「R. I. P.」
「ダイナモの音 うねる坂道 憧れのギア いじった誰か
ザリ釣り帰り 謎のサーチライト 始まり探し 迷ったら夜
不思議が忘れるくらいあった
そのいくつかの魔法はもう解けてしまった」
R. I. P.(BUMP OF CHICKEN)
もしも昔に戻られるのなら。
大学1年生の4月1日を望むかもしれない。
ピアノのサークルに所属し
暇があればピアノを弾きにサークル棟に行っていました。
ちょうど携帯電話やPHSが普及しつつある頃のことでした。
世事に疎い自分は持っていませんでしたが、
文化祭でコンサート&喫茶店をするにも
サークルの仲間の家で遊ぶにも
楽しかった記憶があります。
メイド服・ナース服着て女子に「参った」と言われたのも
この頃のことだったと思う。
勉強がちょっと疎かになっていたので
もう少し頑張っていたかったなあと思います。
実際には昔に戻ることはできません。
勉強が足りなかった事実は事実として残ったままです。
今、もし勉強がしたいのなら
今勉強を始めるしかありません。
「そこに君が居なかった事 分かち合えない遠い日の事
こんな当然を思うだけで すぐに景色が滲むよ」
近年は住んでいる所の一帯が
大雨による洪水で沈みましたが、
その氾濫が原因となった小田川は
実は昔から何度か洪水を引き起こしていました。
自分も小学生の社会の授業で
そのことを習った記憶があります。
少なくとも〇田小学校の同学年のみんなは習ったはずです。
父の話でも、
一度、大雨で小田川の氾濫が危ぶまれたときがあり、
その折には土嚢を積む作業に駆り出されたと聞きました。
結局は、何十年に一度とはいえ、
起こるべくして起こったと言えるのかもしれません。
起こってしまったことは覆らない。
今はただ、
昔から小田川のことを伝えてくれた先人の功績と
現在の真備があることに
感謝することしかできません。
昨年からは世界がコロナ禍の只中にありますが、
自分は去年の今頃、
「ひょっとしたら今年中に死ぬかもしれない」
と本気で思っておりました。
生活が立ち行かなくなるかもしれないと思っておりました。
そうでないのは
幸いにして生きているのか、
不幸にして死んだわけではなかったのか。
「ここに誰が居たかっただろう それが僕にもなり得る事
こんな当然を思うだけで 眠れない程怖いんだよ」
ゲーム「ドラゴンクエストⅤ」にて
主人公がとある目的のために
時間を遡り、幼少期の自分に会いに行くというイベントがあります。
幼少期の主人公は、故郷で幸せに暮らしていましたが、
その後、父と共に旅に出、
目の前で父を惨殺され、
自身も苦難の荒波に飲まれていくことになります。
大人になって時間を遡った主人公は、
幼い主人公を見てどう思っただろう。
小説版「ドラゴンクエストⅤ」では
その辺りのことが劇的に書かれています。
「時はけっしてそんなふうには流れなかった……ここに送られたのは、父との邂逅を果たすためではない」
「どんなに熱望しようとも、為されなかったことがらを為してはならない。すでに為されたことがらを、忠実になぞらなければならない。さもなければ、世界が壊れてしまうのだ」
「過去は未来に追いつけない。追いついてはいけない」
この世界はゲームの世界とは違いますが、
過去の自分の運命を変えることは
今の自分の存在意義を否定することに他ならないかもしれない。
もしも時間の遡行が可能なら、
「因果律」という言葉は定義が違っていたかもしれません。
結果が先にやって来て、あとから原因が来ることもあったかもしれません。
そうでないのは、
自分があまりに無知ゆえのことか、
あるいはこの世界は物理的に(意図的に?)束縛されているからゆえの
ことかもしれません。
BUMPの曲が「今」に焦点を当てていることが多いのは、
やはり過去と未来があってのことだと思います。
今が変えられる(今しか変えられない)のは
変えようのない過去がいつも指針を与えてくれるからだと思います。
だから今どんな苦難の中にあっても
過去のどんな輝きも
今に勝る光にはなれないのではないかと思う。
今の自分の中には
自分の過去のすべてがある。
今の自分は過去の自分に負けられない。負けてはいけない。
おこがましくも
そうありたいなあと改めて思いました。
「アドバルーンの下 催事場のヒーロー
光化学スモッグ 手を引かれた野球帽
地球で一番 幸せだと思った あの日の僕に 君を見せたい」