「智さん。早く早く」
 
 
あかりが弾むような声で大野を呼んだ。嬉しくて仕方がないという気持ちが、全身から溢れ出るような笑顔だ。
 
あかりは父親に頼み込み、大野との縁を取り持ってもらった。きっと駄目だろうと諦めていたのに、思いがけない承諾を得ることが出来て、もう毎日が幸せの連続に思えていた。
 
大野がまだ少し余所余所しい態度を取るのも、大事にされている様で嬉しかった。
 
 
「ただいまぁ」
 
 
あかりが玄関を開けると、「お帰りなさい」と母親が出迎えた。
 
 
「大野さんもいつも送迎してもらってしまって・・。どうぞ上がってくださいな」
 
 
一見優しそうな世間知らずの妻。・・に見えるが、この女性もなかなかの曲者だ。
 
大野はここ数日、右澤圭介に何とか接触しようとしていたが、全てこの母親に阻まれていた。
 
たかだか二階。階段を上がればすぐそこにいる。それなのに、こんなにも近くて遠い。
 
兄の話は家族の中では禁句になっているのか、誰も口にすらしない。話のきっかけすら掴めない。
 
婚約者として入り込めば、会食でもする機会もあるだろうという考えは見事に外れ、ただ時間だけを浪費していく。
 
あかりには気の毒だが、婚約はあくまでも圭介に近づくための手段にすぎない。本当に結婚などする気もない大野は、あかりを気の毒にすら思っていた。

自分の為にだけじゃなく、あかりの為にも、何とか早く肩をつけたい。


 
 
・・ないのなら、作るしかない。
 
すでにセキュリティ関係や家族の行動パターンは把握している。そこは婚約者として入り込んだ甲斐はあった。

ただ、ここから先は完全に犯罪行為。いいのか?と頭の中で声が聞こえた。
 
 
いいさ。その覚悟がなければここにはいない・・
 

必要なものを揃え、チャンスを待った。



それから3日後、夕食に呼ばれた。昼よりは夜のほうが動きやすい。しかも今回は父親の誕生日祝いらしく、家には全員が揃う。

大野はワインを持参し、薬を混ぜた。適量が入るよう気は使ったが、父親、母親、あかりと次々にうたた寝を始め、そのうち寝息が聞こえ始めた。
 
とはいえ、時間はそうない。
 
大野はポケットから手袋を取り出してはめると、そっと部屋を出た。足音を殺して階段を上りきると、圭介の部屋のドアノブに手をかけた。

扉に耳を近づけてみたが、音は無い。

ゆっくりとドアを開けた。パソコンのバックライトだけが灯る暗い室内に身を滑らせ、再びドアを
 静かにしめた。