偽善を量る天秤 | ユークリッド空間の音

偽善を量る天秤

よく見たら昨日のブログ、後半ぜんぜん改行されてないじゃん。

ソースではちゃんとした筈なのになあ。

色文字の後の改行が無効になったり、ここのブログちょっとミステリ。


今日は引越しでした(福岡→岡山)。

とうとうこの日が来てしまった。

何度も書きましたが、仕事を辞めて後悔はあります。

でも疾病なら仕方ないと割り切らないと、後が続かない。

泣くことも多いですが、力を蓄えながら遅い出発を待ちたいと思います。


さて……、

引越しは勿論業者様に頼んだのですが、

当然事前に梱包用のダンボールを幾らか貰い、

自分で出来る範囲で荷造りはしたつもりでした。

ちょっと精神的に参っていたので作業を残したままだったのですが、

その分は当日カバーするつもりでした。

見積もりに来て頂いた方からは

「家電は当日梱包なので」とも聞いていた筈でした。

けど、荷物を運び出して頂く時には

「基本的に当日梱包はその分の代金が掛かりますので」

と言われてしまいました。

実際には責任担当者様のお利きのお蔭で、

見積もり額の範囲でして頂きました。


私は無駄に心配する人間です。

何に対しても何らかの負い目を感じています。

今回も、業者様が帰られた後もなんだか悶々と悩んでいました。

「ああ、申し訳なかったかなあ」と。


このことを親に話したら

「結果見積もりの範囲でしてくれたんだから良いでしょ」と言われました。


うん……、尤もなんですが……。


「顧客」。「お客様」。

頭では分かっているんです。

代金分はきちんとして頂く権利がある。

けど、私が客の立場となると、どうしても下手に出てしまう。

「契約があっても両者での折衷がある」。そんなことを考えてしまうんです。

客も奢りを振るわず、マナーは守る。

こんな変な人間、私だけなのかな……。

人生でちょっと損をする人間性のようです。


うろ覚えな話で申し訳ないのですが、

名古屋大学助教授で作家でもあらせられる森博嗣さんは

授業料についても「支払い=客」(この場合は学生)と考えていると

おっしゃっていた記憶があります。

まさに竹を割ったような快いロジック。


逆にこのロジックに逆らっている教育者もいるとか……。

私の通っていた大学の法学部に、

「その手」の名物(?)教授がいたそうです。

何でも、授業を受ける学生に向けて

「君達に人権はない」なんてことを豪語していたとか。


私は良識に疎い人間ですが、これだけは言えます。

「そりゃ間違いなく奢りでしょ」。

支払われる側が主導権を握るのは少しおかしい。

「支払われている自覚がないんじゃあないか」という意見も

聞いたことがあります。

それはそれで問題じゃんね。


まあ退嬰的にならない程度に割り切っていくしかないんでしょうね……。

今まではコンビニとかで支払いをして貰った後もお辞儀をしていました。

良く考えれば、そんな私の行動こそ大問題ですね

弱みを見せて相手の横車を通させては、倫理が崩れてしまう。


今日のまとめ:ビジネスライクでいきましょうや

(何故かいきなりカルチャーギャップ)


誰かスポークスマンになってくれないかなあ。

その時点でまた契約が要るけど。