苦しい決断だったか晴れ晴れしい決断だったか、それは本人にしか分からないわけで。
羽生選手のGPシリーズ欠場のニュースを見たとき、私は涙がぼろぼろ止まりませんでした。
嬉し泣き以外もう泣かないって決めているんですけど割とことあるごとに悔しくてないている気がする。
何がどう、何に対してかは解らないんですけど、とにかく「悔しい」って気持ちが溢れて溢れてしょうがなかった。
羽生選手の心も考えも羽生選手以外には分からないし、それを勝手にあれこれ想像して決め付けるのはとても失礼だと思うので絶対に「悔しいだろうな」とは思わないし言わないけれど。
悔しいのもやるせないのも、なんだか駄々を捏ねたい気持ちになってしまうのも全部私の感情なのである。
欠場を決めた羽生選手を責めるつもりなどもちろんない。あるはずがない。
羽生選手には喘息の持病がある。今の状況で海外に行くのも海外からコーチが来ることもリスクが高すぎる。
何より羽生選手はとにかく注目を浴びる人だ。良くも悪くも。
彼に好意的だったとしても、逆に敵意を持っていたとしても、リアルであれネット上であれ、とにかく多くのものが大きく動く。
世界中で羽生選手ひとりがこれだけの影響を及ぼす存在、とは思っていない。
もっともっと地球上では羽生選手並の、もしくはそれ以上の影響を及ぼす人がいるのだと思う。たぶん。
とはいえ私の世界で一番大きい存在は羽生選手なのでここでは羽生選手を中心に考えさせて頂きます。
羽生選手の身に危険や害が及ぶのは絶対に嫌だ。
そしてもし万が一何か起きた時に直接的な原因があろうがなかろうが彼に矛先が向くだろう。
それは絶対に嫌だ。
「そんなことあるわけない」と思われるかもしれないけど、これまでの事を考えるとそんな事がある可能性がゼロとは言えないのだ。
私も言われたことがあるけれど「誹謗中傷なんていちいち気にしていたら有名人はやってらんないよね」という言葉だ。いわゆる有名税という考え方なんだろう。
本人が平気かもしれなくてもこの私が嫌なのだ。というかやいのやいの言われてる本人の気持ちなんて話してはいない。それは話題ではない。
他の誰でもない、この私が嫌なのだ。
推しが過剰に褒められるのも好きではないけど不必要に責めたてられるのはかなり堪える。
それでも私は羽生選手の応援をやめないしやめようと思ったことはない。
そもそもそんな考え持ったことない。
だってどんな辛くても苦しくても悲しくても、羽生選手のファンをやめること以上に不幸なことなんて私にはない。
だからそれを思えば、シリーズ欠場は正直ほっとした所もある。
羽生選手には安全で、健やかでいてほしいから。
それはそれとして、やっぱり悔しいし寂しい。
私は羽生選手のスケートが見たかった。いや、見たい。
だから見れないことが悲しいし寂しいし悔しい。
コロナ禍でそれが叶わないことが心底悔しい。けどどうにもならない事も分かっている。
今大事なのはとにかく「感染しないこと」なのだ。
その為の一番良い選択をして行くことが今一番大切。
この「一番良い選択」というのは個々人よって違う。
だから「感染しないため・感染拡大しないため」の行動や選択が誰かと誰かで違っていてもそれは当然。
足並みをそろえることはとても大事だけど、それは決して「みなが同じ行動をする」ということではない。
世界はもっとずっ複雑だから。全員が同じ行動をした所で目的が達成されるわけではない。
頭では分かっているけど感情が追いつかないことがどうにも多い。
ここ最近では許せる事よりも許せない事の方が増えて来たように思う。
許せないことは無理に許さなくてもいいと思っているけど、かといって暴れ回るのも人としてどうなのという所があるので、ここでジメジメと文章を書いている。ジメジメ。
別に慰めて欲しいとか励まして欲しいとかの目的でここに文章を書いているわけではないのだ。
書いてもどうにもならない事は分かっている。きっと書いても書かなくても何も変わらない。
いや、それでも「書く」という行動をしたのだから、きっと何か自分でも変わりたい何かがあったのだろうと思う。
もうそろそろ「いつか」という言葉を使うのも疲れてしまった。
それでも「いつか」を捨てられない。…というか「捨てるんじゃないぞぉぉぉ!」と思い直す為にこういう記事を書くんだと思います。
そもそも歌仙さんが詠む歌を聞き届けるっていうでかい目的があるんだから!あるんだよ!
羽生選手の決断が、どうかどうか報われますように。
幸運と幸福が訪れますように。心身ともに健やかで過ごせますように。
羽生選手の強くて美しいスケートがまた見れますように。
4回転アクセルを会得できますように。