昨年の10月位に行政書士試験を受けてみようと思い、勉強を始めました。
きっかけは、仕事上で社労士資格があった方がいいなと思ったことで、調べてみたら高卒では受験資格がなく、行政書士資格を必要とされていたから。
なので動機としては、とても曖昧というか、軽い感じのものでした。
ところが進めてみると、なかなか面白く、起床時間も1時間早める等、意外な位積極的に取り組んでいました。
一方仕事の方は、なかなか思うようにはならず、また、社風に馴染むこともあまり出来ず、ただただ追われるだけという状況でした。
また、仕事に追われっぱなしで、長野から尾張に戻ったらセッション活動を積極的にと考えいたこともままならず、結局のところ満足する位までの活動は出来ていませんでした。
そのせいか、恵まれた環境にもかかわらず、いささかストレスを抱えていました。
そして数日前、どうにも仕事のストレスが大きくなり、嫁さんに八つ当たりをしていました。
※本当にごめんなさい🙏
自分でも何だかよく分からなくなっていたのですが、昨日、勉強中にふと気づきました。
あれ?このシーンいつかあったぞ…。
そう、勉強をしてその合間にギターを弾く、そしてまた勉強に取り掛かるということを、40年以上前にやっていました。高校受験の時です。
その頃、僕は結構勉強が好きで、志望校もあったのです。
ところが、家庭の経済的な背景もあり、確実に合格する高校へということから、志望校から1段階下げた高校を受験することになったのです。
めちゃくちゃ拗ねました。
そしてその時から勉強するのを辞めました。
併せて、その頃は千葉に住んでいたのですが、生まれは奈良で、千葉に行ったのは、借金を抱えた父親や借金の取立てから逃げるためで、いわゆる夜逃げでした。
母親と妹と僕の3人です。
大好きな次兄とも離れなければなりませんでした。
めちゃくちゃ悲しかったし、千葉に行ったことにも全く納得できていませんでした。
この二つの大きな出来事で、当時僕が感じた気持ちを、僕はいつしか閉じ込めていました。
時折、酔っ払った時に顔を出すことはありましたが、結局のところ、仕方ないと感情に向き合わずにいました。
でも、現実はそれを確実に教えてくれていました。
理不尽なことが起こったり、自己主張しないよう諌められることが多かったり…。
幸せな環境のはずなのに、なぜだろう…。実際は大したことないようなことなのに、なぜこんなに思い悩むのだろう…。
分かりました。
僕が拗ねた目で世界を見ていたからです。そもそも、内面がずっと拗ねていました。
もちろん、これまでも自分の拗ねに気づき、修正はしてきたつもりですが、表面上のことに過ぎなかったのです。
10歳位からずっと拗ねていたんです。
40年以上、分かりませんでした。しかも、自分で仕掛けたんです。
親も、兄弟も、周りの方々も、ずっとずっと本当は優しかったのに、拗ねたままで受け取らずに、勝手に被害者に仕立てあげていたんです。心のずっと奥の方で…。
ごめんなさい。
行政書士試験まであと3ヶ月を切りました。40年前に途中で投げ出してしまったことを、やり直します。結果はもちろんやってみなきゃ分かりませんが、受かるまで続ければ受かります。
勉強が好きだった自分が、ようやく帰って来ました。お帰りなさい。一緒にここからの人生を楽しんでいこう。
では、また。

