目撃者は猫5 | ユークリッド空間の音

目撃者は猫5

「考えてみよう。まず玄関から被害者本人が招き入れた場合。この場合は顔見知りの犯行だという可能性が高くなる。もうひとつは偶然にも開いていた庭のガラス戸から侵入して被害者を刺した場合だ。この説を採るなら行きずりの犯行という可能性が高くなる」
「なるほど」
 そこまで語り終えると、雨宮は鑑識の連中の所に寄って行った。
「死亡推定時刻は?」砕けた調子で話し掛けている。
「夕方の六時半から七時頃までの間だ。死因は失血性によるショック死。これだけ垂れ流してるから死んでもおかしくはないだろう」
「指紋は出た?」
「ああ出たとも」鑑識は親指を立てて応える。「色々な指紋が、机にも、サイドボードにも、ガラス戸の取っ手にも、それから廊下に出るドアのノブにもな。ドアノブの指紋は少し脂の成分が滲んでいる。これは指紋が付いた後に、その上から何者かが素手で掴んだからだろう。犯人が手袋を嵌めていた可能性は極めて低い」
「そうか……。これは面白いことになってきた」
「どういうことですか」真野は訊いた。
「真野くん、犯行後、玄関もガラス戸も鍵が開いていた。では、犯行以前ではどうだっただろうか。ガラス戸は庭に面しているから、例えば風通しを良くさせるために少し開けていたとすれば説明がつく。しかし玄関はどうだろう。ここは住宅地だ。田舎とは違う。わたしの田舎は気のいい連中ばかりだから、玄関を開け放して畑仕事をすることもあったが、ここはそうではない。顔も知らない連中がごった返している場所だ。玄関は施錠しておいたはず。先ほど論じた犯人の進入経路を踏まえると、犯人がどこから這入ったところで、そして犯人が何処から脱出したところで、いずれの場合でも犯人は玄関の鍵を開けなければならない。すると、どうしてもこの部屋から廊下に出なければならない。廊下に出るにはあのドアを」そう言って雨宮は顎でしゃくってドアを指す。「出なければならない。当然ドアノブを握って回さなければならない。さて、鑑識の言うことには、犯人が手袋を嵌めてドアノブを握ったという説は排除される。ならば、ドアノブを最後に握って種々の指紋を滲ませたのは、犯人ということになる」
「それでは犯人は指紋への注意を怠っていたことになりますよ。指紋の威力は殺人を犯すものならば誰でも知っているでしょう。素手で犯行に及ぶなんてそんな危険なことをするものでしょうか」
「だったらこう考えたらいい。犯人は指紋を残しても平気な人物だった。つまり、この家に頻繁に出入りしている人物だった」
 スロースタートの雨宮は、真野の推測をあっという間に追い越してしまった。
 やる気のない外見に反して雨宮はかなり頭が切れる。確かな戦力になることには異論はない。ただそれが時として突飛な、奇天烈な発想に結びつくこともある。そのときの制御役は真野である。どうにもやりにくい。
 雨宮はぞろりと顎を撫でた。
「被害者の身辺を特に重点的に捜査するようにみなに伝えておいてくれ。わたしは第一発見者の話を聞く。新たな情報はほとんどないだろうが」
「わかりました」
「それにしても真野くん」
「はい」
「サイドボードのウイスキー、ちょっくら飲んでも誰にもは気づかれないよね」
「寝言はよしてください。よりによって現場の物品に手をつけるなんて。大体、その酒が自分のものだとしたところで仕事中ですよ。そんなことが許されるはずないでしょうが」
「万が一このウイスキーに毒が入っていたらどうする? わたしはその毒見係だ」
「鑑識に回せば一発で分かります。雨宮さんが危険を冒すことはありません」
「きみもなかなか頑固だな」
「それ以前の問題です!」
 まだいらぬことに興味を持つ素振りをしている雨宮を無理やり押し出して、真野は第一発見者の聴取に向かった。


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