Fable Enables(仮)5(仮)
「困るわね、万引きされちゃ」
女性店員は、やれやれといった調子で諭した。
まさかと思った。
アミは口が悪い。どこまでもぬけぬけと詭弁を弄する。しかしギリギリのところで法にのっとっている。『一本木』での俺に対する脅し文句はギリギリアウト――のような気もするが、それはこちらが訴えないことを見越してのことである。
あからさまに窃盗ということをする人間ではなかった。
「おまえ――」
「違うってば!」
アミはツインテールを揺らし、真っ赤な顔で俺と店員とを交互に見た。
「何かの間違いよ。腕が棚に当たったときに落ちちゃったとか、誰かがこっそり入れたとか」
「誰かが?」
俺が胡乱に思って漏らすと、アミはギン! とこちらを睨んだ。
「そう! テレビでよくあるじゃない。万引きをするために、客のひとりの鞄に品物を入れておくの。で、それが発覚してみんなの注意がそっちに向いたところで、こっそりと逃げ出す、って方法」
そんなこと今でもやっているのか? そう訝りながら、俺は本能的に店内を見回した。客――女子中学生の集団と公立女子高生――は、突然のできごとに狼狽しているものの、逃げ出そうという素振りをしているものはいない。
「またそんなことを」
女性店員は鼻から息を抜きながら、呆れたように言う
「素直に認めたらどうなの。そうすればなかったことにしてあげるんだから」
少々上から押さえつけるような言い方に、あまりいい気はしなかった。つまりは「あった」ことを確信しているわけだからな。ただ、ことを穏便に済ますにはそれがベストと思われた。
しかし、アミは論議を投げ出すような性格じゃあない。依怙地で意地っ張りで自信家である。加えて――、
「だから言ってるでしょ!」
刹那、アミの背後の空間がぐにゃりと音を立ててゆがんだ。くすんだ店内の風景が渦に吸い込まれ、そこから怪しい発光色をまとった「何か」が姿を現す。光自体が命を持ったように、それは見る間に成長し、ひとつの形をなした。
額にルーン文字を刻んだ小さなリス。鋭く尖った門歯。豊かな栗毛に澄んだ藍色の瞳。自在に揺れる大きな尾。
ラタトスクだ。
北欧神話では、世界樹――ユグドラシル――に棲む幻獣として伝えられている。
この場では本人のほかに俺にしか見えない幻獣を、アミは召還した。
頭上にラタトスクを侍らせたアミは、決然と言い放つ。
「わたしは万引きなんてしてない!」
ラタトスクは、ヒクヒクと柔らかい鼻を動かし、やがて悠然と毛づくろいを始めた。
アミの作戦が見えた。
ラタトスクは「この世界」では言葉をつかさどる。人間を含むさまざまな動物でのあいだで言葉を伝達したり、また言葉に含まれる嘘や真実を見定めたりする。この場でアミが課したラタトスクの役目は「嘘を見破る」ことだろう。
ラタトスクはアミの言葉に何の反応もしなかった。アミは真実を述べている。
せっかく幻獣の思し召しがあっても、それを解すことができるのはアミと俺しかいない。恐らく何も見えない店員や他のかわりに、俺がそれを汲まなければならない。やれやれ。
「じゃあ……、気が進みませんが、みなさんで確認してみましょうか。棚からブレスレットが落ちるところを誰か見なかったか、誰かが『陽動作戦』を仕込まなかったかどうか」
客は露骨に嫌そうな顔をした。くそ、俺が憎まれ役か。アミめ、覚えてろ。
しばらく女性店員は顎に手を当てて思案していた。「この男も共犯だ」と考え、どう対処するのか検討しているのかと思うと、気が気ではなかった。
意外にも、彼女は承諾した。
「仕方ないわね。いいでしょう。やってみる価値はありそうね」
「え……」
提案したこちらが呆気に取られる。
店員は眉をひそめてこう言い開いた。
「最近、商品が盗まれていることがときどきあるの。そういう日に、あなたみたいなちっちゃい子が来ていないことは確かだから……、これが連続しているのなら、そういうことが考えられるかもしれないわね」
『ちっちゃい』と言われたアミは、こめかみに青筋を立てて目を尖らせた。報復はしなかった。自分に不利になることをちゃんと理解している。そのうえ、不用意にあることないことを口走って、ラタトスクを帰らせてしまっては、元も子もないからな。
「嘘発見」の役目で呼ばれたラタトスクは、嘘をひとつ見破ると帰ってしまう。その後しばらくは相手をしてくれない。この律儀な気まぐれのゆえんを、俺は知らない。
アミはいきり立って、女子中学生の集団を指差した。
「さあ、心当たりのあることは?」
その様子はまことに図々しい。
唯我独尊の高校生を前にして、はじめ彼女らはヒソヒソと悪口を交わしていた。そのうち肝心のことがポツポツとこぼれるようになる。
「知らない」
「やってないに決まってるじゃん」
「勘違いなんじゃないですか」
「本当は盗もうとしたんじゃない?」
