「ちゃんとした」:この言葉って、基本的にエゴで成り立っているような気がする。基本的に押し付け的な意味合いが強くて、自分自身が正しいみたいな、強い強制力があるように思える。マスコミでも「ちゃんとした議論、話し合い」等、使われている事を目にする。
■00:15:27
「ちゃんとした」:じゃあ、この言葉って一体なんだろう。ちゃんとした話し合いって一体何なんだよ。無理な要求っていうのは重々承知しているけど、マスコミも断片的、恣意が強く入った報道は避けるべきなんじゃないか。基本的に視聴者は、リテラシー能力は未だに養われていないんだからさ。
■00:17:40
「ちゃんとした」:テレビで断片的に報道→全体性、透明性がない→テレビの影響力は壮大→視聴者は基本「真」と受け取る→物事の本質を忘れ、断片的な情報として吸収→それが広まり、空気となる→真となる。
■00:20:04

「ちゃんとした」:記憶として残る事件や報道はあるだろうけど、「エジプトはなんで今大変なの?どうしてデモ起きてるの?」「え、なんで相撲って今大変なんだっけ?」等々、本質的なことを聞かれたら頭の中が「???」となることが多いだろう。
■00:21:28
「ちゃんとした」:それがいいか悪いかは別として、「ちゃんとした議論、話し合い」と吹っ掛けるのではなく、まず我々が物事の本質や核の部分を理解しなくちゃいけないのかもしれない。言うなれば「ちゃんとした状況判断」を、各々が身につけることが重要かも。
■00:22:53
以上、ツイッターからの連続ツイートでした。