今年2年目のチェンバロのおさらい会へ参加してきました。立派な音楽会です。
今回はフレスコバルディのトッカータ第2巻の1番、ラモーのアルマンドa-mollを演奏しました。皆さん専門的に勉強されているので物凄い会でした。指導される先生はとんでもない別格の演奏で。ピアニスト向けの指導もされている先生です。とにもかくにもの凄い会。
会の後半はアルマンド舞曲のミニ講座でルネッサンス期とバロック期の違いについて。音楽の根幹の拍子の「ノリ」においての内容でこれまた凄い。先生がバロックダンサーでもあるので、実際にその拍子の感覚をステップを踏んで体に刻む。
バロック時代の各舞曲の拍子のノリなんて演奏法として習ったこともないので、(教えられる先生自体がいるの?)有難い以外ない講座。
音楽家の方でもバロック時代の、各舞曲の拍子の特徴をしっかりと理解して演奏できているというのを中々聴けないので(海外の著名な演奏家でも少ない気がする)、これは喉から手が出るくらい欲しい感覚です
チェンバロという楽器は正しい奏法で精神統一しないとまずロクな音が鳴らないので、ある意味音が簡単に鳴ってしまうピアノよりも非常に難しい楽器です。一度爪で引っ掛けてからの打鍵は、一見ギターのようにも感じますが、ピアノでアフタータッチを感じるpp以下の音色作りには欠かせないテクニックであって、ドビュッシーのピアノ曲を追求したかった私は多くのことを教わってきました🌟フレスコバルディは即興力の宝庫だし、私はこれもドビュッシーへとつながりました。ラモーも然りで、自然なイネガル奏法は非常に難しかった。でもショパンの奏法にも通じている。昔の方がどれほどの優れた演奏家だったかを知る事ができます。バロック期の鍵盤の名手が現代のピアノを弾いたのならば、リヒテルなどを超えるとんでもないピアニスト達の集結となったんだろなと思えます。実際に、私はピアノレッスも受けていますが、チェンバリストの先生は最も簡単にショパンのエチュードを当時の奏法で弾きこなし、エレガントでため息が出るほど。現代奏法ではショパン練習曲は弾けないのが明白です。
非常に面白い現象はピアノの曲でしっかりと習ったはずのバッハの曲がチェンバロ奏法を知らないで弾いても太刀打ち行かないほど全く曲にならならず、音の質は曝け出されます。古楽の演奏法がしっかりとあるので、それを習わないといけないのですが、まぁ最初はドレミファソの音の出し方からでとりあえず絶望します(笑)
ピアノでも似たようなレッスンをしてくださった先生がいて、今になってその有難さを噛みしめてます。だってそれがこのチェンバロでの絶望を普通に乗り越えられたので。ドレミファソを真剣に取り組めて良かった。
とある名誉ある先生のフランス音楽講座で「ドレミファソの弾き方で育ちがわかるのよ」と言われてベレンスの連弾曲をさぁこれからあなたたちプリモを初見でやりましょう!という授業。受講者の全員がフリーズ。そのつるの一声のような言葉で全員何故かドレミファソだけなのに皆全然上手く弾けない現象に(笑)チェンバロを弾くたびに今だにそのことを思い出します。私にとってはとても大切で重要な人生風景の一部です。
個人主観で不思議なのは曲においてピアノ→チェンバロは無理で、チェンバロ→ピアノは可能だと言う事。言い換えればチェンバロ奏法はピアノの演奏技術を高めることだけは間違いないといえます。古楽に触れるとこれだけ勉強してきてもなお、自分は音楽の何もわかっていない事実を突きつけられて絶望します。
バッハ以前の音楽史はパンドラの箱かもしれません。でもそれを勇気を出して開けてみたいという興味。答えのない答え探しは意外とハッキリと見つかりそうです。
「音楽とは何か」
これを追求することでバロックールネッサンスーギリシャ哲学ー古代エジプトそのような壮大な世界が待っています。
真の音楽家はそこから生まれてきた。壮大な古代からのミステリーと言っても過言ではないですね