情報の中にも、言いだしっぺへの非難がたっぷりと含まれている。笑顔をヒクヒクと引き攣らせながら、アミは集中砲火をこらえている。仁王立ちの姿が痛々しい。自分から面倒ごとを引き受けた悲しさか。俺を駆り出した手際には、かなり仕組まれていた感があったが、基本的にアミはかなり無鉄砲だ。その場しのぎで展開と弥縫とを繰り返していることが多い。
ときおり、「あのオトコ、正義ヅラしてさあ」と俺にも矛先が向く。
ただ、ラタトスクはくつろいだままだ。そのまま寝てしまいそうな勢いだ。女子中学生のお喋りを子守唄とでも思っているのか。
「そういえばさ」
中学生のひとり、ショートカットのコが意外なことを言い出した。
「あのヒト、すこしこそこそヘンな動きしてたんだけどさ、あのヒトが怪しいんじゃない?」
彼女が指差したのは、ひとりで買い物に来ていた県立女子高生だった。彼女はびくりと肩を震わせた。
早速、アミは有力なターゲットに標準を合わせる。女子高生はさらに怯える。
「あなた、さっき妙な詭計――もとい、万引きとそれに関するエトセトラしなかったでしょうね」
「い、いえ、して……ません」
明らかに挙動不審の態で、県立女子高生はどもった。視線が頼りなさげに泳ぐ。
これは決まりか――と思った。が、ラタトスクは無反応。
意外だった。アミの目も点になっていた。
残るひとりの客で可能性は充分、その様子から間違いないと思ったのに。おどおどとしているのは元からそんな性格だからなのか。
つまり――。
俺はじっとりとした目でアミを見た。容疑者ゼロ。おまえの勇み足に決定だ。みんな嘘をついていないからには、ひょんなことで商品が棚から落ちたんだろう。
「あ、えーっと」
ぎこちない笑いを浮かべ、その場を取り繕うとするアミ。
少々滑稽だ。ラタトスクの存在を知らない者がほとんどだから、繕う以前に何ら綻びてもいない。ただむやみやたらに「きみ犯人じゃないよね?」と聞き回っているようにしか映らないだろう。この珍奇な行動を自らにせしめたと考えれば、ある意味、その時点で綻びているといえば綻びているのだが。
一部始終を見ていた女性店員は、包括するように言った。
「訊いて駄目なら、身体検査するしかないでしょうね。あの子は常連さんだから、違うとは思うけど」
店員の目は、女子高生に向く。女子高生はまたびくりと身を縮ませる。
と――。
突然、ラタトスクの耳がピクリ、と動いた。クリソコラのような瞳が言葉を捕らえる。ギューン、と店内の光が凝縮され、その瞳に収斂していく。
ラタトスクは店員に向かって「キッ」と小さな咆哮をあげ、クルリと宙に身を翻すと、時空のあわいに吸い込まれるように消えた。
「……」
「……」
俺とアミは口を利けなかった。
店員の言葉に嘘がある。まったく想定していなかった。
「じゃあ念のため、ふたりからチェックしましょうか。奥の部屋で個別にね」
こちらの掴んだ事実を知る由もなく、店員はオーナーを呼ぶ。やがて、うだつの上がらない男性が姿を現す。寝癖のついた頭をかき、「どうしたの、キノちゃん」と、暢気そうな声をあげる。
俺は、アミの袖を引いた。
(どういうことだよ。あの店員さんが?)
(そうみたいね。たぶん……、あのヒトが鞄にブレスレットを入れたんだ)
(え? いつ)
(手をツッコんだとき以外にないでしょ。わたしをハメるために、はじめっからブレスレットを持っていたのよ。マジシャンみたいな真似しちゃってさ。腹が立つったらないわ!)
鋭く囁くアミの怒りは頂点に達している。その気炎で目からレーザーが出てきそうだ。
ん?
俺はふと疑問に思った。
(なあアミ)
(なによ!)
(あの人が嘘をついているのは間違いないよな)
(そうよ!)
(どうして嘘をついていたら犯人なんだ?)
(嘘ついているからでしょ!)
曖昧、かつ、なんとなく納得はできる答えなんだが……。
(まあそれはいい。ちょっと変じゃないか)
(なにが!)
(あの人の言葉を追っていくと、嘘と思しきところは『あの子は常連さんだから違うとは思うけど』ってところだよな)
(そうよ!)
(言い換えると、本当は『あの子が万引きをした』ってことだよな)
(そうよ!)
(じゃあ、なんであの子のときにはラタトスクは反応しなかったんだ)
(そうよ! って、え?)
アミはふたたび目を点にし、ポカンと口と開けた。
(な、なんでだろ。みんな万引き犯じゃないよね。なかったよね)
(いや、俺が訊いているんだよ)
女子高生と店員、ふたりの証言は、表面上は同じことを言っている。しかしラタトスク視点では、店員のみ嘘をついている。もちろん、ラタトスクが失敗するわけはない。
どういうことだ?
しばらく考えていた俺は、こんなことに思い当たった。
「天動説が信じられていた時代に『空は回っている』と言った場合、それは嘘になりえるかどうか」
(続くといいな)