イノセント・ウィング18
「ねえシアン」
「今日は質問攻めだな。そんなにヒマじゃねえぞ」
「笑えない。ディアナって剣技が得意だよね」
「そうだな」
「シアンは警察やってたから銃が得意、ってのは分かるんだけど、ディアナはまたどうしてあんな特技を取得しているんだろう」
「ロイドのハッキング技術は不思議に思わねえのか?」
「そりゃ、ありそうな話じゃん。今、ロイドがスパイかも、って話を聞いて納得しちゃったよ。でも、女の人が剣をやってるって珍しいからさ」
シアンは少し間をあけてから応じた。
「……実は俺も、少し内緒で調べてみた。すると、面白いことが分かった」
興味をそそられたクラウスは、ピンと聞き耳を立てた。
「グランバラス西のスラム界隈に、古代剣術を指南している道場があった。今時分、そんなもんに興味のあるヤツなんざ高が知れているから、恐らく実入りが少なかったんだろう。今は潰れている。で、そこにはひとり娘さんがいたんだが、彼女がまた幼いながらも凄腕の剣の使い手だったらしくてな。近所では有名だったそうだ」
「それがディアナ?」
「登録名はキサラギだったらしい。しかし、道場が潰れた際に一家揃って行方不明になっているから、今更確かめようはない。ただ、この行方不明の件で妙な噂が流れてな。当時十四歳になるそのキサラギが、何者かに連れ去られるところを見た人間がいたそうだ」
「それって……いつのこと?」
「今から十三年前」
「十三年前!?」
思わず大声を出してしまい、クラウスは慌てて口を押さえた。
じっと辺りの様子を窺う。看守がこちらに気づいた様子はない。
シアンは囁き声で話を再開。
「ま、年代の一致はともかく、ディアナの年齢を考えると、キサラギ・イコール・ディアナという可能性もゼロじゃあねえ」
「で、ディアナはボクを連れてシアンの前に現れたんだよね?」
「十二年前だな。全身血まみれだった。ディアナ自身も傷を負っていたが、あの血量からしたら明らかにそれだけじゃあねえ。凶器は持っていなかったが、あいつも誰かを切った可能性はある。あん時ぁまだ十四、五そこらの娘だったから咄嗟に助けちまったが、しばらくは麻薬中毒者みたいで全く要領を得なかった。当時は本当に薬をやっているのかと思ったが、それにしちゃあおかしい。異様にフェロモンが濃いし、手当てをしたところ、陰部にもひどい裂傷がある。そのうえ刃物と血に反応して狂ったように笑う。今思えば、まともになったのが奇跡なくらいだ」
「そのキサラギって人が誰かに連れ去られて……、どこかに捕らえられていたのかな」
「かもな。ただ、まともになってからも刃物と血に反応するのは変わらねえ」
「言いつけてやろ」
「おあいこだ」
ガシャン! と金属音が鳴ったので、ふたりはびくりと身を縮めて会話を止めた。どうやら向こうのドアから看守がやって来たらしい。こちらの長話に気づいたのか?
カツ。カツ。カツ。乾いた靴音はふたりの独房の前で止まった。
うっそりとした表情で見上げると、看守は無表情のまま低い声を轟かせた。
「おまえたちの処遇が決まった。一週間後に銃殺の刑に処する」
「な……!」
クラウスは弾けたように立ち上がった。
「どうしてさ!? ボクたちは何もしちゃいないのに!」
「たとえクロになったとしても」シアンの静かな声にも怒りが含まれている。「死刑ってのは解せねえな。相手は指名手配犯の同胞と見られているんだろう?」
「分からないのか?」看守は憐れみの目で見下した。「今回の殺人で、エルトリオへの足がかりは失われてしまったんだ。官僚の手をも煩わせる難事件を混迷化させ、人工ウイルスの回収を不可能にした罪は大きい」
看守は反論を許さずに去っていく。
巨大な力によって、クラウスの未来が握り潰された。
目の前が闇に包まれた。
※
ディアナとユリアは同じ毛布に包まっている。もうそんな季節ではなく、第一、空調で温度が一定に保たれているシップ内では、人肌は熱いばかり。
しかし、今はユリアの肌が温かかった。ずっとこうしていたかった。
湯気の立つスープをすすりながら、ディアナは告白した。
「あたしね、ユリアちゃんと同じなの。昔の記憶がないの」
「……」
「でも、原因は何となく分かっている。昔、大きな組織にどこかに閉じ込められて、薬漬けにされて、ずっと夢とうつつの合間を漂っていたの。全身に力が入らなかった。何も考えられなかった。昔のことをどんどんと忘れていった」
「……」
「けど、その時に自分の身に起こったことは、おぼろげながらも憶えてる。夢の中で、あたしは子供を産んだ。二回も。普通、子供をひとり産むのに十ヶ月はかかるって言うじゃない? 束縛されていたと思われる時間を逆算しても、そんなに期間は長くないはずだから、あたしもそれは本当に夢だと思っていた。でも、今のこの体には、出産の跡がある。あれは夢ではない。紛れもない現実なんだと知った。あたしは現在の科学技術を知らないけど、恐らく胎児の成長を早める促進剤なんかも投入されたんだと思う。受精はたぶん、人工で」
「どうして……その組織はたくさんの子供が必要だったんでしょう」
「そこまでは分からない。ただ、夢うつつの中にも苦痛だけは存在していた。小さい頃にはあたしも優しいお母さんに憧れていたんだろうと思うけど、それは裏切られたんだと思う。子供に愛はない。あっても抱くことなんてできない。残されたのは耐えがたい痛みだけ。血の気の少なさに、本当に意識を失ったこともあった」
「……」
