*鬼滅の刃、公開されているすべてのものからの

 ネタバレを含みますのでご注意下さい。

 原作者が「これはこうです」と明言しない限り

 答が出ないものを勝手に妄想しているに過ぎません。

 あくまで自分はこう考えるという個人的意見ですのでご了承下さい。

 

無惨に勝ち鬼がいなくなって良かったね〜、

でもせっかく生き残った柱2人と炭治郎は

25歳までに死んじゃうって悲しくない?と思った人もいたはずです。

その3人が25歳を超えて生きていた  かもしれない話をします。

 

「痣の者は25歳までに死ぬ」

これを知ると、そんなに若く!かわいそうだ

と思ってしまうかもしれません。

それは、人生100年時代と言われている現代では

人の平均寿命が80-85歳と認識しているからだと思います。

実は大正時代の平均寿命は40代前半くらいらしいです。

そうだとするなら25年という年月が極端に短いとは言えなさそうです。

 

コミック版最終話後の子孫/転生解説で

実弥、義勇には子孫がいることがわかります。

最終戦当時21歳でしたっけ?

誰かに出会い、結婚をして子供をもうけたということです。

そんな時間があったのでしょうか? 精神的な回復をするのも

相当時間がかかったのではないでしょうか?

時間の問題以上に、大切な人を守れなかったという思いが強い2人が 

25歳までに死ぬとわかっているのに結婚しようと思うでしょうか?

彼等が知り得た情報の中では自分達が25歳までに死ぬと認識していたはずです。

25歳で死んでしまったら、また嫁や子供を守れないじゃないですか!

 

痣の者と呼ばれる炭治郎を含めた3人はどれくらい生きたのでしょうか?

 

何故若くして死ぬのかを考えた時、

注目したのは痣発現条件の心拍数です。

(発現状態のもう一つの条件、熱に関してここではスルーします)

 

哺乳類の生涯心拍数というのは10-15億とだいたい決まっているそうです。

そのため、ちょこまかと動く小動物は平均心拍数が多いので寿命が短く、

動きの鈍い大きな動物は平均心拍数が少ないので寿命が長いそうです。

(ハツカネズミは1分間に600-700回、ゾウは1分間に30回だそうです)

ヒトに関してはその研究がなされていないため「わからない」らしいです。

でも、ヒトは哺乳類に属しますので生涯心拍数は

動物とは違う数字かもしれませんが決まっているのかもしれません。

 

鬼滅の「痣の者は25歳までに死ぬ」はこの生涯心拍数をヒントに

設定されているのではないでしょうか?

心拍数が200以上という数字は、ヒトの平均心拍数の60-70の

約3倍になります。

 

生き残った痣の者と言っても2通りあり、炭治郎のように最終戦から

常に痣がある者(平時でも痣が消えない)と

実弥、義勇のように最終戦時にだけ出現した一時的な痣の者です。

実弥と義勇が痣の力を使ったのは一晩限りのことであり

(最終戦後には痣は消えています)

その後鬼が消滅したことにより必要性がなくなりました。

穏やかに暮らしている限り、再度痣の力を使うことはなかったはずで

大した影響はないと考えます。

ですからほんの少し寿命が縮んだかもしれませんが

ほぼ天寿を全うしたのではないでしょうか。

 

では炭治郎はどうでしょうか?

痣が常にある、ということで常に(死ぬまで)心拍数が

200以上あるのだとしたら残念ながら短命です。

 

ただし、常に痣がある=痣の力を極めた状態(どんな状態でも最大限を発揮できる)

=痣の力をコントロールできる=スイッチのON、OFFができる
(必要な時だけ心拍数を200以上にできる)

という設定であれば、炭治郎も長く生きた可能性はあります。

痣の力は3回しか使ってないからです。

完全な痣が出現した遊郭編では最終的に妓夫太郎の首を切る時のみの一瞬なので

実質刀鍛冶戦と無限城戦での2晩です。

(無限列車編/柱稽古編では不完全な薄い痣なので含みません。)

 

スイッチのON、OFFができるならば、戦国時代の痣の者は

何故25歳までに死んだのでしょうか?

痣の者=柱レベルと考えれば、痣の力を使っての日々のトレーニングは

何時間もしていたでしょうし鬼との戦いも頻繁にしていたことでしょう。

それが年単位で続いてるわけで「生涯心拍数を使い果たした結果」と言えます。

 

以上のことが正しいとするならば、

27歳の悲鳴嶼さんが無惨戦直後に亡くなったのは

痣が出現したからではなく、致命傷を負っていたということになります。

 

縁壱の場合、ただ一人の例外ということですませています。

生まれた時から痣の力のコントロールができる上に

心拍数が200以上でも耐えうる体で生まれてきたのかもしれません。

または、縁壱のことですからどんな鬼に遭遇しても

首を切るまでの時間が極端に短かかったのかもしれませんし、

あるいは、炭治郎が遊郭編で見せたように、鬼の首を切る一瞬だけ

痣の力を使用していた可能性もあります。

どちらかと言うと、天才の上を行く縁壱は修行や指導の際に

痣の力を使うことはなく、強い鬼(12鬼月?)の首を切る一瞬のみに

痣の力を使用していたと想像します。

何れにせよ、その時間を全て加算しても大した長さではなかったのかも知れません。

 

現代において平均寿命が80-85であっても

それ以下の人もいれば稀に110歳以上生きる人もいます。

生き残った痣の者3人も想像以上に長生きしたのかもしれません。

仮に短命だったとしても天寿は人それぞれです。

人生は長さではなく、どう生きたか、ではないでしょうか。