愛する息子ちゃんのこと
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脳波



photo:01



昨日、無事退院しました。一昨日、脳波の検査をした様子。

息子ちゃんは、一度寝たらなかなか起きないので、スムーズに検査ができました。


結果は、微妙・・ショック!
やはり、波が飛んでいる?らしい。また、主治医にみてもらって、きにんと話ききます。


iPhoneからの投稿

入院3

前置き長い…(>_<)
息子ちゃんは、今日、脳波の検査をしました。ぐっすり眠ってくれてとても良い子でした(*^^*)


続き…




どんな治療をしたのか、あまり医療には詳しくないが、そのとき受けた説明によると、喉が腫れていたので、ステロイドを使ったということだった。

それだけ?私は本当に驚いた。前の病院はなんだったのか…。

前の病院でも二度、呼吸器なしを試みたことがあった。日中は頑張れても、夜になると辛そうになってくる。

でも、親の目から見て、二回目のときは、夜もいけそうな感じだったので、主治医に今日は、夜も呼吸器なしをチャレンジできるのでは?と提案した。

しかし、主治医からの答えは「夜は人手が手薄になるから、何かあったら対応できないので、難しい」だった。


新しい病院でも、呼吸器をとった時に、夜間急変するのが心配だと、主治医に相談した。その時に言われたことは「ここの、小児科医師や、NICの医師はみんな信頼できる者達で、技術も持っている。何かあれば、すぐにかけつけます。お母さん、安心してください」だった。

そう、私は「安心」が何よりも欲しかったのだ。息子が安心できる場所、安心して任せられる医師、看護師。

あの、毎日毎日、夜がくることが怖かった日々、早く朝がくることを祈り続けた日々が、やっと、終わった。

息子が産まれて三ヶ月間、最悪の環境の中、息子はよく頑張ってくれたと想う。ママがもっと強いママだったら、息子ちゃんの苦しみは、もう少し減っていたのかもしれない。

息子ちゃん、こんなママで、ごめんね。これからも、命をかけてあなたのことを守ります!!



iPhoneからの投稿

入院2

話がそれてしまったけど、せっかくなんで続きを書きますガーン


私たちをおいてさっさと次の病院に転職した主治医。

次に主治医になった先生も同じことしか言わない。


私はもう完全にキレた。私は当時弱い母親で、主治医の言うことは全て信じたし、看護師が息子ちゃんにするトンチンカンなお世話も笑って許してきた。

だって、当時はその病院しか受け入れてくれるところがないと思ってたから。その病院の先生に見捨てられたら、終わりだと思っていた。


でも、それは大きな間違い。実際に苦しんで痛い思いをしているのは、私の息子。この病院の人たちは所詮他人。私が息子を守ってやらなくて誰が守る⁈絶対にこのまま言うなりになるもんか、私が息子を治してやる、守ってやる。

そう人工呼吸器をとりつけられて、一生懸命に生きている息子に誓った。

それから私はまず、地元の市立病院の小児科に相談をしにいった。そこで受け入れてくれなくていいから、息子の今の状況を理解し、話を聞いてくれる医師を紹介して欲しかったのだ。

その市立病院の医師は、少し遠いが小児科の分野で様々な症例をみてきた医師がいますよと教えてくれた。

私はすぐにその病院に電話し、本人は動かせないので、不在でも診察してくれるのか確認し、予約をいれた。

それから、息子の元へ戻り、主治医にセカンドオピニオンをしたいので、これまでの息子のカルテと画像、そして紹介状をお願いした。

主治医はすごく驚いていた。私が反論するなんて思わなかったんだろうな。実際に親の私たちに何の相談もなしに、気管切開の手術日が決まっていたのだから。

そして、数日後、新しい病院へ、息子の資料と、息子の様子をビデオ撮影したものを持参した。

新しい病院の先生はとても穏やかで、私の話をゆっくり聞いてくれた。

もっていった検査結果や画像の資料、息子の映像をみせた。私は会ったばかりだったが、この先生にやっぱり気管切開が必要だと言われたら、素直に受け入れようと思っていた。それほど、今までの医師とは、オーラが違った。


先生は、一通りみて、話はじめた。
「私は実際に診ていないから、何とも言えないが、映像をみるかぎり気管切開しなくてもいいんじゃないかと思います。」

私はもう、ここしかないと思った。そして「もし、この病院に転院したいとお願いしたら、引き受けてくださいますか?」と聞いた。先生は「はい」と言った。そして「転院の話は私が今の病院へ連絡しましょう」とおっしゃってくれたのだ。

私はすぐに病院へ帰り、転院したいと伝えた。すでに、新しい病院から連絡がきていた様で、話がトントン拍子に進み、セカンドオピニオンをして、三日後には次の病院へ転院していた。


そして、前の病院では、あれだけ人工呼吸器からの離脱は無理だ、気管切開しかないと言われていた息子だったが、何と転院して、一週間で離脱でき、それから二週間後には、酸素なしで生活できるようになった。






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