*鬼滅の刃、公開されているすべてのものからの

 ネタバレを含みますのでご注意下さい。

 原作者が「これはこうです」と明言しない限り

 答が出ないものを勝手に妄想しているに過ぎません。

 あくまで自分はこう考えるという個人的意見ですのでご了承下さい。

 

 

その4をすっとばしてその3からの続きとします。

 

 

 

 

 

梅が死亡していたかどうかの妄想を記してから随分時間が経ちましたが

2つだけ追加したいと思います。

これらは梅死亡説が正しいとするならばの話です。

 

一つはどうして堕姫の中に妓夫太郎だったのか?です。

単純に「見かけ」(表面)の変化だったのではないかと思い始めました。

 

人間から鬼になる時、人間時代の体験やトラウマが見かけや

血鬼術に現れるという設定があります。

何度罪人の刻印をつけられようが父を守りたかった猗窩座には

罪人の刺青が顔にまでありましたし、一生守ると約束した恋雪との

思い出が血鬼術の名前になっています。

黒死牟は縁壱の尋常でない速さの剣捌きの全てを確実に捉えるために

瞳を6個持ちました。(刀鍛冶の里編に出てくる縁壱のからくり人形が

腕を6本持っている理由と同じ)

では、妓夫太郎自身の「見かけ」はというと、

極端に細いウエスト以外あまり変化したとは思えません。

そこで、表面(見かけ)が堕姫そのものに変化したとするなら

それもありかなと。

ただし、最初から堕姫の見かけだったわけではなく、

(実際、鬼化した妓夫太郎は妓夫太郎そのものでした。)

全く別の姿に「進化」した/しようとした他の上弦のように、

何かのきっかけがあって進化してみたら表面が堕姫、

内側が妓夫太郎という最終形態になっていた、なのかなと思います。

もし、そうだとするなら、妹への思いや拘りが

どれだけ強かったのかというのを表している感じがします。

梅は妓夫太郎の人生の全てであり、唯一の光であり

自分を丸ごと覆い隠してしまうほどの深い愛情を持っていた

ということなんだろうと解釈しました。

 

刀鍛冶編の最終話で、半天狗の心臓の中に半天狗が隠れていたことを考えれば

堕姫の中に本体である妓夫太郎が隠れるのは可能だと思います。

 

そしてもう一つ。

遊郭編では色々な比較がなされています。

炭治郎兄妹と妓夫太郎兄妹、堕姫とカナヲ、天元と杏寿郎。

そして最近気が付いたのが鬼殺隊員と妓夫太郎です。

 

無惨による産屋敷家への襲撃の時の御館様の言葉に

君は虎の尾を踏み、龍の逆鱗に触れ続けてきた

だから君を許さないという思いが

途切れることなく現在も受け継がれている

人の思いこそが永遠であり、不滅である

というような内容があります。

それが鬼殺隊の思いであり長く存在していた理由でもあります。

妓夫太郎は生まれた場所や境遇について愚痴を言ったり

他人のせいにしている場面はありません。

「梅を守る」ただそれだけの思いで生活していたように見えます。

それなのに、妓夫太郎の「尾を踏み、逆鱗に触れる」ことを

2人の周りにいた人間がしたのです。

ただ、鬼殺隊と違って妓夫太郎個人の憎悪は受け継がれることは

ありません。自分の思いは永遠だ、という意味で

「何度生まれ変わっても鬼になってやる!」という妓夫太郎の

叫びに繋がったのではないでしょうか。

大切な人を殺されたという事実は鬼殺隊員も妓夫太郎も同じです。

許さないという思いも同じです。

妓夫太郎の理不尽と思える鬼としての言動は、

実は鬼殺隊員と同じ「怒り」によるものだというのは興味深いです。

 

堕姫の姿は遊郭で存在し続けるために都合が良かったでしょう。

本編最後の妓夫太郎の回想(二人の人間時代〜妓夫太郎が鬼になるまで)後から

堕姫が花魁として遊郭に落ち着くまでのストーリーは

映画1本分のエピソードがありそうですね。