私は昔から神社へ行きます。

パワースポットで、ご利益云々のことではなくて、そこのごくわずかな自然の波動を受けたいからです。

 

神社は聖域なので、明らかに入った瞬間の波動が違います。森林浴で得られる、マイナスイオンの気に満ちています。しかしどこでもいいというわけではなくて、やはり大切に手入れをされてご神官の方が敬意をもって神様を大切にしている

環境下の神社が限定です。

 

そういった場所へ行くと、日頃の喧噪にさらされた心が落ち着いてきてリラックスする感覚を得られます。そしてなぜか神社の中にあるお茶屋さんや、飲食店のものが格別においしい!!(笑)(と感じる)

 

森林浴ならば、山へいけばいい。と思うのですが、これは中々ハード。都心部ですと思い浮かぶのは奥多摩?手入れの行き届いた、もしくは手つかずの古来から残る森。は、多分良い場所なのですが大自然を目指すと遠方しか思い当たらず気軽に行けるところはなかなかないかなというので・・・神社なのです。

 

 

神社の自然な庭園やちょっとしたお庭、お社があるご神木などは別格の存在感と見ていてその雄大さにどうしても見入ってしまう。怖い感覚すら覚えますし、自然への畏怖の念がこみ上げてきます。屋久島のような大自然的な感覚は、伊勢神宮外宮が凄まじいですが、手入れの行き届いた美しい神社であればどこでも素晴らしいです。

 

しかし、たまに田舎の方で神社仏閣がごちゃまぜになっているような手入れのほどこされていない場所へ行くと、真逆の感覚を得ます。いわゆる心霊スポット的な感覚で怖すぎて、一刻も早くその場を離れたくなるような感覚です(笑) 

 

 

この、「美しい気、波動」の宿っているような感覚はとても心のバランスを整えてくれますし、そういう場所には小鳥が来ているし花も咲いており自然との共鳴が体にはとても良いのでお勧めいたします。おのずと心のバランスも調整されますね。とにかく逆の気にはさらされたくないですね。

 

 

 

実は、私は今演奏自体にこの「場の調整」という事をテーマに掲げて活動をしています。なので、自然の調和や体の調和、目に見えないものがどのように及ぼすか、感覚というものの哲学を探究しています。音楽でいえば、もちろん音。倍音の広がり、1音の唱え方。今は自然哲学はもちろん、医療の方面からも学んでいます。面白いものでその目に見えない、無意識の世界に全て繋がっているので昔の人は文献も残しており、非常に興味を掻き立てられます。

 

ピアノから発せられる音はなんでも良いというわけではなく、これまで書いてきたブログに作曲家の言葉である。というスタンスで述べてきましたが、最近これは神社でいうと神官の方の読み上げる「祝詞」に相当する感覚を得ています。祝詞はその音が澄んで美しく、鈴の音とともに自然の小川を流れるような感覚となり、非常に穏やかで中庸な感覚となります。神社の雅楽。これも自然音と言われています。個人的には竜笛の音色は意識が抜けるほど美しい響きに聞こえます。曲を奏でる、という発想ではないのでしょうが・・・私には音符が言葉として聞こえてくるので、神社のこのような風習がとても共鳴するのです。

 

また音楽史を辿っていくと、作曲家の勉強していたものは全てギリシャ哲学だったという事にぶち当たります。その古代ギリシャの哲学者~その後に続く作曲家たちの概念として、音楽の神ミューズの信仰がありますが、これが非常に神話として日本書記などに出てくる神々との近しいものを感じます。神道の日本の美のような繊細な感覚。

 

自然に触れると、人間の体との共鳴を引き起こし、結果的に浄化といった形でスッキリするのではないでしょうか。音楽は、牧歌というタイトルの曲が沢山ありますが、牧歌という意味は自然賛美という意味なのだそうです。自然を賛美する、と言う事が音楽であれば・・・現代の感覚ですと森林浴など「癒す」という方向性ではそういった原理なのかしら。と考えます。しかし、これを哲学的に考えると自然への畏怖、すなわち宇宙の叡智、神々というところへ繋がっていくのだそうです。面白いですね。

 

音楽をする。感性を磨く。こういった目的がある場合、まず自然へ行かれてその波動を感じる事から始められるとよいのかなと思います。音楽でなくても、ご自身がリラックスしたいとき。心が疲れた時。私は自然がいいんじゃないかなと思います。近いところに沢山神社もあります。手入れの行き届いた丁寧な管理がされている場所限定とはなりますが、非常におススメです。

 

子どものころから自然に触れさせることが大事ですよ。というのは、あながち嘘でもなくこういった背景からなのかな?と思います。五感の感覚を研ぎ澄ます、感性を磨く事を「自然」から教われると思います。