障害者差別は大嫌い! パラリンピックの意味と今後の展望 (essayism.net)


私もパラリンピックは大嫌いです。

 

昔、小学校の卒業式の前に

通常のクラスと分けられた

別学級にいた 友達Sさんと二人で 近くの公園で

芝生に座り、じっくりと話す機会があった。

 

『みんな俺をバカにしている』

『俺は分かっているけどちゃんと話せないんだ』・・・

くやしさを

私に事細かく話してくれた。

 

もうあれから

40年以上経って、

最近はジェンダー問題など 対応がさらに難しい世の中になってきていますが・・・

 

さて、先日、男女問題で、

私が、そもそも男性と女性に平等って無理だと話してたら

それは差別ではなくて区別なんだそうで、

私は人は "別けることができるもの" じゃなくて支えあうものであって

"別ける" っていう概念はない― と思ったわけです。

 

そして、パラリンピックってなんのための大会なんだろう?

って疑問に思うわけであります。

 

障害者は健常者と分けられるのって

現実と理想の中、おそらく抵抗があるんじゃないかなと...

 

全ては無理でも、

インフラや競技場が

バリアフリーでケアが整っていて

健常者と一緒に活動できることがもし理想なのであれば

既に、競技に

『車いすテニス』とか、

『シッティングバレーボール』とかの

名称があるように(その条件で)

通常のオリンピックの競技にしていけば良いと思うわけです。

 

それであれば、

現代のオリンピックは何のため?

の疑問に答えることができる。

今後のオリンピックは全ての人が参加できるように

開催国が発展し努力することではないのか ― と。

 

バイなら。