*鬼滅の刃、公開されているすべてのものからの

 ネタバレを含みますのでご注意下さい。

 原作者が「これはこうです」と明言しない限り

 答が出ないものを勝手に妄想しているに過ぎません。

 あくまで自分はこう考えるという個人的意見ですのでご了承下さい。

 

 

原作初見の時、最終話を読んでまず感じたのは

この話必要か?でした。

 

あ〜、産屋敷家の呪いはとけたのね〜とか

「炭彦は鬼説」なるほどね〜の1歩先を考えて

カナエとしのぶの「鬼と仲良くする」という願いが

叶ったわけね〜とか。

内容は興味深く、その後の様々なことがわかって良かったとは

思いました。

でも、かまぼこ隊とねずこが炭治郎の実家に戻って

4人で幸せに暮らしましたとさで終わっても良かったのではないか

最終話は別の機会に読み切りとして発表しても良かったのではないかと

思っていました。

 

ただ、最近になってふと気付きました。

読者も「その後」を知りたかったでしょうし

そこに目がいきがちですが、もっと大事なことがあります。

それは、鬼滅の話の世界には「転生がある」ということを

はっきりと示したことです。

 

漠然とですが、炭治郎の父である炭十郎は縁壱の生まれ変わりではないか

と思っていました。

 

縁壱の兄の黒死牟が消える時、

「私は一体何の為に生まれてきたのだ、教えてくれ縁壱」

という言葉を残しています。

他の消滅した鬼と比べてみますと、「死後の世界」に縁壱が出てきて

ドラマチックな返答、展開があってもいいはずです。

十二鬼月の最強の鬼であり、影の主役とも言える縁壱の

兄であるにも関わらず、縁壱は現れません。

これは縁壱が転生していることの根拠の一つかなと思っています。

縁壱の魂はすでに炭十郎の魂に成り代わっているからです。

 

縁壱は日の呼吸を炭吉に教えたわけではありません。

剣技を「見せた」だけです。 縁壱が「その必要はない」と

言っているのに、炭吉が「後世に伝える」と

勝手に宣言したにすぎません。

数百年前に1家庭に伝わった剣技が途中で途切れることなく

炭治郎の時代まで伝わっていたのは奇跡です。

ヒノカミ神楽は舞なので、日本の伝統的な習い事を例にすると

師範や師匠と呼ばれる人々はそれなりの才能とその資格を持ち、

生徒に作法やその形を正しく継承します。

時代に則した多少の変化はあっても基本は絶対に変わりません。

ピラミッド型のきちんとした組織と多くの人員がいなければ

何百年も正しく継承することはできないのです。

 

ではなぜ、炭治郎は「ほぼ」正確な型を身につけることが

できたのでしょうか?

それは、教えた父が縁壱の生まれ変わりだから

ということであれば説明がつきます。

もしかしたら、炭十郎に伝わった舞は、

正しい形とはかけ離れたものだった可能性すらあります。

ここで重要になってくるのは刀鍛冶編で説明があった「記憶の遺伝」です。

縁壱と血の繋がりがない炭治郎が、炭吉からの記憶の遺伝により

縁壱の夢を何度か見ています。

炭治郎さえ縁壱に関する夢を見ているのですから

縁壱の生まれ変わりである炭十郎は何度も何度も、

炭吉が体験した全てを夢で見ることができたのかもしれないし、

実際には炭十郎に伝わってなかったかもしれない「約束」の内容や

呼吸法の話も知り得たかもしれません。

(記憶の遺伝に加えて、作中には出てこない「前世の潜在意識」なんてものが

あれば完璧間違いなし!ですね)

 

最終話では本質的に子供が好きな悲鳴嶋さんが保育士をしていたり

蜜璃ちゃん夫婦が食堂をやってたりするので

転生後も前世のなにがしかを引き継ぐような描写になっているため、

炭十郎の身体能力は縁壱並だったのかもしれません。

そうであるなら鬼殺剣士にならなかったのは勿体無いという話になります。

お館様の言葉をかりれば、炭十郎が剣士にならなかったのは

「虎の尾を踏まれ龍の逆鱗に触れなかったから」であり

炭十郎の役目は戦国時代以降の最強の鬼滅隊の一員になる未来を持つ炭治郎に

ヒノカミ神楽を正確に伝えることだったのだろうと思います。