「実況中継」――×と〇と罪と―― | ユークリッド空間の音

「実況中継」――×と〇と罪と――

「いよいよ始まりました 引っ張りました お待たせ致しました

 騙し騙しで 改めまして 自己紹介からはじめさせていただきます

 まず解説です お迎えするのはそう神様です

 御年、今年2011歳 一切合切のこの世界を作り上げた大先輩

 してやったり顔の万々歳 御苦労様です 御馳走様です 実況は私仏様です

 

 今日お送りする人生ゲームはアジアの島国、日本です

 いつものようにノリノリで お届けしたいと思っております

 まずはじっくり見ていきましょうか 彼らの生き様がどんなもんか

 言ったそばから どうもおかしなことが起こっているようだな どうやら」

 

 実況中継(RADWIMPS)

 

 

 

「神はいるのだろうか」と問われれば

「いるかもしれない」と答えるかもしれません。

万物の物理法則を管理しているような。

あるいはすべてのものに宿る八百万の神様のような。

 

生まれ変わりの話などでは

「人間は生まれる前は(死んだあとも)光の存在で

 大きな光に導かれている」

という旨を耳にしたりしますが(細部が正確でないかもしれない)

それもありそうだなと思ったりします。

 

神様が人間を作ったとして

神様は絶対なのか?

 

それは想像もできませんが

数学の世界では面白いお話があるそうです。

 

「数学の魔術師たち」(木村俊一氏)からの引用です。

 

「数学に矛盾はない。数学に矛盾がない、という証明もない」

「万能の神はあまりに万能のため、自分が言葉で説明出来ない答えまで見つけてしまうことができます。ところが、自分で見つけた答えが説明出来ない、ということは神が万能であるという仮定に矛盾します」

 

やたらと難しい内容ですが

(数学体系のように)絶対的に正しいと思っている事柄の評価は

客観的には不能ということなのかな?

 

適切でなければ申し訳ありません。

 

 

神様が人間を作ったとして、

地球上で繁栄や衰退を繰り返す人間の存在は

あらかじめ計算済みなのだろうか。

予定外なら神様も万能ではない。

計算ずくなら

そもそもどうして人間なんて作ったんだろうかということになってしまう。

 

 

 

「我々は彼らの遥か上空の 彼方天空のさらに時空の先の

 銀河のネット裏に 実況席設けてますゆえに

 今日も高見の見物と さぁさ皆で参りましょ

 こんな星に産み堕とされなかったことを 皆で喜びましょ

 

 あらあら ほんとヤダヤダ てんで馬鹿馬鹿 もう駄目だこりゃ

 ついに来たのねここまで彼らは 100万年の月日

 消えることのない汚物 大量の使用済み廃棄物 つまりは大量破壊兵器物

 を核も卑しくも 生み続けしたり顔満足げ」

 

 

わたしは結構小心者なので

身の回りで何かよくないことが起こった時には

「ひょっとしたら自分のせいかも」

とまずは自身を疑ってしまいます。

 

これはこれで思い上がりなのかもしれません。

そんなすべての事柄に自身が干渉する「力」なんて

持っていると考えるのはおこがましい。

失敗しても愚かしいし

自分の失敗でない失敗を自分のものと考えるのも愚かしい。

 

何より心の底では

「自分のせいではありませんように」

と願っているはずです。

 

こういう不幸な出来事というのは

神様が用意したものなのでしょうか。

試練のため、あるいは罰のため、あるいは試験のため、

そう考えてしまう時点で、

自分も神様というものがわかっていなということになります。

 

仮に神様が万能でも

不完全な人間が想像・創造する神様は

本物を忠実に把握・理解することはできなければ

不完全な神様のままです。

ともすれば正義はエゴになるかもしれない。

 

 

 

 

「過去2000年ちょいに亘ってお送りしてきた人生ゲームですが

 全く進歩が見てとれません もう空いた口が塞がりません

 

 今回も失敗作 ってことで一段落

 だって仕方がない 致し方がない 直し方がない 話したくもない

 

 ほらまた一人 膝をつき 我らに向かって必死の祈り

 『神様、神様、仏様、どうかこの願いお叶えください』」

 

 

ただ、

自分を愚かしいと思ってても

自分はまだ生きています。

自身は「生きていていいのだろうか」と思っていても

まだこのブログを書いている今では生きています。

神様が万能であろうがなかろうが

神様の意図としては

それがこの歴史の在りようとなっているのでしょうか。

 

 

少し「神様」という定義(?)に該当するのか

自分は浅学にしてわかりませんが

ギリシャ神話の沢山の神々って

結構エグいことをしてますよね。

戦いを起こしたり

傲慢な人間を怪物に変えたり

嫉妬で殺〇事件を起こしたり。

 

非常に人間臭いこのエピソードは

これが本当に神の史実であるならば

神も人間も変わらない、ってことになるし

伝承であれば

やはりこの世界に欺瞞は満ちている、ってことになるかもしれません。

 

 

 

 

神「どうしよう」

仏「ちょっと待ってよ」

神「叶えちゃおう」

仏「だから待てって」

神「なんだよ 口を挟むなよ 関係ねーだろ」

仏「関係あんだよ」

神「なんだと?神様どうかお願いって言ってんだろが」

仏「仏様とも言ってんだろが」

神「一回だろ 俺は二回だぞ」

仏「回数じゃねぇーよ」

神「なんだよ タイプか?あの子が」

仏「うるせー やんのか」

神「やったるよ 我が信者達よ出合えー 出合えー

  我が力ここに見せつけたまえ」

仏「菩薩の怒りを くらえーくらえー」

 

 

たぶん自分にできることは

自身の未熟さを自覚して

眼前にある世界に

少しでも愛と理を見つけることなのではないでしょうか。

理不尽には戒めと寛容で臨む。

自分だって戒められるべきだし

寛容に生きさせていただいている身なのだから。

「自分さえよければ」という考えを

消すことのできない限りは。

 

万能でない愚かしい一個人は

一個人をまっとうするしかない。

 

 

 

 

楽曲はこの膨大な歌詞を運んでいくために

抑揚の調整がなされています。

サビの部分ではボーカルのスライド(?)の迫力が凄い。

ここでのギター(?)の音の上昇が面白い。

全体的に「♭レ(at移動ド)」の音が

エキゾチックさを掻き立てていると思う。

 

 

 

「間違ってるんだって わかってるんだ

 でもなんてこった 嘘ばっかなんだ

 からかってんならば わかったからさ

 人は ズブズブに 自分に夢中

 

 嫌んなってばかり 頑張って悟り

 踏ん張ってみたとこで また一人で

 祈ってみたり も思ってるより

 人は ブクブクに 『ボク』に夢中」