「もう自分が何者なのかも分からなくなっていたけど、その日は突然やってきたの。丁度、二度目の出産のあと、組織の人間が薬の投入を忘れ、あたしの意識は回復した。近くにあった医療用のメスが目に入って、今なら脱出可能と思った。その際、ここでの手掛かりを持ち出すため、保育器に入れられていた子供をひとり攫っていった。どうも出産での動向が悪くて、陰部に傷を負って出血が続いていたけど、構ってられなかった」
「……」
「途中は何人もの男に阻まれたけど、メスがあたしを守ってくれた。どういうわけか勝手に手が動くの。飛びかるヤツらをあたしは薙ぎ払って進んだ。それから脱出――。振り返ってみたけど、どこのどんな建物なのかは分からない。ただ、禍々しい気配が一面に立ち込めていたのは確かだった。そのままあたしは逃げ続け、シアンに出逢ったの」
「それじゃあ、その連れ出した子供というのが……」
「そう、クラウスよ。あたしとは違うブースから攫ったから、あたしの子じゃあないことは確かなんだけどね」
「ディアナさん」
「うん?」
「ロイドさんが……言ってましたよね。ロイドさんは、ディアナさんとクラウスを見張っていたって。それは官僚の命令だったって。じゃあ、ディアナさんを監禁していたのも官僚だってことになるのでは?」
この時ディアナは初めて事の重大さに気づいた。
「そ……うなるわね。じゃあ、官僚が愛のない命を親から取り上げていたってこと……?」
「それだけじゃありません」ユリアは真顔をこちらに向けた。「ロイドさんはこうも言ってました。エルトリオさんが逃げ出した件、わたしが警察に追われていた件、それにクラウスの過去はすべてが繋がっているって。これが本当なら……、ひいてはディアナさんが捕らえられていたことにも波及するんじゃあないでしょうか」
ユリアの仮説にディアナは愕然とする。
「それに、わたしとロイドさんはカメラとマイクで旧舎での一件の一部始終を捉えていたんですが、殺された男の人は死の間際に『グランバラスは人間の倫理を崩そうとしている。エルトリオを止めるな』と仰ってました。これが本当なら……、人間の倫理という点で、嬰児の量産と結びつきます。エルトリオさんがそれに反旗を翻したことにも説明がつきます」
「でも、エルトリオは人工ウイルスを盗んだんじゃあ……」
「それなんです。わたし、これは官僚が仕組んだ陽動作戦なんじゃないかと考えたんです」
「陽動……作戦?」
「人工ウイルス云々は全くのでたらめ。これはエルトリオさんを手配する口実に過ぎなかったんです。それも、更にハンターという目晦ましを使うための。官僚の本当の目的は、嬰児量産の真実を知る者、それに反逆する者を抹殺すること。対象はエルトリオさんとその仲間、ディアナさん、そしてわたしだと思うんです。官僚とアシュラック研究所は逃げ出したエルトリオさんをあえて泳がせ、彼に接触する人間を殺害する目論見を持っていたのかと思います。その最たる人が、旧舎で殺された男の人……。この計画の遂行のために、官僚はふたりの研究所員を殺してエルトリオさんの仕業に見せかけ、彼が人工ウイルスを持ち出したと発表したんです。考えてみれば、この武器は官僚側の謀略遂行にうってつけの口実です。その危険性から、ハンターはおろか、その存在に気づいた一般人も容易には近づけません。官僚はエルトリオさんの真の動機を隠すために偽の動機を捏造して、更に彼を泳がせていることを隠すために、わざと賞金を懸けてみせたんです」
しばらく全く口の利けなかったディアナは、その言葉を噛み締めて唾を飲んだ。
年齢が自分の半分とそこらの子から聞かされた恐ろしいグランバラスの企み。真偽のほどはともかく、尋常でない思考力。
……いや。
真偽を二の次にするですって?
これが真実だったらどうするの!
「ユリアちゃん!」
ディアナが毛布をはいで立ち上がると、ユリアはびくりと身を縮ませた。
「こうしちゃあいられないわ。ロイドに……ロイドに相談しないと!」
ふたりと一匹は廊下を駆け、端末室に向かった。十中八九、ロイドはここにいると思ったのだが……。
ロイドはいなかった。
代わりに、青いモニタに白い文字で文章が打ち出されている。どうやら情報仲間からの連絡をそのまま放り出しているらしい。ロイドらしくないと首をひねりながらもそれに目を通し、ディアナは手に持っていたマグカップを取り落とした。
『急がれたし。一週間後、メンバーふたりの銃殺刑が決定』
「ロイド!」
ディアナは金切り声を上げて端末室を飛び出した。
どこ! どこにいるの!
ディアナは先程のロイドの沈痛な表情を思い出した。
まさか……!
最悪の事態を懸念し、シップの出口へと駆ける。
ドアの開いた出口を前にして、ディアナは足を止めた。
タラップの真ん中にロイドの背中が見える。寂しい背中。風に影が揺れる背中。……しかし決然とした背中。
「ロイド!」
全身全霊を込めて叫ぶと、ロイドは足を止めた。
「どこへ行く気なの!?」
「……」
「まさかひとりで刑務所に乗り込む気じゃないでしょうね!?」
ロイドは再び歩き出す。
ディアナは段差で転ぶことも恐れず走り出し、ロイドの背中を捕らえた。
「馬鹿……! どこまで鈍いのよ! この期に及んでどうして優先順位を誤るの……?」
「俺は……」
疲れ切った声が心を締めつける。ディアナは咄嗟にロイドの口を塞いだ。
「もう自己陶酔はたくさんよ! 根っからの個人主義なんだから……! 少しは心配しているこっちの身にもなって!」
ロイドがゆっくりと振り返る。魂の抜けてしまったようなその顔を拝むと、安心のためかまた涙腺が緩んだ。