしてるから立派な人間、なんだとさ」


大野の手が圭介の首から離れていた。


「・・先生が亡くなったって聞いて、死のうと思った・・。でも、俺が死んだって、美談にされる。理由はどうとでも後付けされて「可哀想な親」の出来上がりだ。

それなら、『厄介な長男』でいる方がいい・・」







圭介が話した内容は想像とは違ったが、この家に入り込み、何度も感じた違和感や歪さとは通じるものがあった。

大野の中のもう1人が、行き場もなく増すばかりの怒りと嘆きに暴れていた。