まず自己概念というものは
「自分はこういう人間である」
というような、自分に対してのイメージである。
それを保とうとし、同時にこの自己概念に一致して自分を見てもらうように行動する傾向をもつ。以下に、
「自己概念一貫性モデル」
「自己確証プロセス」
について記していく。
「自己概念一貫性モデル」と「自己確証プロセス」は、内容に関して
前者が「主体」で、後者が「客体」であると言えるだろう。
前者では、自己概念と合致する行動をすると居心地がよく、合致しない行動をすると居心地が悪くなる。そして、その経験から「次からは自己概念と一致するように行動しよう」と考えるものだが、やはりこれは「主体」である。
後者では、自己概念維持のために、他者が自分を自己概念通りに見てくれるかに注目し、見ていないのなら他人を修正、コントロールする、さらに、自分の周りに自己概念通りに見てくれる人を配置する、というものだが、これは「客体」だ。
この二つの共通点は「自分が心地よく生活する」という目的があることだ。自分が自己概念通りに行動すれば居心地が良いし、自分の自己概念を知ってくれている人との関係ならば、リラックス(自分を演じる必要がない)できる。
言わば、自己概念とは「自分を考えること、知ること」である。やはり、まずは自分をよく知ることが社会にとって重要なのかもしれない。
このような経験はありませんか?俺の場合の自己確証プロセスをフローチャート的にまとめてみた。
自己確証プロセス⇒「大学からの友達」と「高校からの友達」との相違⇒大学からの友達を出来る限り常に周りに置いておきたい⇒イメージが少ないため修正しやすい⇒高校からの友達は「ある程度の自己概念が出来上がってしまっている」ので、修正が不可能に近いので、出来る限り周りには置きたくない。
絶対に一度は経験したことはあるはずですよね。でも、なんか個性を失っているような気がして俺は肯定できません。なんで、自愛が強いんですかね。
別に、思ったとおりに生きていけばいいのに( ̄ー ̄;
「KY」なんて言葉が出てきた今、個性を失いつつある事実なのかもなwww