そもそも自分が看護師を目指したきっかけというのが、ただたんに一生使える資格が欲しかったから。別に看護師じゃなくてもよかったのだけど両親が看護師をしていてそれをずっと身近に感じていたから小さい頃から自分も看護師になるんだろうなあとざっくり思っていた。それで学生時代なりたいものもなく必然的に看護の道へ。国にも病院にも奨学金を借りていざ看護師になったけど配属先が消化器外科、専門は消化器だったけど形成や緊急の患者も受け入れたりでなんでもありな科だった。自分がまだひよっこだったからというのもあると思うけど、本当に本当に忙しくて先輩ナースも自分も毎日病棟を走ってた。一日がミスなく終わるように、自分のミスで患者を死なせないようにと、毎日が必死で、正直患者の気持ちに寄り添うとか全くできていなかった。電車で夜勤に向かうときもこの電車がずっと遠くまで知らないとこまでいけばいいのに、とか、隕石が病院に落ちればいいのにとか、本当にそういったことを考えていた(笑)自分にとっては仕事なのだけど、患者やその家族に毎日感謝されるすごくやりがいのある仕事だとは思っていた。やりがいはありすぎるくらい感じていたけど、毎日生と死に直近する場所で働くというとはストレスフルで、後輩に指導する時間や余裕もなく、ただただミスをしないように仕事をこなすという毎日がつらかった。同期や優しい先輩に支えられながら、自分の中では三年経ったら辞めるという希望を持ちながら本当によく頑張ったと思う。今戻れるかと聞かれたら絶対にNOだし、あのままあの病棟で働き続けていたら性格も歪みストレスで早死にしていただろうな、でもそれと同時に得られるものも大きくてあのとき鍛えられたメンタルや知識で自分も自分の周りの大事な人たちも守れる自信はあるし、やっぱり健康って一番大事だと思うからある程度の病識や対応方法を持てたことはこれから生活する中で大きいと思う。それに一生使える国家資格を得られたからこそ今もこうやってオーストラリアにきて自分の好きなように生きれている、いつでも稼げるスキルを持っているのと持っていないのでは心の余裕は全く違うと思う。そう思うとあのとき選んだ道は間違っていなかったと思えるし、あのときの代償が今に活きてると思える。辛い経験をしたからこそ今の幸せをより感じることができる。

オーストラリアに来てからも色んな経験をして思えることは、『起こること全てに理由がある』everything happen for a reason 、この一言に尽きる。。悲しいことも嬉しいこともこの28年間の人生で経験した。特に直近2年間の出来事は波のように上がり下がりが激しくて天国と地獄を経験した、どれも自分の選択であって自分が選んだ道と思いつつも、元からこうなると決まっていてそのレールの上を自分は進んでいるだけなのかもしれないと思うこともある。無駄なことはひとつもなかったし、いつも人や環境に恵まれていると思える自分の人生をもっと好きになれたらいいなーと思う。ちょっと脱線したけど看護師のときの頑張っていた自分は今でも誇れるし、今好きなようにのんびり自分らしくオーストラリアで生きている自分はもっと誇れる。医療従事者として働いている親や友達のことを本当に尊敬しているし、辛くて自分が離れた道で頑張っている人たちのことを思うと自分も今できることや目標としていることを頑張ろうと思える^^