【ご注意】
長く生きることは、本人にとっても家族や周りの人にとっても素晴らしいことだと思います。
なので、延命治療は否定しないし、母が望めばして欲しいとも思っています。
ここから先は「本人が延命を望まない場合の話」として読んでいただきますようお願いいたします。
母がすい臓ガンになってから、よく話題にでることがある。
それは
「短くても幸せに生を全うしたい」
というものだ。
母は基本的に長く生きることに執着していない。
生きることを諦めているわけではなく、
どんなに短くても、本人が生きたいように、幸せだと思える道を選ぶ
これが母が望む生き方だ。
この考えは私と弟が独り立ちしてから、一段と強くなったようだった。
だから、すい臓ガンになったときも本人は全然慌てていなかった。
「あまり苦しまないように逝きたいなぁ」
なんて最初から言っていて、私と弟がおいおい…ってなることも多かった。
そんな母だから、当然無理な延命治療は望まない。
治る可能性がある場合や、楽になるための治療はするけど、苦しみながら時間を延ばすだけのことはしたくないそうだ。
私もこの方針には同意している。
最初は「できるだけ長く生きていて欲しい」と思うこともあった。
でも、抗がん剤の副作用に苦しむ様子や、すい臓ガンの痛みに耐える姿を見て、長く生きることだけが大切ではないと気づいた。
大切なのは、どう過ごすか、どう生きるか。
我を失うほどの苦しみの中で生きるよりも、自分らしくできるだけ穏やかに過ごす。
これが私や弟、そして母本人も望む形だ。
100%望み通りの最期を迎えることは難しくても、近づけることはできる。
そしてその瞬間に至るまでの道のりはいくらでも変えられる。
いろいろな考え方があるけれど、大切なのは逝く人の希望だ。
見送る側の気持ちで、その希望を抑えてしまうようなことがあってはいけないと思う。
「それなりに幸せだった」「未練はゼロじゃないけどいい人生だった」
意識の最後に、そんな風に思ってもらえるように、母が大切にしたいことを何よりも大切にし、向き合って行こうと思う。