すい臓ガンは自覚症状がないから見つかりにくい。

でも、母の場合は痛みが早い段階で分かり、そのおかげでステージ3の状態で見つかった。

すい尾部にできるガンは痛みが強くなりやすいらしい。

 

治療できる可能性が少しでも高いのはいいこと。

でも、本人にとって痛みはとても辛いことだ。

 

抗がん剤治療を始めたころは、ズーンという重たい痛みがあったらしい。

それがじわじわと強くなって、やがて痛み止めが必要になった。

痛みが強くなると、ガンが広がっているんじゃないかと思ってしまうけど、そうとも限らないらしい。

ガンが圧迫する神経によって痛みが増減するそうだ。

 

実際に造影剤を使ったCTで細かく検査をしても、転移や広がりは見つからなかった。

でも痛みは少しずつ強くなり、痛み止めが処方されるようになり、量が増え、医療用麻薬も使うようになっていった。

 

母はたぶん、我慢強い人だと思う。

そんな母が「最近痛い時間が増えた」「痛くて話せないからあとで」と言うことが出てくる。

そうした言葉が出る前から痛みは強かったけど、私を心配させないように我慢をしていたのかもしれない。

言葉にだしてくるということは、よほど痛かったのだと思う。

 

そんな母に対して、私ができるのは話すことだけ。

電話に出るということは、話せるレベルであり、話したいということだと私は思っている。

だから、少し体調の話をしたあとは、すい臓ガンや痛みとは関係のない話をするようにした。

 

昔行った旅行の思い出話、ペットの犬の面白話、よくいっしょに見たテレビの話、好きな映画の話…

 

どれも母がすい臓ガンになるまでは話すことがなかったような話題だ。

でも、話してみると意外と盛り上がる。

たぶん、すい臓ガンになっていなかったらこんなに楽しく母と話すことはなかっただろう。

すい臓ガンは憎いけど、すい臓ガンに気づかされることはとても多い。

 

 

母が週に1回行く病院では、痛みの相談をするたびに薬が増えたり、種類が変わったりしていた。

その中で体に合うものが見つかると、だいぶ痛みは軽くなるようだった。

中でも母が「レスキュー」と呼ぶ、すぐに効くタイプの飲み薬にはだいぶ助けられているようだった。

 

薬をたくさん飲むのは、胃や腎臓に負担がかかるという。

だから毎日たくさんの痛み止めを飲むことが最初は心配だった。

 

でも、薬で痛みを軽減することは、ガン患者の心を救うことに繋がると思う。

痛みで毎日苦しみながら生きるよりも、体に負担がかかるとしても痛みのない生活の方が幸せそうだ。

 

そんなことを考えているうちに、私は母に対して「長生きしてほしい」よりも「幸せに生きて欲しい」という気持ちが強くなっていった。

これは母本人も同じだったようで、会話の中に少しずつ「少ない時間でも笑って過ごす方がいい」というニュアンスの話題が混じるようになった。

もちろんすい臓ガンの治療を諦めたわけではない。

でも、本人が「そろそろいいや」と思ったら、私はそれに反対しない。