こんにちは
トータルメンタルサポート
ラポール・ラボの
ジュンコ田中です
今日は私の大好きな「働き方の哲学」の
著者:村山昇先生の
サイトをシェアさせていただきます。
村山先生は
〜14歳から大人まで
生きることの根っこをかんがえる〜
というコンセプトでわかりやすい
どなたでも読める哲学の読み物を
無料で公開してくださっています。
↓
1.自己・2.成長・3.価値・4.人の間・5.人生
という構成になっていて
今日は、2.成長の 目標[1]です
~「目標を立てる」って必要なこと?
をご紹介します。
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〈S君からの相談〉
僕はなにか目標とか計画みたいなことに
縛られるのがいやです。
もちろん、
学校で出された宿題はやるし、
親から頼まれた
手伝いもやります。
でも、
それ以外は自由に
のんびり過ごしていたいです。
ゲームをしたり、
音楽を聴いたり、
友達とスマホで
おしゃべりをしたり、
毎日の自由時間は
それなりに楽しいです。
母親からは
「なにかに打ち込みなさい」
とよく言われますが、
いま、
特に打ち込んでいることとか、
目指していることはありません。
だいいち、
自分がなにに打ち込めば
いいかが思い浮かびません。
こうやって過ごしていては
ダメなんでしょうか?
〈Rさんからの相談〉
わたしは成績がごく普通の生徒です。
がんばって勉強しても、
平均点を取るのが
せいぜいです。
なので、
人に言えるような
立派な目標は立てられないし、
立ててもできなければ
自信をなくすことになるので、
目標はなるべく
立てないようにしています。
目標って
生きるために
必要なものですか?
そして、
こういう考え方をす
るわたしはよくないですか?
わたしたちは日ごろ、
いろいろと目標を立てます。───
「今度の試験では●点以上取る」
「次の大会では●位以上を目指す」
「毎月本を●冊以上読む」
「●●校の入学試験に合格する」
「●●検定2級の資格を取る」
「将来、●●の職業につく」
など。
目標とは
「なにを・いつまでに・どの程度までやるか」
という自分への約束です。
その約束は、
言ってみれば、
坂道をのぼり、
ある地点をこえようとする
負荷(ふか)です。
当然、
それはからだにもしんどいし、
心にもしんどい。
けれども、
そのしんどさと引きかえに、
得られることも
たくさんあります。
逆に、
目標など立てず、
過ごしたいように
過ごすことは、
坂をくだっていくのと
同じでラクです。
でも、
くだっていく先で
得られることは少ない。
さて、
S君から
目標についての
相談がありました。
きょうは
次の2つの点から書きます。
□ 目標がないと人は
怠(なま)けてしまう
□ 目標を自分でかかげ、
達成していこうという
「心の習慣」をつけよう
まず1点め
「目標がないと人は
怠(なま)けてしまう」
について。
フランスの哲学者モンテーニュは
次のように書いています───
「どんなに豊かな土地でも、
遊ばせておくと
そこにいろんな種類の
無益(むえき)な雑草が
たくさんはえてくる。・・・
精神はなにかに
没頭(ぼっとう)させられないと、
あっちこっちと、
ただぼーっとした想像の野原に
だらしなく迷ってしまう。・・・
確固たる目的を
もたない精神は自分を失う・・・
無為(むい)は
つねにさまよう精神を生む」。
───『エセー』より
一人一人の人間は、
無限の可能性を
秘めています。
ただ、
それは漫然(まんぜん)と過ごして
ひらかれるものではありません。
人類が
月に行けたのは
なぜでしょう。
それは、
月に宇宙船を
着陸させるという
目標を持ったからです。
なんとなく
科学を研究しているうちに
実現したのではありません。
同様に、
「富士山に登ってやるぞ!」
という目標を
もたなければ、
あなたはけっして
富士山の頂上に
立つことはありません。
ちょっと散歩に出ます
と言って、
富士山に登った人は
いないのです。
そのように人間は、
なにかを決意し、
そこに自分を
集中させていくことで
突き抜けた能力を発揮し、
ことを成しとげるわけです。
同時にそこには、
感動があり、
思い出が残ります。
けれど、
自分をただ
野放しにしているだけでは、
じゅうぶんな成長も達成も、
ましてや感動もえられずに
終わる生き方に
なってしまうでしょう。
モンテーニュは
多くの人の様子を
観察した結果、
このような言葉に
到達したのです。
人は目標がないと
怠けてしまう性質を
持っています。
自由という名のもとに
漫然と過ごすことは、
漂流する危険性と
つねにとなり合わせです。
もちろん、
S君が言うように
自由にのんびり過ごす時間は
とても大切です。
その時間のなかで、
いろいろなものに触れ、体験し、
自分の興味を広げていくことが
あるのですから。
そこから
将来なりたい道を
見つけることだって
あるかもしれません。
だから思うぞんぶん、
自由な時間を楽しんでよいのです。
けれど、そのとき
頭のなかにつねに置いてほしいのは、
自分は「自由という心地のよいソファ」で
寝ころがっているだけなのか、
それとも
「自由という望遠鏡」で
なにかを探しだし、
「自由という刀」を持って
なにかを彫刻しているのだろうか、
という
自分への投げかけです。
自由というのは
2つの使い方があって、
1つは
ただひたっているだけの
「消極的自由」。
もう1つは
縦横無尽に生かす
「積極的自由」です。
次に
2点め
目標を自分でかかげ、
達成していこうという
「心の習慣」をつけよう
について。
目標というのは
自分でかかげるところに
大きな意味があります。
あなたたちがいま、
身につけるべきことのひとつは、
なにかへの挑戦を自分に約束し、
それをめざしていくことです。
達成できれば
次の目標を立てる。
達成できなければ、
目標を見なおして、
まためざしていく。
そういった
「心の習慣」
をつけることです。
つまり、
坂の上に目標となる旗を置き、
それをこえていこうとする姿勢をとるのが、
ごくふつうのことだと
思えるようになることです。
S君は
学校から出される宿題や
親から言われる手伝いを
きっちりやっています。
これは基本として大事です。
けれど、
これらはいわば
他人から「与えられた課題」です。
やるべきことを
自分で設けたものではありません。
そのように
「与えられた課題」を
こなすことだけに慣れてしまうと、
自発的に
「自分がやりたいこと・めざしたい状態」
を描く力が弱くなります。
そういう人は、
大人になって
職業を持つようになっても、
つねにやるべき仕事を
他人から指示されないと
できない状態になってしまいます。
だから、もしS君が、
言われたことはきちんとやっているのだから、
それでじゅうぶんだ
と思っているのなら、
実はじゅうぶんではないのです。
[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]
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