「HINOMARU」――カタルシスト―― | ユークリッド空間の音

「HINOMARU」――カタルシスト――

「風にたなびくあの旗に 古よりはためく旗に

 意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに」

 

「HINOMARU」(RADWIMPS)

 

先の大雨で

島根の江の川が氾濫したとのニュースを見ました。

 

胸が痛みます。

 

父の故郷は江の川沿いにあります。

島根の山奥の

最近廃線となった三江線の駅の近く。

 

昔の家は江の川の洪水で

流されてしまったそうです。

 

そうなると父は

これまでの人生で2度

水の災害を蒙ったことになります。

 

でも「今できることをする」ということを

大切にしている(と思う)父は健在で

庭の倉庫に隣接するスペースに作業場を作り

模型飛行機を作ったりしているようです(たぶん)。

 

 

母も島根出身です。

近年に亡くなった母の父(わたしの祖父)は

大戦の後にソ連(?)に抑留されたという苦労人です。

 

祖父は漢字が好きでした。

習字も熟達していました。

各所から看板など(?)の字を書く依頼を受けていたので

恐らく相当なものだったのかと思う。

 

わたしの漢字好きは祖父の影響を受けています。

 

 

母は日本舞踊を嗜んでおりました。

〇間流だったとか。

わたしも小さいころに踊りを習って

「花扇」を踊っていた記憶があります。

 

 

「胸に優しき母の声 背中に強き父の教え

 受け継がれし歴史を手に 恐れるものがあるだろうか」

 

 

自分も生まれは島根で

小さいときに今の県に越してきました。

 

仕事での父は出張が多く

夜中にかかってきた電話で出かける、ということも

珍しくありませんでした。

 

人間性として劣っているわたしは

いつもその背中の大きさを感じていました。

「自分にはできない」と。

「自分もああなれれば」と。

 

 

うつ病を経て

どうにか収入のある身にはなっていますが

その仕事をどれだけできているかは

はなはだ疑問です。

自分の至らなさに思わず泣いてしまうこともあります。

 

 

今の激変する世界の中で

自分が生き残っていていいのかという疑問もあります。

 

でも命は繋いでいかないといけない。

 

 

自分は自分の出世の地、現住居地、国には

やはり愛着を感じていると思う。

 

そしてもしその地を「素晴らしい」と言われることがあるのなら、

その真偽はともかくとして

「ならば素晴らしいと思えるようにしよう」と考えたりしています。

 

 

ささやかなことですが、

うつ病のときに休学・休職していたときには

散歩に出るときに缶拾いをしていました。

若い時には車で30分くらいのところであれば

自転車で赴いたりしていました。

どうしても遠くに行かなければならないときには

ひとりで一台の車を動かすよりは

みんなの乗っている電車の方がいいかなあと思い

それを実践するようにしています。

 

近年も仕事場から近くの店に買い物に行くときに

吸い殻拾いをしたりしています。

 

あと使い終えた文房具を捨てる時には

毎回「ありがとう」と言っています。

 

本当にささやかなことです。

 

 

全く至らない人間だけど、

もし少しでも褒められる点があるのならば

それは父と母、周りの方々のお蔭だと思う。

 

昨今の新型コロナへの対応は

経済の問題とか絡んで難しいけど

自分にできることを粛々としております。

 

 

曲は太鼓の音で始まります。

全体的に和的な旋律が続き、

そのメロディーラインが素敵です。

 

 

「どれだけ強き風吹けど 遥か高き波が来れど

 僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

 

 僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない」